山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

アタマに歌が・・・

2014-11-26 21:11:06 | 音楽

最近は、相変わらず櫻井有紀さんの歌ばかり聴いている。Raphaelとriceである。
歌は若いころよりも近年のほうが上手で、特に2012年のころの声がきれいだと思う。
最近のは確かに上手だが、歌の感じが長く音を伸ばすメロディーではなくなってきているので、その美しさに聴き入る機会が少ない。また、日常的、現代人の自然の姿になっている。

raphaelの頃は、ビジュアル系というのか、素顔もわからないようなメイクと物々しい服装だった。西洋の昔風のものも多く、とても不思議な雰囲気である。「秋風の狂詩曲」や「花咲く命あるかぎり」等、この人たちは、中世のヨーロッパの人たちの生まれ変わりなのではないかと思うほどだ。

華月と言う人は、ちょっと見たところどこがいいのか、最初はわからなかったが、武道館の公演のときの、ステージで客席に向かって話す姿に感銘を受けた。物事を深くしっかりと考えている人である。高校を中退し、音楽の道を突き進んで、高校の卒業式の代わりにコンサートを開いた。10代の少年たちにとって、それはどんなに大きな、労力と精神力を要する事だっただろうか。リーダーとして、その責任を背負っている姿にも見えた。

普通の少年だったら、音楽を趣味として同好会やアマチュアグループに甘んじているだろう。勉強をしながら、大学なんかにも入って、適当に楽しみながら折り合いをつけて行くのではなかろうか。しかし、際立った才能を持ち、自分の道に早く目覚めてしまった者には、それなりの苦しみと覚悟がいる。それを正面から言い開くところがすごい。

「雪の人形」のことも初めて知った。これも衝撃的な話だ。命について真剣に受け止める人だった。この数カ月後に、華月自身が亡くなっていることにも、不思議な因縁を感じる。

一方、yukiのほうは、映像をみると、いつもちょっとおどけているところがある。華月のようにフアンに向かって、正面から本音をぶつけるようなことはしない。カメラに向かって話すとき等は常におちゃらけている。だからって、中身がないわけではなかろう。華月の作った歌を歌い、華月の詩にメロディーをつけ、共に音楽を作ってきた、最も華月の精神を理解していた人だったはずだ。
そして、年を取るごとに、あの物々しい化粧や衣装がなくなり、別人のようになってきた。今はほとんど素顔で、服装も普通の人になった。

10代のころは、「神がかり」みたいなものが誰にもあるのかもしれない。それに乗って才能を発揮する。19歳くらいが1つの山である。

数日前、武田鉄矢さんがテレビに出ていて話していた。山の頂上に登った人は、必ず下山しなければならない。その下山が難しい。頂上にい続けるのは苦しい。山の上は酸素も薄い。そして下り方が難しい。間違えると滑落する。人は山を降りてから、登頂したことを実感する。もし登頂したまま下山しなければ・・・それは遭難である。
芸能人は登頂したり下山したりする人生を歩むことが多いだろう。

Raphaelは、残念ながら華月が亡くなりその後の活動が停止した。その後も残された3人は、歩み続けなければいけない。
考えれば、まだまだ若い。若すぎるくらいだった。全くこれからの人生だ。
10何年も経っても、まだ30そこそこなのだ。

私は、ラファエルの歌を初めて知ったわけではなかった。
Lost graduation ・・・これは確かに昔聴いたことがあったと思う。聴いてみたら記憶があった。

こんなオバサンが、今ごろになって、いろいろ考えさせられている。

話が逸れに逸れまくりました。
そんなわけで、仕事中もアタマの中に「秋風の狂詩曲」が流れっぱなしで、なかなか仕事に集中できず、大変な目にあっています。

Kage okuri ( 影送り ) - rice - Rikkyoku Sympathy



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更年期障害

2014-11-26 15:54:19 | 日記
今日、マッサンの後、NHKで更年期障害のことをやっていた。
女性の更年期は40~50代にやってくるという。
私の場合、40代ではまだ大丈夫だった。これこそ更年期障害だと実感したのは、53歳くらいからのホットフラッシュである。あとは、アタマが悪くなった。全然覚えられない。覚えたつもりでも忘れてしまう。
まあ、このくらいだからマシなほうなのだろう。

