山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

「淳 jun 」(土師守)の読後感

2021-04-13 14:48:11 | 読書

土曜日に図書館から借りて来た本を、日曜に読み終えました。

これは、1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の被害者「淳君」のお父さんの手記です。

この事件は、当時日本中を震撼させ、誰もが知っている事件ですが、私は自分の子供が同年代ということもあって、より一層ショックを受けた事件でした。

この度、この本を開いてみると、まず淳君の0歳~8歳までのカラー写真が載っていて、それは目のぱっちりしたかわいい男の子でした。

上には3歳違いのお兄ちゃんがいて、2人目は女の子が欲しいと思っていたので、小さいときは赤っぽい服を着せたりしていたそうです。

淳君は少々言葉の遅れがあり、軽度の知的障害があったそうですが、明るく心の優しい少年で、普通の子供と同じように日常生活を送っていたそうです。

水泳が好きで、機関車トーマスが好きで、歴史もののテレビドラマが気に入っており、それから歌も好きでした。

淳君は1986年2月10日生まれだったことがわかりました。我が家の長女は1985年11月生まれです。淳君と同じ学年だったということがわかりました。

そういえば、うちの子供も3歳からプールに通っており、小さいときは機関車トーマスが好きでよく見ていました。絵本も買いました。全く同年代です。
うちの娘は今35才です。淳君も生きていたらそんな年齢になっていたということです。

淳君が突然行方不明になったのは、6年生の時の5月24日でした。おじいちゃんの家に行くと言って出たきり帰ってきませんでした。

それから家族は睡眠も食事もできない状態で、血眼になってあらゆるところを探し回りました。警察や学校関係・近所の人・親戚の人も必死に探しましたが何の手掛かりもなくその後2日が過ぎました。

ある日突然自分の子供が行方不明になって、消息がわからないなんて、家族は本当にいたたまれないと思います。それでも、まだどこかで見つかるという希望はありました。

しかし、27日に殺人事件の犠牲になっていたことが判明しました。(詳細は残酷すぎて、とてもここに書けるような内容ではありません。)

それからしばらくは犯人を逮捕することができませんでしたが、その年の8月に近所に住む少年Aの犯行であることが証明され逮捕に至りました。

少年は、以前から淳君と知り合いで、カメの好きな淳君にカメを見に行こうと言って誘い、犯行に及んだということです。(淳君は以前自宅でカメを飼っていましたが、ほどなく死んでしまったので、少年Aの家で飼っているカメを見に行ったことがあるそうです。)

当時、加害者の行った無残な行為については、誰もがショックを受け、それが14歳の少年の犯行だったことにも驚きと恐怖を覚えました。こんな不気味な事件はいまだかつてなかったと思います。

当時、一般人はそういう恐れだけがあって、毎日テレビの報道を見ていたと思います。

その時、被害者の家族の立場になって物事をどれだけ考えることができたでしょうか。

かわいそう、気の毒だ、とは誰しもが感じたことですが、それよりもこの異常な犯人像に関心が向けられて、毎日テレビにくぎ付けになっていたと思います。

殺人事件が発覚してからは、警察の動きがより激しくなり、マスコミも押しかけてきました。
土師守氏によれば、犯人がわからない時点では、警察は家族のアリバイまで精密に調べたそうですが、それは一貫して公正なものであり、あくまでも真実をつきとめるためのものだったということです。また、自宅に待機してくれた警察は、買い出しやマスコミ対応もしてくれたということでした。土師氏は警察に対してはこの手記の中で感謝の気持ちを綴っていました。

一方、マスコミというのは、容赦なく私生活に踏み込んできて、ある時は親を犯人扱いにしたり、いきなり車の前に立ちふさがって写真を撮影したり、我が子を亡くしたばかりの親にマイクを向けたりと、あまりにもひどい行為を繰り返しました。

また、週刊誌などには事実とは違うことが、さも事実のように書かれたそうです。
また、被害者の住所氏名が公開され、家族の職業や勤め先までもが世に知らされたので、一般人からも心無い電話や手紙が来たりしました。

この手記を読んで、事件の被害者になった家族は、大切な家族を殺されたというだけでも。耐えきれない苦しみの中に置かれているというのに、さらに個人情報が暴露され、有ること無いことを全国に発信され、そのマスコミの攻撃とも戦わなくてはならないという状況を本当に気の毒に思いました。

