稚内旅行を終えた雑感です。
私が高校生のとき、父親が稚内に単身赴任しており、そのときも1度稚内を訪れていました。
が、そのときは私もまだ若く、両親ともに健在だったので、今とはちがった目で見ていたように思います。
今回、ある程度、自分が歳を重ねて、かつ、写真をとるようになった目をもって稚内に行ってみると、「・・・よくこの土地に自分は住んでいたな」と、思いました。
「地方だから」とディスってるわけではけしてありません。
稚内のもつ、独特の雰囲気に驚いたのです。
やはり、最南端(行ったことないけど)とか最北端とか、とにかく国の「端っこ」にあたる部分は特別な意味を持つ。
独特な磁場(※その場所の雰囲気のこと)があるというか。
以前、知床に行ったときも「異次元感」がありました。
知床五湖のあのあたり、一種のパワースポットになってると思う。
知床に行ったとき、ちょっと体調が悪かったのですが、知床五湖に行ったとたん、何かにエネルギー注入されたように急に元気になった(笑)。
台湾旅行に行ったときは、2匹の龍が、バチバチと火花を散らしているのを感じた。
中国と台湾、それぞれが台湾国境付近で、押しつ押されつせめぎあってる。
台湾を守らないと、日本が危ない! ということが直感的にわかった瞬間がありました。
対して今回の稚内。
異世界感があるのは知床とちょっと似てる。
稚内特有の雰囲気として「死がものすごく近い」こと。
自然が厳しいせいでしょうか。
その厳しさに、人々は抗うことができない。
漁業とか自然を相手にしたお仕事をされていたら、いっそう実感されていることでしょう。
それも一因かと。
もうひとつの要因は、樺太がらみで戦没者がいることによるものかもしれない。
戦争だけではなく、大韓航空機事件でも多くの人がなくなっている。
知床は、異世界だけど、人の意志みたいなものはほとんど感じなかった。
けれど、稚内は異世界感+人の意志、「供養して欲しい」という念波が出ているように思う。
それも、一人、とかでなくて、大人数の集合想念として、そういうものがある。
もし供養してくれそうな人がいたら、その土地にからめとられそう(鈍感な人なら大丈夫でしょうが)。
供養してくれる人を、稚内の外に出さないような磁場がある。(※あくまでも個人の感想です)
最果ての地、あるいは日本(北海道)をすぐ目の前にして亡くなった人たちの無念、望郷、なぐさめを求める心、それがセイレーンのようにその土地に住む人々に歌いかけ続けている。
そしてそのことこそが「絶望的な美しさ」として稚内をとりまいているように感じたのでありました。
一方、写真撮影の観点からいけば、稚内や利尻・礼文はすごく魅力的。
北海道のネイチャーフォトの有名どころといえば、まっさきに美瑛とか道東が浮かぶ。
確かにいいところだけど、フォトグラファーがもう渋滞するほど押し寄せているので私としてはあまり魅力を感じない(←へそまがりなので)。
けれど、稚内近辺なら作品として写真を撮っている人は(いるかもしれないけど)まだそれほど多くはない。
廃墟系が好きな人にはたまらないところだと思います。
長々、書きましたが結論。
霊的に敏感な人が稚内に行くときはお守り(ちゃんと効くやつね!)をもっていくこと推奨なお話なのでした。
おわり。