デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ダヴィッド「テルモピュライのレオニダス」(1814),ルーヴル美術館

読書をしていると、かつて旅行先で巡りあえたものに再会することがある。
前回ふれた塩野七生著『ギリシア人の物語Ⅰ』(新潮社)の中で紀元前480年の第二次ペルシア戦役の話が出てくるが、ペルシア王クセルクセスやスパルタ王レオニダスという人名、テルモピュレーという地名が頻出するようになってきたら、あぁあの絵をかつてじっくり見たな、と思い出し、昔のフォルダから画像を引っ張り出してきたくなった。
この絵の場面の背景は第二次ペルシア戦役のテルモピュレーの戦いで、アメリカで制作された映画「300」(2007)でも描かれていることでも知られている。映画の「ペルシア軍100万」はいくらなんでも多すぎとはいえ、テルモピュレー最後の戦闘ではペルシア軍18万を、ギリシア側のレオニダス率いるスパルタの兵300とテスピアイの兵500足らずで迎え撃ち、ギリシア側が玉砕したという史上有名な戦いである。この戦いでクセルクセスは一週間もアテネ侵攻への足止めを食らう屈辱を受け、スパルタはスパルタの戦士の強さを世界に見せ付けたことで大いに自信をつけ、かつギリシア世界から遠い世界への視野を拡げることになった。
さて、ナポレオンのお抱え画家でスポークスマンといっていいダヴィッドによるこの絵は、戦いの場面が描かれているわけではない。中央のレオニダスは、これから訪れる戦闘を前に避けることのできない自分の死について瞑想にふけっている。また画像では分かりづらいが左上で岩に「旅人よ,スパルタに行きて伝えよ,祖国のために命を捨てた者たちがここに眠る」と刻んでいる人が描かれているが、この言葉が刻まれるのは戦闘の後なので少しばかり「異時同図」になっている。
ルーヴルにあるダヴィッドの作品には他にも「サビニの女たち」や「ブルートゥスの家に息子たちの遺体を運ぶ警士たち」などがあり、いずれも動的で感情豊かで劇的な場面を描いた作品だが、そういった作品のなかにまぎれて展示されている「テルモピュライのレオニダス」は一見、戦の場面かな?と思わせつつも、次第に妙に静けさを湛えていることに気づき戦士たちに派手に躍動するようなアクションを見出すことができなくなるので、鑑賞者を困惑させるものがあったように思う。それもあってか、余計に印象深い作品だった。
ところで、テルモピュレーの戦いに臨んだ時のレオニダスは60歳だったというから、絵のなかの彼は若すぎるように思われるのは分かる。しかし、たとえ紀元前でも鍛え上げられたスパルタの戦士ならば、ダヴィッドの描いたような60歳の戦士は存在していたかもしれない?(笑)。

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