また、事件についてですが、犯人が人の命を奪い、こんなに重大な事件を起こしておきながら、未成年ということで、罪の償いも刑の執行もないのはおかしいのではないかということです。誰も責任を取らないということになります。

犯人本人が14歳で責任能力がなく、少年が更生して将来生きていけるように、名前も伏せられて配慮される一方、被害者側は個人情報が暴露されてどこに行っても何年経っても人々の注目に置かれます。

犯人が未成年で責任が取れないからといって、犯人の親が取るわけでもないです。

犯人の家族は、それはそれで自分たちのことで大変でしょうけど、犯人である息子のことを心配する気持ちが大きく、自分たちの育て方が悪かったのかと息子に対して償いの気持ちをもったりしているようです。
そうすると、命を失わされた被害者のことは、二の次になっている感が否めません。

土師守氏は、病院に勤める放射線科の医師であり、事件に際して仕事を休んだり、休職中の患者さんの手配をしたり、また仕事に復帰するなど、仕事の面でも大変な対応をしなければなりませんでした。

淳君の遺体確認のときには、母親にはとても見せられない姿で、父として医師としてその役割を果たしたというのが印象に残りました。

残されたお兄ちゃんに対する気配りや、助け合う親戚など、当事者が書いていることなので、よく理解できました。

私は、この本の中のシーンで印象に残ったものがあります。

それは、息子の淳君を失ったあとで、筆者がNHK連続ドラマ「あぐり」を見ていると、母親のあぐりが「じゅーん、じゅーん」と息子を呼ぶ場面があり、まるで自分の息子の淳くんのように感じたそうです。

「あぐり」は吉行淳之介さんのお母さんの話です。漢字も同じ「淳」なんですね。

ああ、そういえば、子供が小さいころ、我が家でも「あぐり」を見ていたなあと思いました。

それから、淳君んは「つばさをください」という歌が大好きだったそうです。この歌は筆者の土師守氏が若いころに流行した歌ですが、その歌をどうして淳君が知っているかというと、小学校の音楽の教科書に載っていたからだそうです。

私も、土師守氏と同様に、自分が小学校の高学年の頃にこの歌が流行って知っていたと思うのですが、これが自分の子どもの世代に、小学校の許可書に載っているとは知りませんでした。

あの歌は私も好きな歌でした。

淳君は6年生の5月に亡くなってしまいました。

その時の小学校の校長先生が、偶然にも土師守氏が小学校の時の担任の先生だったそうです。それは、事件をきっかけにしてお互いに思い出しわかったことでした。

そして、3月になり小学校の卒業式が行われましたが、淳君も卒業生として名前が呼ばれ卒業証書を授与したそうです。しかし、他の子供が受け取るときとちがって本人の返事の声がなかったのが、やはり悲しい現実でした。淳君の学友が代わりに受け取ってくれたそうです。

そうして、卒業式に淳君の好きな「翼をください」が合唱されました。

こういうエピソードは、当事者の方が書いたことであればこそで、けっして他人には書けないことだと思いました。

この手記は新潮社の出版でした。

・・・

この事件について、当時の子供が大人になるような年月を経て、事件全体のことをもう一度振り返ったり、加害側のことも考えたりしますが、被害者の方のことも決して忘れてはいけないし、知らなかったことや、マスコミによって印象付けられていた嘘の報道なども、正しい認識をし直さないといけないと思います。

そしてまた、今現在も様々な情報がマスコミによって発信されています。
今現在は、新型コロナのことや、小室圭さんのことなどしきりに報道されていますが、それが本当に真実といえるかどうか、惑わされないようにしたいと思いました。

・・・

結局、どうしても長々しく支離滅裂になってしまいましたが、読後感として残しておきたいと思います。(今日書いたものは4月12日に書いた「淳 junを読んで」の続きとなります。)

翼をください/山本潤子


面倒くさいオバサン=私

2021-04-13 09:06:14 | 日記2021

先日、スーパーマーケットに買い物に行ったら、入り口に台が置かれて何か景品のようなものが積み上げられ、担当する若者が2人立っていた。ちらっと見ると「ビンゴ」がどうとか書いてあった。
でも、その前を客が次々に通り過ぎているだけだった。

その後買い物を終えて店を出ようとすると、やはり同じ状態だった。他の客は「何なのだろう?」とは思わないのだろうか?と思って少し様子を観察していたが、みんな目も向けず素通りしていくし、若者2人はただぼっ立っているだけである。

私は通り過ぎるときに立ち止って見た。
立っている若者に「これは何なんですか?」と聞いてみた。

すると「レシートの金額の末尾と、選んだカードの数字が一致したらビンゴで景品がもらえます」という。

「えっ、そうなんですか?そんなことレジでも何も言ってなかったし、それに誰もやってないじゃないですか?声をかけないと誰も気づきませんよ」

「今、始めたばかりなんで。急に始めたからまだ知られていないんです」

(急に始めたって、さっきからずっと同じ状態じゃないか?)

