デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



細かい部分は異なるかもしれないが、落語のまくらで、以下のようなものがある。

それは時代劇が似合いそうな頃の町で繁盛している大きな問屋が舞台になっている。店の旦那は裸一貫から質素倹約を旨とすることで店を大きくし、大きくなってからも質素倹約の姿勢は変えず商売に励んでいた。
店が大きくなると泊り込んで働く人間も増えるわけで、そうなると毎晩真夜中に目が覚めて、厠に行くという癖が治らない人間も出てくる。店にいる番頭はその癖が一向に治らなかった。そこで旦那は番頭に、
「厠に入ったら、まじないのつもりで『明晩から、よう参じません』と言ってから出てこい」
とアドバイスした。
その夜、番頭は夜中に厠で用を足し、
「明晩から、よう参じません」
と一人そらんじた。すると厠の暗闇から
「そう言わずにまたお越し」
と声がした。番頭は飛び上がって逃げ出し、布団の中でガタブル震えた。
翌日、番頭がこのことを血相変えて旦那に伝えると、「何をバカな!」と一蹴される。旦那は笑いながら「そんなことがあるなら今夜わしもいっしょに厠に行ってやる」と自ら請合った。
深夜になり、例のごとくもよおすものを覚えた番頭とそれに立会う旦那が二人揃って厠に入った。用を足して昨夜の通り「明晩から、よう参じません」と言うと、またしても暗闇から「そんなこと言わずにまたお越し」と声が聞えた。番頭に加え、旦那までも飛び上がって逃げた。
一人ならずも二人、それも店の旦那まで声をしかと聞いたとなれば、ただことではない。これには何か原因があるというわけで、町の長老が調べることになった。
長老は厠を見るなり、今でいうトイレットペーパーである落とし紙に目を留めた。
長老「これを落とし紙として使っておるのかな?」
旦那「はい。あっても仕方のない昔の帳面や手形などを、もったいないということで適当な大きさに切って使ってるんですわ」
長老「ははぁ。声の原因はこれじゃ」
旦那「落とし紙が?」
長老「昔から言うやろ? 書いたもんがものをいう、と」

『カラマーゾフの兄弟』では3兄弟の一人が酔っ払って書いた手紙が、物語後半の裁判でヒステリックな状況のもと決定的証拠として提出され、判決に重大な影響を及ぼす。
手紙がもたらす証拠能力は何だかんだいって大きい。被告は酔っ払って書かれた手紙が真実の口を開いてくれれば、などと思ったかな? 神は酔っ払って書かれた手紙に真実を語らす奇跡すら起こせない。神の真実というものはえてして気が利かないものだ。

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