デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



システィーナ通りにてバルベリーニ広場方面を振り返る


フラミニオ広場の信号はすぐ変った。
ちなみに奥に続く通りがかつてのフラミニア街道。


右に「モーセの噴水」。車バイクは朝からビュンビュン飛ばす


ピラミデが見える。朝の7時半前でこの交通量。

都市ローマではまず交通マナーの悪さに驚く。それは名物ともいえる。車の運転と地下鉄の運転は荒いといっていいし、歩行者も危険な横断してドライバーから怒鳴られてるのを見るのも珍しくない。車も歩行者も、信号なんて守らないのが"基本"。いや、守らないことは無い、でも隙あればすぐに発車および横断するのが当たり前。ローマは車も歩行者も皆タフでいられる明るい都市なのである。
この場合のタフのいうのは、ある意味、傍若無人で唯我独尊、権利意識の増長的なところがあるが、轢かなければ信号守らんでもよい、轢かなければ人の傍をすごいスピードですり抜けてよい、轢かないためにはバスの中におる人間がどうあろうが急ブレーキさえ踏めばよい、轢かれさえなければ、びゅんびゅん車が走る国道であろうが歩いてよい、また信号関係なしに道路渡ってもよい、そういったまさにギリギリの境界線が、むこうの互いの当然の妥協点でそれに平然としていられるタフネスである。
昔サッカー日本代表の監督を務めていたトルシエが、日本代表メンバーたちに戦いの心構えとして「赤信号でも行けるなら自分の責任で渡れ!」といった言葉を吐いて、日本のマスコミがバカに騒いだことがあったが、まさにそういう常識のもとでは当然だとわかるのである。
ただ、悪しき交通マナーの都市もバランス感覚は心得ている。とくに顕著だったのは足の不自由な人や高齢者が横断しようとしているときのマナーのよさ、日本より滑りやすい石畳の道路で雨が降ってきたときにバイクが転倒したりしたら、さっと後続車を止めて転倒した人とバイクを気遣う当然といえば当然の行為の早さである。私もそれに見習って、行く方向が同じで横断歩道で歩行速度の遅いご老人がいたらペースを合わせて並行して歩いたが、真意が伝わったら「グラッツェ・ミッレ!」と感謝されることがあった。


パラティーノの丘の出入口

都市では「ローマ・オープン・ツアー」といって、観光地の主要個所を回る二階建てバスがある。主な有名な観光地にその停留所があるのだが、ツアーの客引きの中には失礼な人もいる。パラティーノの丘の前で、思いっきりつくり笑顔で英語で話しかけてきたツアーの女性職員が、ちょっとしつこかった。私は英語もよく分からないし、さっさとパラティーノの丘に行きたかったので、「サム・アザー・タイム、バイ」と言って去ったら後ろから「シット!」と聞こえよがしに言うではないか(笑)。なんて失礼なことを言い放つのだ!?とカチンときたので、振り返り日本語で「てめぇこそクソ女だ」と日本語でにこやかに返答したら、相手も作り笑顔を返してきた。
いくらなんでも腹の立つ一言を言われたら、ケンカ沙汰にならない限りこちらも少し強い気持ちをもつ程度でちょうどいいと思ったりした。だが、これは周りに人がたくさんいて「証人」がいる場合に可能なことかもしれない。
同日の午後、町を歩いていると唾を飛ばす音が聞こえて、私の左腕にわずかだが唾液が付着した。なっ?と思って横を見ると、いい年したおっさんがこちらを見据えている。唾を吐いたときにたまたま私が通りがかっただけにしては良心の呵責なんて微塵も感じさせず堂々としていたから、恐らく私に向かって唾を飛ばしたのだ。信じられん、違法なクスリでもやってるのか?と思ったが、一人で問いただすにはリスクが大きいし、帰りの飛行機に乗らねばならぬ日だったので、「くだらん」と一人つぶやいてベルニーニ作の「蜂の噴水」まで行って洗い流した。悪いなベルニーニ、噴水を汚してしまってよ、と憐れみつつ、失礼なやつはどんな国にだっているんだし、そういうのに遭遇するときはするものだと改めて思った。


ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ作「蜂の噴水」。水は美味かった。


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