デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



「死と復活を象徴するつがいの鳥」(ヴェネツィアにて)

ローマからヴェネツィアまで特急ESAで4時間弱。6:45の始発に乗り、なんだかんだでヴェネツィアに降り立つのは11:00、18:27の帰りの特急でローマに帰るならばローマ到着は23:00前となる。ヴェネツィアに居れる時間は7時間程度、それも水上バスでの移動なので時間的ロスも多い不便な町での7時間である。
もちろん、日帰りで7時間だけなんてもったいない、という意見も分かる。でも、どの旅行者に対しても私はいう。どうしても見たいものがある場合、時間の許すかぎり、たとえ幻滅が待っていようがそれでも行けと。帰りの飛行機に乗り遅れるリスクを負うとか、そんなのじゃない限り。
ヴェネツィアに行ったとき、見たいものはただ一つといっても過言ではなかった。それは、教会の出入口の上に彫られたか嵌め込まれた、ただの装飾なのだが、それだけでよかったのだ。この画像にある装飾は19世紀イギリスの美術評論家・思想家ジョン・ラスキン(John Ruskin)曰く「死と復活を象徴するつがいの鳥」というもので、プルーストと彼の作品『失われた時を求めて』と深い関係があるのだ。

このバカ長い小説についての私の思いはこれまでに書いたので略すが、プルーストは『失われた時を求めて』の第一篇が刷り上る10年以上も前にヴェネツィアを訪れていて、そこで彼の作品に大きな影響を与えたラスキンの著作を読んだり、ラスキンの『サン・マルコの休息』や『ヴェネツィアの石』を手にしながら、ラスキン巡礼をおこなっているのだ。
プルーストはラスキンに心酔したままの状態で小説を書かなかったし、作品の中でのラスキンへの言及は数えるほどしかない。しかし個人的にもっとも印象に残っている、作品の第六篇『逃げ去る女』のなかの、主人公の恋人アルベルチーヌの死を知ってからの心の間歇の描写の中に登場する、ラスキンが著作の中でふれていた「死と復活を象徴するつがいの鳥」のモティーフを用いてデザインされたフォルトゥニのドレス(フォルトゥニはヴェネツィアのデザイナー)を彼女が着ていたことを、ヴェネツィアのアカデミア美術館にあるV・カルパッチョ作『悪魔に憑かれた男を治癒するグラドの総主教』に描かれているカルツァ同心会員のひとりの背中を見て思い出す場面は、決してラスキンの存在なしには語れないのだ。『失われた時を求めて』を読み、その後小説がラスキンの著作の影響なしには成立しなかったことを知ってからというもの、私の中のヴェネツィアへの思いは心の片隅にずっと残り続けることになったのだ。

そんなこんなで、ようするに私は、プルーストがかつて行ったラスキン巡礼をしたい、「死と復活を象徴するつがいの鳥」の装飾を探したい、ただそれだけのためにヴェネツィアに日帰りで行ったわけである。
この装飾を見つけるため、日本語訳の『ヴェネツィアの石』(法藏館)も読んだし、吉川一義『プルースト美術館』(筑摩書房)、鈴村和成『ヴェネツィアでプルーストを読む』(集英社) 、P・M=チリエ『事典プルースト博物館』(筑摩書房)、タディエ『評伝プルースト』(筑摩書房)その他を読んだが、どれ一つとしてこの装飾が残っている場所がどこなのか、正確には書いていなかった。これらの本にあるのは、(確かになんとなく似たようなものはあるものの)「サン・マルコ寺院やドゥカーレ宮殿の柱頭によく見られるモティーフなのである」という程度で、ひょっとして実際に探し当てたことなどないのではといった勘ぐりを、今でも正直捨てることはできない。
五年以上に渡ってスカイプでいろいろとおしゃべりしている友人Sさんの友人Kさんから、ある時、装飾のある場所を教えていただいた。欧米の研究者でヴェネツィアの歴代の建築や装飾の研究をしている人からの情報をKさんが得られたとのことなので、今回こそ確実に見つけられると思い、その場所、カルミニ教会(Chiesa di Santa Maria dei Carmini)の出入口のファザードに足を運んだ。
「ずっと前からここにいるんですが、何か?」といわんばかりに「死と復活を象徴するつがいの鳥」は私を見下ろしていた。私は何やら独り言をぶつぶつ呟きながら、ただ「つがいの鳥」に思いを馳せ、きれいな写りになるよう、何度かシャッターを切るのだった。実物を見たことで訪れることのある幻滅はなかった。それがうれしかった。
この日のヴェネツィアは風が強く、曇りがちだったが、昼過ぎに空きっ腹をかかえて「死と復活を象徴するつがいの鳥」へと近づくにつれ日差しが強くかつ暖かくなり、抜けるような青空へと変わっていった。それは、まるで5月の空模様だった。1900年5月にプルーストがヴェネツィアに滞在していたときも、こんな感じだったのだろうかと、「つがいの鳥」を何度も見上げながら思った。


左奥がカルミニ教会、大きく写る白い建物はスクオーラ・グランデ・デイ・カルミニ


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