2月18日(日)、朝から、標記の開設のために、学生2名を連れて美馬市脇町の吉田家住宅に行きました。美馬市SSOで、担当の徳山さんと合流、会場に行きました。10時前には到着しました。学生は左から1年生の田中つぐみさんと伊熊麗奈さんです。看板の文字は3年の玉城千博さんの作品です。
最初に、吉田家住宅の生け花作品を観て回りました。右上に見えている扁額は、薩摩出身の漢学者、重野成斎の作品です。彼の実家はもともと紺屋さんで、抜擢されて武士になり、明治時代に帝大で漢学を教え、国会議員にもなりました。明治の漢学の大家です。徳島の藍は全国的に有名でしたから、彼の実家でも徳島産の藍染料を使っていたはずです。吉田家は松茂町の三木家とも姻戚です。三木家の当主で、明治時代に貴族院議員ともなった三木雲城は、日下部鳴鶴・巌谷一六・重野成斎などとも交流がありました。
拡大します。明治30年(1897)に松茂町の三木家に来ていますから、その際に脇町の吉田家にも案内され投宿して書いたものと思われます。落款を読むと、この藍商の吉田家の当時の主人は「青邨」という雅号だったようです。重野成斎については下記サイトをご参照下さい。松茂町の三木氏先世遺徳碑や、眉山大滝山の阿波縬記念碑も彼の撰文になるもので、徳島には縁のある学者です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E9%87%8E%E5%AE%89%E7%B9%B9
假屋崎省吾さんの生けた生け花作品は、家の環境の中にうまくマッチしています。環境と共に生け花作品を鑑賞する方法です。これは書道作品の展示にも大いに参考にすべきだと思っています。
玄関口の一角で、机を出していただき、揮毫を始めました。来客のご希望に応じて、様々な書を書かせていただきました。半紙は無料、色紙は吉田家住宅で用意していただき、1枚200円をいただくことにしました。この日は晴天でしたが、二人のいる場所には冷たい風も吹くので、座席の下には電熱カーペットを敷いてくれてありました。イベントも最終日なので、お客様はひっきりなしに訪れ、書を依頼する方も、次々と現れました。
お子様の名前を書かせていただいています。
色紙に書かせていただいています。一部に顔彩も使って、色を入れました。
岡山県からバイクで来られた男性は、お孫さんの名前を書いてほしいとの依頼です。
地元の飲食店のメニュー表を書かせていただきました。ばら寿司、田楽などのメニューです。これを書いたお礼に、焼きたての田楽を頂きました。二人は、そのあまりの美味しさに驚いていました。
この田楽はうだつの町並みの「ふるさと」というお店で、土日祝のみ販売されているものです。店は吉田家住宅の斜め前にありますが、脇町の背後の山の中腹にある「横倉生活改善グループ」の皆様が経営されています。二人が頂いた田楽には、豆腐・こんにゃく・ゆで卵・ジャガイモなどが入っていました。味噌も豆腐も自家製だということです。炭火で焼いています。1本200円程度です。この日はマジックペンで書かれたメニュー看板が店の前の戸に貼られていましたが、来週からは、二人の書いた筆書きのメニュー看板を使っていただけそうです。脇町に休日に行かれた時は、ぜひお立ち寄り下さい。
この日は、二人は完全にボランティアによる活動です。でも、お客様たちと楽しく会話したり、田楽やお饅頭を頂き、また生け花作品も無料で見ることができ、だいぶ得をしています。何よりも、書道のよい勉強になっています。
奥の土蔵には、假屋崎さんが町の人たちを指揮して作成した。蘭のコサージュが大量に展示されていました。一度に作ったコサージュの数としては世界一で、ギネス記録に認定されたそうです。
これがそうです。素晴らしい情景でした。
この土蔵の1階には、山岡鐡舟の書いた屏風作品も展示されています。今年の4年生の米澤優香さんが、卒業研究で鐡舟の書を扱いましたが、この屏風の存在も教えてあげるべきでした。なお、鐡舟の屏風は、勝浦町の鶴林寺本堂にもあります。
今年の「うだつをいける」もこの日で終了でした。
学生が15時半からアルバイトがあるとのことで、14:15ころにはすべての作業を終了し、移動を始め、15時少し過ぎた頃に大学に到着しました。