デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




5/19まで開催されている「猫踏んじゃったなギャラリー PART5」に行ってきた。
場所は前回と同じ10W galleryで、来場者を接待してくれるネコのクー(クーの様子を綴ったblog:ギャラリー猫の憂鬱)も健在だった。
以前、紹介したおおしろ晃さんも昨年に引き続き出展されていることもあり、今年も楽しみに行ってきた。



版画、写真、イラスト、オブジェ、焼き物、バッグ、ぬいぐるみ、ドアストッパー、せっけん…その他、独創的な猫をテーマにしたいろいろな方の作品で溢れかえっていた。すべての作品は本当に手が込んでいて、感心させられてばかりだった。アーティストの方もたくさん訪れていて、構図の話やデフォルメの話などで、とても盛況だった。展ではインターネットを通して、遠方より買い上げがあるとのことで、それは作品を見ていけば納得できてしまう。
さて、来訪者を癒してくれるギャラリー猫のクーは以下の画像に…

ずっと寝ていた…
どこだ?!


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コンパクトカメラだと…寄りすぎると逃げられちゃうんだなぁ。
5/4、軒先にて。

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熊蜂  



GW前半に近くの公園にてフジの花に集る熊蜂を間近で見た。
熊蜂は一般に恐れられているが、こちらからちょっかいを出さなければ、人を襲うことはほとんどないという。
熊蜂の羽音は、ウクレレを弾き終わると瞬時に聞こえてくるほど、ハスキーで力強かった。

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アップしようと思っていたのに延び延びになっていた画像。
撮れた時にピタッという感じでやった!と思った。
撮影は3月だった。寒かった。

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連休中に関西を飛びださなくて、本当によかった。
昨日(5/5)、パブ・デッシャロへ、マンガーソングライターとして活躍中の本町靭さんの折り紙戦士ヤッコマンライブを聴きに行った。
いつ聴いても楽しいライブ、それに加えて昨日のライブではお客さんが入れ替わっての第2部で、靭さんのお手伝いを初めてさせてもらった。
機会をもらってとてもうれしかった、そして反省点も含めいろいろ学ばせてもらった、なにより大いに楽しませてもらった。
辛抱強かったお客さん、そして機会を与えてくださった本町靭さん、本当にありがとうございました!

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絵画を目を凝らして見ていると、やっぱり集中力が萎えたりするのでちょっと窓から外を見たりもした。


すごく太い柱とセーヌ川ですねぇ



遠くに見えるのはパンテオンですねぇ

18世紀は油彩による肖像画だけでなく、パステル画の肖像画が流行した。1720年にイタリアの女流画家ロザルバ・カリエラ(1675-1757)がパリに招かれたとき、パステルの新技法を伝えたことがきっかけになっているそうだが、それをすぐに取り入れる画家たちはすごいなぁ…。
前回紹介したシャルダンもパステル画で自画像を描いていたが、とりわけパステル画の名手だったのがモーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール(1704-88)である。


モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール「ポンパドゥール侯爵夫人」(1755)
(きれいな画像はこちら

モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールはパステル画に魅せられて、パステル画でも油彩に負けない絵を描けると信念を持ったのか、パステル画に生涯を捧げたという。
さて、描かれているポンパドゥール侯爵夫人(1721-64)って、名前だけでも聞いたことがあるような人だと思う。
古今東西の歴史には、稀に低い身分から貴族や王の称号を得るまでに至ったような生涯を送った女性がいるが、ポンパドゥール侯爵夫人もその一人である。彼女は本名ジャンヌ・アントワネット・ポワッソンといい、平民の階級の出だが1745年にルイ15世と出会い、ポンパドゥール侯妃の称号を受ける。30歳くらいまでは王の愛妾であったが、それ以降は王の良き友人・相談相手であった。
彼女の名前が今に残るのは、彼女の才色兼備さがなせる業か、ダンス、クラヴサン、朗読、歌唱、版画、セーヴル王立陶器製作所の設立などなど、ポンパドゥール式といわれるほどの芸術というか趣味のスタイルをつくりあげたからだろう。セーヴルの陶器なんかはロシアの女帝エカテリーナ2世が莫大な値段で買い上げるほどだった。
芸術への理解が深かったこともあってか、彼女の才気は学問の方にも向けられていて、肖像画にもモンテスキューの『法の精神』や『百科全書』が描きこまれている。こういった当時の進歩的思想は後のフランス革命を引き起こす上での下地になるわけだが、このような思想を保護したのもポンパドゥール夫人のような人だったりするのは、歴史の妙なのか。彼女はフランス革命を目にすることなく、43歳で若死にした。満足とか幸福とかいったことは、いろいろな考え方があるだろうが、最も幸せな時代に彼女は自分の名を残せるほどのセンスを発揮できた、幸せな人だったんだろうなぁと、今になって絵を見たときの事を思い出しつつ感じる。

