デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



5/15の記事を書いた際、思い出した本を借りてきた。牛島信明著『ドン・キホーテの旅』(中公新書)である。
この本の第八章に、ヤスパース(ドイツの精神科医・哲学者)による想起の記述がある。

 ヤスパースによれば、想起には三つの位相(レベル)があるという(門脇佳吉『道の形而上学』による)。すなわち、心理学的想起、歴史学的想起、そして実存的想起という三つの段階である。
…(中略)…
 さらにヤスパースがは第三のレベルの想起を提示する。「偉大な古人との共同運命をさらに自分の義務として積極的に担うことによって、私たちは<本来の自己>であれと要求され、新しい未来に向かって創造的に生きることを要求される。ヤスパースはこのような想起を実存的想起と呼ぶ」(門脇佳吉、同上)
 いわば古人との根源的な出会いによって、われわれの存在そのものに変化を及ぼすがごとき、深くて激しい感動と意識をかきたてられるがごとき想起が実存的想起ということになるが、偉大な古人との出会いということであれば、それは一般的には書物を介してなされることになろう。そして芭蕉とドン・キホーテの旅の生涯はともに、まさしくヤスパースの言う実存的想起を契機としているのではなかろうか。


小説『ドン・キホーテ』の主人公は齢50がらみのスペインのド田舎の郷士で、ある時期に騎士道物語を読み漁り、その物語を騎士ドン・キホーテとして現実の世に実現せんとばかりに旅に出る。有名な風車のエピソードも彼にとってみれば物語の幻想から織り出た現実なのである。
松尾芭蕉は亡くなるまでの14年間の間に通算5年におよぶ旅をしているが、芭蕉の意識のなかに敬愛する西行法師や能因法師への思いが尋常でなかった。ちなみに芭蕉にとって偉大な歌人であった西行は芭蕉より500年も前の人である。

「道の辺に清水流るる柳蔭しばしとてこそ立ちどまりつれ」(『新古今集』)

この西行の歌で知られる遊行柳は現在の栃木県にあるのだが、芭蕉が旅した頃にも何にも無いとさえいえる田園が広がるところに柳が一本ぽつんと立ってるだけだったろうし、実のところ500年前に西行がその柳に立ち寄ったかどうかは疑問視されていて、さらに仮に西行が立ち寄ったとしても、芭蕉の頃には何代目かの柳のはずなのである。しかし、芭蕉は「西行ゆかり」の柳を見て立ち尽くし、古人への思いを馳せて感慨にふけるのである。そして白昼夢にふけっているあいだに田植えが終わっていたことに気づき、その場を去るのである。

田一枚植ゑて立ち去る柳かな (芭蕉)

以上が、『ドン・キホーテの旅』第八章に書かれている内容の抜粋と要約だが、これらドン・キホーテと芭蕉の実存的想起は、小説であろうが映画であろうがTVドラマ・アニメであろうがそれを見た人間にも訪れるのではないだろうか。つまり、ファンにとってみれば大いなる夢となっているわけで、私にとってみれば普段通りがかることもある少し自転車で足を延ばせば行けるような所でも、人様にとっては本当の聖地なのだ。実際、5/15の記事を書く前に、ちょっとした機会から他の都道府県に住む人に該当記事の画像をみせたところ、まるで狂喜せんばかりだった。詳細な場所を教えてほしいと言われ、私も訊ねられたことについて分かることはすべてお教えした。
これより先立つこと数日前に、弊ロシア旅行記の内容から私にアクセスしてくださった方がいた。齢60以上の方だが、念願の初ロシア旅行に来月もしくは数ヵ月後に行く予定なのだという。そこでかつて自分が書いた内容を読み返してみた。ドン・キホーテや芭蕉ほどではないが、私も現地で同じような想起に、それなりにふけっていたではないか。
個人の趣味には他人の視点からすると、とるに足らないどうでもいいこと、ひょっとするとそれは奇行と映ってしまうことも、当人にとっては真剣なことがある。相手のことが分からないなりにも、相手の実存的想起に対して忖度(そんたく)を発揮?できれば、それはそれで、いずれ楽しいことにめぐり合えるのかもしれない。

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