最近は、相変わらず櫻井有紀さんの歌ばかり聴いている。Raphaelとriceである。
歌は若いころよりも近年のほうが上手で、特に2012年のころの声がきれいだと思う。
最近のは確かに上手だが、歌の感じが長く音を伸ばすメロディーではなくなってきているので、その美しさに聴き入る機会が少ない。また、日常的、現代人の自然の姿になっている。
raphaelの頃は、ビジュアル系というのか、素顔もわからないようなメイクと物々しい服装だった。西洋の昔風のものも多く、とても不思議な雰囲気である。「秋風の狂詩曲」や「花咲く命あるかぎり」等、この人たちは、中世のヨーロッパの人たちの生まれ変わりなのではないかと思うほどだ。
華月と言う人は、ちょっと見たところどこがいいのか、最初はわからなかったが、武道館の公演のときの、ステージで客席に向かって話す姿に感銘を受けた。物事を深くしっかりと考えている人である。高校を中退し、音楽の道を突き進んで、高校の卒業式の代わりにコンサートを開いた。10代の少年たちにとって、それはどんなに大きな、労力と精神力を要する事だっただろうか。リーダーとして、その責任を背負っている姿にも見えた。
普通の少年だったら、音楽を趣味として同好会やアマチュアグループに甘んじているだろう。勉強をしながら、大学なんかにも入って、適当に楽しみながら折り合いをつけて行くのではなかろうか。しかし、際立った才能を持ち、自分の道に早く目覚めてしまった者には、それなりの苦しみと覚悟がいる。それを正面から言い開くところがすごい。
「雪の人形」のことも初めて知った。これも衝撃的な話だ。命について真剣に受け止める人だった。この数カ月後に、華月自身が亡くなっていることにも、不思議な因縁を感じる。
一方、yukiのほうは、映像をみると、いつもちょっとおどけているところがある。華月のようにフアンに向かって、正面から本音をぶつけるようなことはしない。カメラに向かって話すとき等は常におちゃらけている。だからって、中身がないわけではなかろう。華月の作った歌を歌い、華月の詩にメロディーをつけ、共に音楽を作ってきた、最も華月の精神を理解していた人だったはずだ。
そして、年を取るごとに、あの物々しい化粧や衣装がなくなり、別人のようになってきた。今はほとんど素顔で、服装も普通の人になった。
10代のころは、「神がかり」みたいなものが誰にもあるのかもしれない。それに乗って才能を発揮する。19歳くらいが1つの山である。
数日前、武田鉄矢さんがテレビに出ていて話していた。山の頂上に登った人は、必ず下山しなければならない。その下山が難しい。頂上にい続けるのは苦しい。山の上は酸素も薄い。そして下り方が難しい。間違えると滑落する。人は山を降りてから、登頂したことを実感する。もし登頂したまま下山しなければ・・・それは遭難である。
芸能人は登頂したり下山したりする人生を歩むことが多いだろう。
Raphaelは、残念ながら華月が亡くなりその後の活動が停止した。その後も残された3人は、歩み続けなければいけない。
考えれば、まだまだ若い。若すぎるくらいだった。全くこれからの人生だ。
10何年も経っても、まだ30そこそこなのだ。
私は、ラファエルの歌を初めて知ったわけではなかった。
Lost graduation ・・・これは確かに昔聴いたことがあったと思う。聴いてみたら記憶があった。
こんなオバサンが、今ごろになって、いろいろ考えさせられている。
話が逸れに逸れまくりました。
そんなわけで、仕事中もアタマの中に「秋風の狂詩曲」が流れっぱなしで、なかなか仕事に集中できず、大変な目にあっています。
Kage okuri ( 影送り ) - rice - Rikkyoku Sympathy