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人前でウクレレを弾く機会ってそう無いもの。弾く機会があるのは大事だなぁと思う。
今年、昭和の日となった日曜日にフレイムハウスの企画で誰でも参加できる青空ウクレレがあった。そのせきで私はビートルズの「When I'm sixty-four」を弾いた。
ワインでかなりアルコール入っていたのに、人前となるととても緊張し、譜面台の調整すら忘れるくらいだった(笑)。そして弾いている間はアルコールが飛んだ。
弾いていると自分でどんな演奏になっているか感覚的にしか分からなかったが、弾き終わると、ありゃりゃ?という感じが…。でも楽しかった!
青空ウクレレは普段演奏を聴きに行っている方々とも曲を教えあったり、弾き方のアドバイスをもらったり、たのしい話もしたりと、充実した時間そのものだった。
青空ウクレレを企画したオネーサン、参加されていた方々、本当にたのしかったですし、ためになりました。ありがとうございました。また参加したいです。

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Lili Marleen

Vor der Kaserne,
Vor dem großen Tor
Stand eine Laterne.
Und steht sie noch davor,
So wolln wir uns da wiedersehn,
Bei der Laterne wolln wir stehn
Wie einst,Lili Marleen.

Unsere beiden Schatten
Sahn wie einer aus.
Daß wir so lieb uns hatten,
Das sah man gleich daraus,
Und alle Leute solln es sehn,
Wenn wir bei der Laterne stehn
Wie einst,Lili Marleen.

Schon rief der Posten:
Sie blasen Zapfenstreich,
Es kann drei Tage kosten.-
Kamerad,ich komm’ja gleich.
Da sagten wir auf Wiedersehn,
Wie gerne wollt’ich mit dir gehn,
Mit dir,Lili Marleen.

Deine Schritte kennt sie,
Deinen zieren Gang;
Alle Abend brennt sie.
Mich vergaß sie lang.
Und sollte mir ein Leids geschehn,
Wer wind bei der Laterne stehn
Mit dir,Lili Marleen?

Aus dem stillen Raume,
Aus der Erde Grund
Hebt mich wie im Traume
Dein verliebter Mund.
Wenn sich die späten Nebel drehn
Werd’ich bei der Laterne stehn
Wie einst,Lili Marleen.
               Hans Leip

突然、なんじゃ?という感じかもしれないが、これは第二次大戦時にベオグラードで流れた「リリー・マルレーン」の歌詞である。
詩は1915年にハンス・ライプという人が書き、曲は大戦直前といっていい1938年にノルベルト・シュルツェという人が作曲した。
リリー・マルレーンの歌は戦場の兵士たちだけでなく、政治にも影響した。この歌を歌っていたララ・アンデルセンの自伝を基にした映画「リリー・マルレーン」(1981、西ドイツ)を土曜日に見に行った。
この1981年西ドイツでの制作…「西ドイツ」なんて表記のことが分からないかもしれない世代の人は、会場にほとんど訪れていなかった。
映画の内容としては、これといった斬新な映像スタイルはないものの、軍の文化局の意向や、ナチスとレジスタンスの裏取引の事実を見逃さずことなく描いていたところに私は注目した。
登場人物の整理がなかなかつかないので、ごちゃごちゃした感はあるが、でもいい映画だったと思う。
映画では全編にあの歌が流れる。徹底した音楽攻めだった。それほど曲は時代の局面に影響を及ぼしたのだ。歌詞は男性が歌うような内容だが、女性が歌うとまた別の魅力が出る。それもよく感じた。

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