ぱたぱた仙鳩ブログ

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わにがわ神社

2014年05月06日 | インポート

Wanigawa15月6日(火)、香川県木田郡三木町井戸の和爾賀波神社に行きました。鳥居には「鰐川八幡宮」の額が掛かっていました。

ここの神官をされている神内家の先祖の調査を依頼されたからです。

神内家がこの神官をされるようになったのは明治時代中期の神内堅尓(1848~1921)からですが、この父親が神内喬木(1817~93)という儒医です。しばらWanigawa2く前から、その人の書いた漢文集の解読に取り組んでいます。

神内さんの子孫は現在はさいたま市大宮に住んでおられますので、この日は連休で帰省されて、近くのトレスタ白山という施設で8名で打ち合わせ会をしました。

神内喬木の息子に、神内由己(1854~86)という優秀な医師がいましたが、残念ながら33歳で病没します。この会は基本的には彼にスポットをあてた「神内由己顕彰会」と名付けられた会で、1年半後を目標に、展覧会および記念図録の出版を計画しています。

私は、その中で由己の父親の喬木の文集の解読を担当することになりました。

この打ち合わせ会の後に、神社と墓地を訪問しました。きわめて大きく立派な神社で驚きました。またこの神社に祀られているのが豊玉姫、つまりは竜神の娘である乙姫だと聞いてまたびっくり。お聞きするところでは、讃岐には何か所かこの女神を祀っている神社があるそうです。讃岐はやはり古代に海人の手によって建国された場所であることがよくわかります。詳しい伝説は下記サイトをご覧ください。なかなか興味深いです。

http://www.geocities.jp/engisiki/sanuki/bun/san570201-02.html

私が長く住んでいた長野県の安曇野も海人によって開かれた場所であるという伝説があります。今でも、安曇野市から松本市の神社にかけてのお祭りには船の形をした山車が出るのはその名残でしょう。

海に浮かぶ細長い列島である日本の建国にあたって、山人と海人の様々な交流と駆け引きがあったことは、古事記の「海幸彦・山幸彦」の伝説が示す通りです。

甲骨文の「龍」はもと黄河に住んでいたワニを写した象形文字です。現在は揚子江にしかワニは住んでいませんが、古代には黄河にも大型のワニが住んでいて、それを写したということです。決して伝説上の生物ではなかったという話を、以前本で読んだことがあります。

龍神の娘である豊玉姫がワニに乗っているというのは、結構本来の龍の意味に近い伝説の様に思いますし、このワニは現実的には、舟を意味するのだと思います。舟で海から川に入ってそれをさかのぼることはよく昔から行われたことです。

想像を掻き立てられる神社です。