「蟹工船」を図書館から借りてきて読んだ。
最近、なぜか昭和初期に書かれたプロレタリア文学の「蟹工船」がブームになっているそうだ。
近年、正規雇用でない人たちの「ワーキングプア」現象などがめだち、恵まれない低層労働者として、似ている点があるからだと言われている。
それにしても、大正・昭和初期の、労働者が奴隷のように働かされた状況と、現在の状況とは、大分違うのではないかと思えるが、とにかく文庫本が若い人たちによって購入され、しかも読後感を聞くと、多くの人が同感する部分が多いなどと答えているようである。また、団塊の世代など、昔読んだことのある人がもう一度読むということも多いようだ。
ということで、私も後者のうちに入る。
このブログで、以前書いたことがあるかと思うが、私は高校生のころ、伊東整の「若い詩人の肖像」にはまり、その中に描写されていた小林多喜二にも関心をもつようになった。
伊藤整も小林多喜二も北海道小樽の出身だった。その後、結構プロレタリア文学を読み、また、共産党の上映した「小林多喜二」を見に行った。当時、父の勤めていた会社は非常に労働組合の活動が活発で、その映画もその関係で見に行ったのだった。多喜二役は山本圭だったと思う。特高につかまり拷問で殺されるシーンは今でも脳裏に焼きついている。
高校時代に読んだ蟹工船を今読み直してみて、全くどの場面も具体的に覚えているものがなかったということがわかった。
この小説には主人公や具体的な固有名を持った登場人物が出てこないのである。また、蟹工船でありながら、蟹や蟹を捕って加工する具体的な情景などがあまりくわしく書かれていない。蟹に関しては、作者本人が蟹工船に乗って本当に体験したことではないから、書いていないのではないかとも思えた。
登場人物に関しては、固有名があったほうがいっそうわかりやすそうなものだが、これは意図的なのだろう。個人の特質や個性でこの物語が発生しているのではなく、社会状況、階級やその人間の役割によって、その人格や状況が必然的に起こっているのだから、むしろ個人名をつけないほうがいい。
特に、最後のほうでわかったことだが、労働者に関しては、ストライキをするにしても、誰か特定の人間が代表者になって先導したとなると、その特定の人間だけが懲らしめられ抹殺されておしまいである。だから、労働者という全体一団として活動しなければ意味がないと書かれている。そのような考えにより、多喜二は個人の苦しみや体験ではなく、あくまでも社会構造として描くために固有名を使わなかったということだろう。
今まで考えたこともなかったのだが、それが「プロレタリア文学」の特徴のひとつでもあるのだろう。
しかし、固有名がないからといって、個人の様子が書かれていないわけでもなく、死んでいった人間個人についても、中心になって活動した人間についても、また、搾取するほうの人間についても、いろいろ印象に残るものがあった。
今の社会に照らしてみると、現在はこうやってストライキをするノウハウはすでに誰でも知っているし、公然と行われており、社会でも認められる状況となっている。
そして、労働中に栄養失調にされたり、体罰によって命を落とすなど、そのような残酷な状況は確かにないといえるだろう。
しかし、非正規雇用の労働者では、サービス残業が普通であり、有給休暇も実際には取れないという職場も多く、安い賃金では生活できない場合も多い。このような状況を改善するために、上司に談判などし、ほんとうに行動に移す人は少ないし、ましてや団結して行動を起こすこともほとんどない。いやならやめてもっと条件のいい職場を自分で探して移っていくしかないし、それができないのは個人の能力がないからということとなっている。
現代社会では、安月給の労働者といっても、暇つぶしに働いているものもあり、生きるために働くものもありと、状況はさまざまなので、安月給のままでいいとするものさえいるため、団結することもできないのだ。
非正規社員は、決して生死がかかわるわけではなく、露骨に暴力を振るわれるわけではないにしても、社会の中で一人前の人間として認められないような精神的苦痛がなきにしも非ずで、そのような場合は一人の人間の尊厳がないというのだろうか、その辺が似ているといえば似ているといえるのだろう。
ただ、やはり蟹工船の時代に比べたら、現代は労働条件や作業場の衛生や安全など、もう雲泥の差であり、日本全体が豊かになったとしか言いようがない。
この作品が再び売れたことには、そのほかに大きな要因があることを発見した。
つまり、この作品には著作権がないのである。
この作品が書かれたのは1929年(昭和4年)であり、作者は1933年(昭和8年)に30歳で亡くなっている。創作からも50年以上たち、死後も50年以上がたち、著作権が切れているのである。だから、蟹工船は「青空文庫」の中に入っていて、誰もが自由に取り扱うことができる。
そんなわけで、漫画「蟹工船」というのがあるらしいが、そのような二次著作物も作者の許可無く自由に作れるために、再び人の目に前に出てきやすくなったといえるだろう。
漫画「蟹工船」が出たことによって原作も再び脚光を浴びているようであり、このことは、作者が早くに亡くなっているからであると言えるだろう。
皮肉なことだが、作者は天国でこの様子を見ているかな~。
この間、ちょうど北海道に行ってオホーツク海を見てきた。
そのときのオホーツク海はまるで湖のように静かだった。
あの平和な海で、こんな過酷な蟹工船が漁をし蟹を加工していたというのが、想像もつかないほどだ。
このごろ私は、偶然なのか、何かと北海道に関係したことに目を向けているようである。
今度は、ぜひとも「小樽」に行ってみたいものだ。
