山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

なぜ同じことを・・・

2018-07-07 15:33:49 | 日記2018
今朝、トイレの水が止まらなくなった。
私は怒る。
同じことが1カ月くらい前にも起こったのだ。

原因は、夫がトイレの洗浄剤をトイレタンクに入れたことである。
「トイレにドボン」とかいうものかな?
夫が勝手に買ってきて、使用しているらしいのだ。

これは、塊になっていて、タンクの中でだんだん溶けていくらしい。
その成分が水と一緒に便器に流れると、汚れがつきにくいということらしい。

しかし、この塊がだんだんに溶けていくうちに小さくなると、タンクの底で動いて「浮きゴム」と排水管の入り口の間に挟まってしまい、その隙間から水が延々と流れ続け、永久にタンクに水が貯まらない状況になってしまうのだった。

今朝、私が起きてトイレに行き、それから2時間くらいたってトイレに行くと、まだ水が流れているのである。
レバーを動かしてみると、まるで手ごたえがない。タンクの中は、水がからっぽの状態だ。
全部流れ出ているのだった。

夫がトイレを使った直後なのかと思ったが、夫がトイレ付近に来た姿は見かけていないので、私が朝起きて使ってからずっと流れ続けていたことがわかった。
どんだけ水道を無駄にしていることか。

こんな状況が、1か月くらい前にも起こり、そのときは夫が発見し、トイレが壊れたと大騒ぎし、水道業者を呼ばねばならない等と極端なことを言っていたが、私が浮きゴムが排水管にはまっていないのでは?と思って見たら、そういうことになっていたのだった。

大昔、鎖がからんで短くなり、浮ゴムが管からずれて水が流れ続けていた経験があったのでわかった。

夫は、このような「装置」や「構造」というものに、極端に理解力が欠如しているため、原因の究明もできなければ、対策もできない人間なのである。

それにしても、1度起こした失敗を、またなんで繰り返すのか?!
そのことが信じられない。

もしまた入れるのだったら、網等に入れてぶら下げたりするしかなかろう。
まさか、全く同じことをするとは思わなかった。

夫が言うには、以前は錠剤を入れても、そんなところに挟まらなかったので、最近、タンクが弱ったのだ、などと、まるで意味不明な言い草である。弱るってなんだ???

それは、錠剤が全部溶けるまで運よく挟まらないこともあるだろうし、挟まることもあるだろう。
それは確率の問題で、挟まる可能性があるかぎり、そんなものを使われては困るのだ。

以前は何度入れても挟まらなかったのに、最近挟まるのであれば、その製品のかたまりの密度や重さが変化して、水中で動きやすくなったのかもしれない。水流の強さや、水の温度との関係で溶け方や浮き上がり方、水中での動き方が変化することもあるだろう。様々な要因があり、それだ何だろうと、挟まったら困るのだ。

挟まっただけならまだしも、もう少し小さくなって管の中に入って詰まってしまったらどうするのだろうか?

夫の言い分としては、それを使うと便器に汚れがつかないのだそうだが、便器の掃除をしているのは私である。

また、その錠剤はいつ入れたものだかわからないが、つい最近、便器に貯まる水が泡だらけになっていたので、便の形状が確認できないなと思っていたところだった。

夫に文句を言って、挟まっている錠剤をタンクから拾い上げさせた。

夫はゴミ箱に捨てていた。

全くもう、同じ間違いを繰り返さないでもらいたいよ!





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スコール(rice)

2018-07-07 15:20:03 | 音楽
前記事に載せたMVに流れている櫻井有紀さんが歌う歌「スコール」について。

櫻井有紀さんの作詞作曲だと思うのですが、riceの歌には、「雨」のことを歌っている歌がいくつかあります。
私が知っているのは「rain」「Tera」そしてこの「スコール」。どの雨も良いです。
雨という自然環境と、人の心との一体化っていうのかな。

スコールは、過去に暮らした町と、雨の思い出と共に、人生を振り返っているような内容。そして、これからにつなげていくという前向きな心。
とても素直で、さわやかな歌です。

歌詞を引用させていただきます。

♪ 泣き笑いの不器用な日々
そしていつしか僕も大人になった
この町を訪れるたびに 今も思い出すやわらかな夏の雨
たわいのない言葉たちも全部こぼさずに
あしたに つなげていこう
いとしくて いとしくて
だけどいつも とどかない僕の声は
あがくほどに もがくほどに
雨音に包まれた  ♪


この歌が、「田舎くさくて昭和の雰囲気」というのは、ほかでもない私個人の感覚です。
なぜならば、この歌詞を自分に置き換えると、自分が子供の頃育った田舎の町を思い出すからなのです。そして、それが昭和の時代だったからです。

「この町」って、この歌を聴いた人が、それぞれの町を思い出すとすれば、
もしかしたら、大都会の「渋谷」かもしれないし、「横浜」かもしれないし、
東北の町か、瀬戸内海の町か、みんなそれぞれなんでしょう。
そして、そこに「雨」が降っていたことも確かにあるでしょう。

「やわらかな夏の雨」
このことばで、私がいつも思い出すのが西脇順三郎の詩

「雨」
南風は柔い女神をもたらした。
青銅をぬらした、噴水をぬらした、
ツバメの羽と黄金の毛をぬらした、
潮をぬらし、砂をぬらし、魚をぬらした。
静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした、
この静かな柔い女神の行列が
私の舌をぬらした。

夏の雨は「やわらかい女神の行列」って感じですね。
雨は決してイヤなものではなく、うるおしてくれる優しいものです。
時には、苦しい想いを雨音が包んでくれたり、洗い流してくれることもあるかもしれない。

櫻井有紀さんの詩の中によく出てくる言葉
泣き笑い
不器用
いとしい
あがく
もがく

誰もがみんなそうかもしれない。
そうやってみんな大人になったのだ。

思春期の頃の、届かぬ想いなんかも、故郷の情景と共に思い出すなあ・・・

私なんか、既に、おばあさんになりそうだけど、このあいだ、生まれた頃の町に行ってみて、本当に懐かしかった。
自分は、そこで育ててもらったんだ。
そんな愛を感じつつ、これからも生きて行こうと思う。
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