山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

地震からの1週間(3月12~15日)

2011-03-18 23:43:17 | 日記
3月12日 土曜日
前夜は、何かと落ち着かず、東北のほうでは大変なことになっているので、家事でもしていようと思っていたら、友人から電話がありました。
スポーツジムに行く予定が、ジムが閉鎖してやっていないので、昼ご飯を一緒に食べようということです。それで、暢気に外食をしてました。
11時に友人と待ち合わせていて、その前に、昨日閉まっていた大型スーパーを通りかかると、なんと、レジまでのものすごい行列。

 

レジから、フロアの端まで並んで(写真左)、そこから曲がってさらに続いています(写真右)。人数を数えると50人くらい並んでいました。昨日急に閉店してしまって買えなかったから、今日買いに来たのだろうと思いました。
昼ご飯をゆっくり食べて、友人と別れたあと、夕飯の材料を買いにそのスーパーに寄りました。もう何時間もたっているので、空いていると思いました。3品くらいかごに入れてレジを見ると、なんと同じです。無理です。カゴの物を売り場に戻して、買わずに帰りました。
この時、買おうとした冷凍うどん3個パックを冷凍庫に戻しに行ったとき、「何にもないぞ」と言って近づいてきたカップルが、「あっ、うどんが1コだけあった!」といって、私が置いたのをすぐさま買って行きました。わたしがカゴに入れたときは3個くらいあったものです。ちょっと嫌な予感がしました。やっぱり買うべきだった?

今思えば、この日はまだ品物はあったのでした。



駅ビルは休みだったので、友人は別の駅ビルに行く予定があったのですが、そっちもやっていないかもと悩んでいました。電車は朝から動いてました。

3月13日 日曜日
自宅には、あまり食材がないので、アパートから避難してきた長女と夫と、昼ご飯を食べにいきました。
レストランはやっているのです。現金がないので、カードで食べられる店で。
今考えると暢気ですね。
帰りに大型スーパーで物を買おうとしたら、多くの食材がかなり少なくなっていました。店の人に品物が入らないのかと聞くと、入っては来るがいつもより量が少なく、それ以上に、買う量がものすごく多いので、入荷してもすぐに売り切れてしまうとのことでした。昼ごろに来ればあるそうです。

3月14日 月曜日
昼に買い物にはいけないので、出勤前にコンビニで何かを買っておくことにしました。5食入りのインスタントラーメン、レトルトのミートソース・カルボナーラ各1、さんまの缶詰2個、コーンの缶詰1個を買って、レジ袋を提げて出勤。何という姿。昼ごはんは弁当持参。

夕方は、大型スーパーにはほとんど何もないので、駅から離れた小型スーパーで買い物をして帰りました。
スパゲッティー1袋(米がないので、代わりの炭水化物)
トマトジュース小さいの4缶(非常用水分として。飲料水・お茶のペットボトルは皆無、炭酸飲料のみあり)
コーンの缶詰3連(いざとなったらご飯代わりにもなる)
三つ葉(唯一一束だけ残っていた葉物野菜)
うにせん(菓子類はいくらかあった)
豆腐1個(わずかに残っていた)
梅干し1パック(漬物は比較的売っている)
焼のり袋(乾物も比較的残っている)
ミートドリアソース1人前入り4個(自宅の冷凍庫のご飯をいためて、上に載せて食べるため)
チキンライスの素1個(冷凍ご飯を炒める)
チーズチキンカツ(4個入り)、春巻き(冷蔵5個入り1箱)(精肉類は皆無ですが、出来たお総菜は売っています。)

米は家にも2~3回炊く分しか残っていないし、店にも売っていません。
いざとなったら、小麦粉や天ぷら粉を使って何か作れば生きていけるでしょう。


3月15日 火曜日
昼休みにコンビニにお昼を買いに行くと、おにぎりもお弁当もパスタもサンドイッチもパンも何もありませんでした。驚きです。
レジで売っているコロッケやカラアゲ、肉まんなどはありました。アメリカンドックを買おうとしたら、1つだけ残っていたのを別の人が頼んだところでした。しかたなく、肉まんとピザマンを買いました。同じ会社の男性社員は、しかたなくカップヌードルを買ってました。
今思うと、このときはまだカップヌードルはあったのですね。

昼ごはんは持っていかなくてはだめですね。

次の記事に続く。

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地震から1週間

2011-03-18 22:53:47 | 日記
長かったような短かったような1週間でした。先週の今日、あの地震が起きたのですね。
東北地方では、大津波により何千人もの方が命を失い、さらに何千人もの方が行方不明になったままです。突然のできごとで、そんなにたくさんの命が奪われてしまうなんて、本当に恐ろしいことです。人間、一瞬先に何があるかわかりません。被災地のみなさん、どうか頑張ってください。そして、原発に必死の対応をしている方々も、どうか気をつけて頑張ってください。1日も早く、安心できる日がくることを祈ります。

結局自分自身は、深刻な状況ではなく、それほどの危機感もなくすごしました。
とりあえず、この1週間を振り返ってみます。

3月11日金曜日

仕事をしていると、ビルがゆさゆさと揺れてきました。震度3くらいの地震はこれまでにもあったので、ちょっと大きいとは思ったものの、そろそろおさまると思い始めた時、意外にも、さらに大きな激しい揺れが始まりました。
すると、周囲でバキン、パン、バ~ン、バ~ンという物が破壊される音が立て続けにして、あ、これはただの地震ではない、建物が壊れるかも、と覚悟したとき、だんだん揺れがおさまり地震は終息しました。
職場は、比較的広々としていて、机の上などもパソコンと書類以外にはないのですが、周囲には本棚が並んでいます。窓際の本棚の1つが倒れてしまいました。その音が一番すごかったようです。地震の転倒防止用の器具がついていたにもかかわらずです。他にもいろいろ破損が起こりましたが、けが人などが出なかったのはよかったです。
娘2人は大丈夫かとすぐメールをしましたが、送れませんでした。窓から周囲の建物をみると、古い民家でもつぶれていなかったので、たぶん大丈夫だろうと思いました。
周囲の建物からは人々が外に出てきていましたが、うちの会社では一通り社内を点検をしたのちに、すぐに日常の業務に戻りました。その数十分後に下から突き上げるような茨城を震源地とするちょっと大きな地震もありましたが、納期に追われる仕事が多く、揺れながら作業を続ける状況でした。

仕事帰りに、いつものようにスーパーで買い物をして帰ろうと寄ったところ、お店はみんな閉まっていました。棚の物なども落ちてしまったのでしょうし、エレベーターなども停止し、安全点検をしなければいけないようでした。



別の離れたところにある小さなスーパーはやっていましたが、ちょうどレジの具合が悪くなり、店員さんが困っていました。地震の影響かもしれません。
そのスーパーは、以前私が勤めていたのと同じ系列のスーパーで、日ごろから店長などは不在が多く、何もかもパートタイマー任せの店です。火災のときのマニュアルはあるのですが、地震のときのマニュアルはなく、そのまま営業を続けていたようでした。商品の落下などの被害はあまりなさそうで、その店が開いていたおかげで買い物はできましたが、一旦閉めるべきであるようにも思います。近くの薬局などは全部閉めて対応していたようです。


夕方5時現在、電車は停まっていて、改札口に人が集まってしました。このときは、1時間もすれば動くだろうと軽く考えていました。

長くなるので、翌日の事は次の記事で書きます。
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