最近、なぜか昭和初期に書かれたプロレタリア文学の「蟹工船」がブームになっているそうだ。
近年、正規雇用でない人たちの「ワーキングプア」現象などがめだち、恵まれない低層労働者として、似ている点があるからだと言われている。
それにしても、大正・昭和初期の、労働者が奴隷のように働かされた状況と、現在の状況とは、大分違うのではないかと思えるが、とにかく文庫本が若い人たちによって購入され、しかも読後感を聞くと、多くの人が同感する部分が多いなどと答えているようである。また、団塊の世代など、昔読んだことのある人がもう一度読むということも多いようだ。
ということで、私も後者のうちに入る。
このブログで、以前書いたことがあるかと思うが、私は高校生のころ、伊東整の「若い詩人の肖像」にはまり、その中に描写されていた小林多喜二にも関心をもつようになった。
伊藤整も小林多喜二も北海道小樽の出身だった。その後、結構プロレタリア文学を読み、また、共産党の上映した「小林多喜二」を見に行った。当時、父の勤めていた会社は非常に労働組合の活動が活発で、その映画もその関係で見に行ったのだった。多喜二役は山本圭だったと思う。特高につかまり拷問で殺されるシーンは今でも脳裏に焼きついている。
高校時代に読んだ蟹工船を今読み直してみて、全くどの場面も具体的に覚えているものがなかったということがわかった。
この小説には主人公や具体的な固有名を持った登場人物が出てこないのである。また、蟹工船でありながら、蟹や蟹を捕って加工する具体的な情景などがあまりくわしく書かれていない。蟹に関しては、作者本人が蟹工船に乗って本当に体験したことではないから、書いていないのではないかとも思えた。
登場人物に関しては、固有名があったほうがいっそうわかりやすそうなものだが、これは意図的なのだろう。個人の特質や個性でこの物語が発生しているのではなく、社会状況、階級やその人間の役割によって、その人格や状況が必然的に起こっているのだから、むしろ個人名をつけないほうがいい。
特に、最後のほうでわかったことだが、労働者に関しては、ストライキをするにしても、誰か特定の人間が代表者になって先導したとなると、その特定の人間だけが懲らしめられ抹殺されておしまいである。だから、労働者という全体一団として活動しなければ意味がないと書かれている。そのような考えにより、多喜二は個人の苦しみや体験ではなく、あくまでも社会構造として描くために固有名を使わなかったということだろう。
今まで考えたこともなかったのだが、それが「プロレタリア文学」の特徴のひとつでもあるのだろう。
しかし、固有名がないからといって、個人の様子が書かれていないわけでもなく、死んでいった人間個人についても、中心になって活動した人間についても、また、搾取するほうの人間についても、いろいろ印象に残るものがあった。
今の社会に照らしてみると、現在はこうやってストライキをするノウハウはすでに誰でも知っているし、公然と行われており、社会でも認められる状況となっている。
そして、労働中に栄養失調にされたり、体罰によって命を落とすなど、そのような残酷な状況は確かにないといえるだろう。
しかし、非正規雇用の労働者では、サービス残業が普通であり、有給休暇も実際には取れないという職場も多く、安い賃金では生活できない場合も多い。このような状況を改善するために、上司に談判などし、ほんとうに行動に移す人は少ないし、ましてや団結して行動を起こすこともほとんどない。いやならやめてもっと条件のいい職場を自分で探して移っていくしかないし、それができないのは個人の能力がないからということとなっている。
現代社会では、安月給の労働者といっても、暇つぶしに働いているものもあり、生きるために働くものもありと、状況はさまざまなので、安月給のままでいいとするものさえいるため、団結することもできないのだ。
非正規社員は、決して生死がかかわるわけではなく、露骨に暴力を振るわれるわけではないにしても、社会の中で一人前の人間として認められないような精神的苦痛がなきにしも非ずで、そのような場合は一人の人間の尊厳がないというのだろうか、その辺が似ているといえば似ているといえるのだろう。
ただ、やはり蟹工船の時代に比べたら、現代は労働条件や作業場の衛生や安全など、もう雲泥の差であり、日本全体が豊かになったとしか言いようがない。
この作品が再び売れたことには、そのほかに大きな要因があることを発見した。
つまり、この作品には著作権がないのである。
この作品が書かれたのは1929年(昭和4年)であり、作者は1933年(昭和8年)に30歳で亡くなっている。創作からも50年以上たち、死後も50年以上がたち、著作権が切れているのである。だから、蟹工船は「青空文庫」の中に入っていて、誰もが自由に取り扱うことができる。
そんなわけで、漫画「蟹工船」というのがあるらしいが、そのような二次著作物も作者の許可無く自由に作れるために、再び人の目に前に出てきやすくなったといえるだろう。
漫画「蟹工船」が出たことによって原作も再び脚光を浴びているようであり、このことは、作者が早くに亡くなっているからであると言えるだろう。
皮肉なことだが、作者は天国でこの様子を見ているかな~。
この間、ちょうど北海道に行ってオホーツク海を見てきた。
そのときのオホーツク海はまるで湖のように静かだった。
あの平和な海で、こんな過酷な蟹工船が漁をし蟹を加工していたというのが、想像もつかないほどだ。
このごろ私は、偶然なのか、何かと北海道に関係したことに目を向けているようである。
今度は、ぜひとも「小樽」に行ってみたいものだ。