今日の話はきわめて個人的なことなのでたぶん読んでも面白くない話&写真も単なる記録写真ということをあらかじめ宣言しておく~。
今年、正月あけてすぐの1月4日に実母が亡くなった。
入院してたし医者から何度も危ない宣言が出てたので、病院から報せがきたときも驚きはしなかった。
その後、父と姉とで葬儀をすませて8月となり迎える初盆。
予定していた納骨が諸事情により、9月になってしまった。
やむをえなかったといはいえ、初盆なのにこんなことでいいのかね~と思っていたら、家人が久しぶりに長めの休みがとれて、ハイになった勢いか何かわからんが、急に「稚内に行く」と、言い出した。
家人は、旭川より北には行ったことがなく、一度、利尻・礼文も含め最北端の地に行ってみたいと熱望。
一方私といえば、3~6歳ころに稚内に住んでいた経験があり、私の人生の記憶は稚内からスタートしたと言っても過言ではない。
どうせ旅行に行くなら、道内限定にしてももっとほかのところがいいな~と思ったが、ふと、「母がもしかして思い出の地として、稚内を見たいと思っているのかもしれない」という気がしたのです。
確証はないけれど、スピリチュアルなお導きって、気づくか気づかないか別として日常的にあると思っているので。
なので、私にとっては思い出の地を訪ねることが今回の旅の中でもっとも重要なことだったのです。
昔、南稚内駅のすぐ裏手の緑町に住んでいました。
家のすぐそばに神社とお寺があった。
調べてみると、大黒南神社というところだった。
お寺は道貫寺ということが判明。
家のすぐ近くに土手みたいにちょっと高くなったところがあって、冬にそこにのぼって遊んだときに、このお寺が左側に見えたのが記憶に残ってる。
家の裏手が小さな山?のようになっていて、冬はここから流氷が見えるんですよ。
大人たちが「流氷がきた」とか噂しているのを覚えてる。
その噂がきこえると、ここに登って流氷を見た。
ぼんやりとした記憶でしかなかったのに、50年近くも前に幼かった私が確かにこの場所にいた、と確信できたのはちょっと感慨深かったです。
私が通うはずだった、稚内南小学校。小学校にあがる直前で、釧路に転勤になった。
稚内鈴蘭幼稚園。卒園したところ。実際は卒園式の直前に転勤になっちゃったけど。
ここの2階にヤマハのオルガン教室があって、通っていた(はず)。
子どもの頃、私はすごく怖がりで、小学校の手洗い場にはってあった「ちゃんと手を洗わないと病気になっちゃうよ」的な悪魔のイラスト(?)のついたポスターを怖がったりしていました。
あと、稚内在住時代に見た今も忘れられない怖い夢が、幼稚園でおともだちと体育館で遊んでいたら、気がついたら誰もいなくて、ひとりぼっちになり、急に怖くなるという。そしてその夢の中で流れていたのが「学生街の喫茶店」←(なぜ?)
しばらくは私にとって「学生街の喫茶店」はコワイ歌でした。
子どもの頃はもしかしたら霊感があった?のかもしれない。
ダンプにひかれそうになる夢を何度も見ていた。
今回の旅で、確認したら、国道がすぐ近くにあったので、もしかしたら住んでいた当時に事故でなくなった人がいたのかもしれない。
他、私が風邪をひいたら連れていかれていた「たかはし医院」も探してみましたが、見つからず。「たかはし内科胃腸科医院」→「みなみわっかないクリニック」に変わった? 住所的にはここの可能性が高いのですが、確認できず。
台風が近づいていて、かなりの雨の中、車でまわっただけでしたが、50年近くぶりに訪れたみなみわっかないは感慨深いものがあったのでありました。
ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!