しかし、今日出演していた池上季実子さんの話を聞いて、「気力がなくなる」というのを知った。なんだかパワーが出ない。その日にやろうと思ったことが、翌日になり、また翌日になりと延ばしていき、結局いつになってもできない、などということがあり、自己嫌悪に陥ってしまう。若い時は、もっとどんどんと物事をこなしていったのに、と思う。
それも更年期の症状のひとつだったのかと知った。

肌や美貌が衰えるのは仕方がないけど、何をやっても昔のようにはかどらないのが辛い。放送大学の単位が取れない。1冊の本を読むのに時間がかかりすぎる。

なかなかやる気がでないのは、更年期障害なのか、うつ病なのか区別がつかなかったりする。女性ホルモンが足りないとして、それを病院の注射などで補ったとしても、永久に補い続けるわけにもいかないだろうしなあと思う。
今までできていたことが出来なくなったのは、自分が怠けものだからというわけではないということが分かったのはせめてもの救いだ。
更年期のわりには頑張っていると思うことにしよう。

池上季実子さんは、私より丁度1歳年上である。女優にしては、あまりエステなどはされていないようで、普通のおばさんっぽく、自然体である。若いころに比べると、太ってもいる。洋服を着ていると、ファッションもどうということはなく、美しいとは言えないが、和服姿となると格段にきれいになる人だ。
今日のテレビでの話では、ブログを書くことにより、生活に張り合いが持てるとのことだった。

ブログは確かにそういう効果があると思う。

身体が老化するのは怖い。いつまでも若々しくありたい。しかし、実家の母などをみると、80歳をすぎたらもっとすさまじい悩みがあるのだ。もっとシワシワだし、身体も思うように動かなくなってしまう。それでも、前向きに生きているところは偉いと思う。

50代なんて、まだこれからである。
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欲速不达(急いては事を仕損じる)

2014-11-26 00:24:18 | 日記
今朝、フジテレビの“とくダネ”を見ていたら、菊川怜の「また挟まりました」という話題紹介の言葉に笑ってしまった。

またまた、中国人の子供が柱の間にアタマを挟んで動けなくなったという事件だった。レスキュー隊が駆けつけて、柱を削ろうとしたりしたが、結局アタマにオイルをかけて潤滑油とし、隙間から出すことができたそうだ。
身体が物に挟まって動けなくなった子供のニュースは、本当に中国に多い。
逆に、そんなニュースは日本ではほとんど聞かない。アメリカでは、挟まるものは、だいたい動物なのだそうだ。

いったい、どうして中国人はこうも頻繁に挟まるのだろうか?
この番組では、その原因が分析されていた。
中国人の子供は、一人っ子制度で兄弟がいないので、上の子を見て学ぶことがない。小さい時、1人なので家の中で大切に育てられているが、外に出ると好奇心旺盛で、狭いところに入ってみたり、通り抜けようと思ってしまうので、挟まってしまうのだそうだ。

その中には、二層式洗濯機の脱水機の中にはまって出られなくなった子供や、並んだ椅子の背もたれの隙間に足を挟んで動けなくなった子供もいたが、その他に、大人の女性が狭いところに挟まって動けなくなり、これもレスキュー隊に助け出された映像などが紹介された。

この大人の女性は、近道をしようとして狭いところを通りぬけようとしたら動けなくなってしまったという。中国人は子どものみならず、大人もせっかちなのだそうだ。道理で列に並んで順番を待つことも苦手なのだろう。

また、中国の建造物は、人の頭や足などがちょうど挟まりやすいような大きさに作られているのかもしれない。日本では、そういうものの寸法が安全を考慮して造られているのかもしれない。
中国では「一人っ子だから挟まる」と言うが、日本でも出生率が高いわけではないし、その理屈なら、何人兄弟がいようと、1人目の子供が挟まるはずだが、日本ではそんなことは起こらない。

ところで、番組の中で、中国語のことわざが紹介されていた。

欲速不达  yu su bu da 急がばまわれ
              せいてはことを仕損じる
 (「达」は「達」の簡体字)

しらべてみたら、その他にこういうのもあった。
一口吃个胖子   yikou chige pangzi

一口食べただけで太った人になる。 
すぐに成功を収めようとすること。
堅実な道を歩まないで一挙に成就しようとすること。

ものに挟まって動けなくなるようなことは無いにしても、堅実な道を歩まないで近道をしようとして、物事が身に着かないことはよくある。

物事を省かないで、真面目にやろう。


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