ぱたぱた仙鳩ブログ

徳島から書道文化を発信します。

淡路調査

2014年05月10日 | インポート

5月10日(土)、淡路島に2件の調査に 行きました。

まず第1は、洲本市中央公民館で行われている「庚午事変」パネル展です。徳島新聞に大きく紹介されていたので、興味を惹かれました。

徳島に移住以来、明治3年に起きたこの事件は最も気になっていることの一つです。

淡路島は江戸時代は徳島藩だったのですが、明治3年の廃藩置県の折に、淡路島が淡路県として独立しようとし、それを阻止しようとした徳島藩士が淡路の中心施設を大砲や鉄砲で攻撃し、一般民衆を十数名殺害し、家を数件破壊した事件です。

Awaji1れによって、徳島藩側は優秀な藩士が多く死罪・禁固・遠島刑になり、淡路側は北海道静内へ屯田兵として移住させられるということになり、これがきっかけで二つの地域に溝ができて、結局、淡路島は兵庫県に移管されることになったわけです。

Awaji2この事件は、かつてNHKドラマ「お登勢」や、映画「北の零年」などで大きく扱われましたが、現在は風化しつつあります。再度これを見直して、歴史を再考するとともに、観光資源としても活用しようというものです。

実際、現在でも移住先の北海道の人たちにとっては、まさしくルーツそのものに関わることで、現在も関心は高く、よくツアーで淡路や徳島を訪問される方は多いです。

写真の皆さんは、昨年6月に発足した「益習の集い」の皆さんで、今回のパネル展の主催者です。熱意あふれる説明を頂き、感激しました。「益習」とは、淡路領主の稲田氏の私設学校「益習館」の名前からとりました。この学校の賓師(客員教授)として、大阪から定期的に淡路に教えに来ていたのが、私が以前から調べている篠崎小竹という儒学者です。この学校の庭は素晴らしい造りで、中央公民館の隣にあります。現在は荒れていますが、洲本市では数千万円の予算をかけて、これをこれをリニューアルする工事を初めているそうです。

これに関連する遺跡や石碑は徳島にもたくさんありますので、両方が協力しながら進めていくのが、この事件の犠牲者の供養にもなることだと思います。今後、私のお手伝いできることはしたいと思っていまAwaji3_2す。

次に行ったのが、南あわじ市神代の延命寺です。

このお寺には、篠崎小竹の弟子で、幕末に活躍した沼田存庵の書いた屏風作品が保管されています。その写真を撮らせていただきました。

その後、ご住職に沼田家の墓地にご案内頂きました。雲一つない快晴の中で一人汗ばみながら、存庵の弟の沼田苔堂の墓碑の拓本を採りました。長いこと拓本が採られていなかった古い墓碑ですので、苔がびっしりついていてブラシでこするのがなかなか大変でした。でもきれいに採拓できました。

気候が猛暑になる前に、資料収集をなるべ進めるため、休日は稼ぎ時です。明日の午前中は、松茂町で採拓に取り組みます。