「じゃあ、やってもいいんですか?」

「どうぞ」

ということで、やってみると、見事にビンゴで、粗品がもらえた。粗品はキッチンペーパーやウェットテッシュやゴミ袋などから一品選ぶものだった。

品物をもらって帰ろうとすると、

「実は、これは、宅配のご利用を紹介をするものだったんですよ」という。

私はこの宅配システムについては以前から知っていてお試し利用をしたことがあるのだが、購入してもしなくても配送料が毎週180円かかるので、不経済だから断っていたものである。

昔、子供が小さい頃はグループで宅配購入をしていたこともあり、そういうのは配送料は無料だ。また子育て世帯と老人世帯の場合は、個人配達でも配送料が無料または安価になるというものだ。

となると、我が家は夫婦二人暮らして、まだ老人世帯にはならないので、対象外なのであった。

そんなにたくさん食材は必要ないし、できれば質の良い米・醤油・油など重いものを月に1回くらい配達してもらい、そのときだけ配送料を取られるのであれば問題ない。

毎週ちょっとだけ買うのに180円も取られるのはいやだし、1週間先のものを注文するというのもなんかタイムラグがありすぎる。

配達がなくても毎週配送料がかかるのは、カタログ代などが含まれるからだそうだ。
このカタログ自体時代遅れのもので、大量のカタログは不要な気がする。
食品以外に衣料品や雑貨などよけいなものまでたくさん掲載されているのだ。

こういうものは、インターネットで見て、注文も注文書ではなくインターネットで入力するとかしたらよさそうなものだ。
インターネットが使えない人だけに配ればよいだろう。

宅配は我が家にはそぐわないので断って帰ってきたが、どうやら店に出入りする客を見て、宅配をしそうな子持ちの家族や、荷物を持つのが大変そうな老人にだけ声をかけるようにしていたのかもしれない。

しかし、そんな人はほとんどいないので、ずっとぼっ立ち状態だったのだろう。

そんな中で、変なオバサン(むこうから見たらオバアサン?)がやってきて、余計なことをいうものだから仕方なくビンゴをさせて景品だけ持って帰りやがったというあらましであった。

私って、扱うのが面倒くさいオバサンなのかな~

でも、なんだろうね、ずっとぼっ立っているだけじゃ意味が無いと思うんだよね。

それって、店長の指示なのかな?

実は、このスーパーの別の支店で私は働いていたことがあるのだけど、店長は何店舗も掛け持ちで週に1回くらい回ってくるだけで、普段はパートとバイトに任せっきりだった。

その当時も私はただのパートタイマーだから、意見も何も反映させられるような立場ではなし。
その店舗は、私が辞めたあと、売り上げが悪く閉店してしまったし、なんだかな~

組織全体では消滅の危機にはなっていないようだけど、こういうやり方はどうかと思う。

客側からは目的がはっきりしないキャンペーン。
店側がめぼしい客を選んで吊り上げる?

まあ、こういうものには、客からは口出しせずに、店の人のするように従うべし。声をかけられない人は素通りせよ。

そんなところだろう。

でも、若者バイトは、何もせずにただぼっ立っていて給料もらってるわけで・・・それでいいのか?

そんなことは客の立ち入ることではないか?

でも、この人たちの人件費も私たち客が購入している売り上げから出ているわけでしょ。

それよりも、もっと効率のよい宅配の販売方法とかに改善してほしいものだ。

・・・

まあ、こんなことをああだこうだと考えたり意見を言うお呼びじゃない面倒くさいオバサン。

結局景品だけもらって帰る図々しいババア。=私でした。

(反省=今度からは、店の方針に立ち入らないことにする。)

 


心がすさむ

2021-04-13 00:40:01 | 日記2021

この頃、滅入ることが多い。

周りの世界が、なげやり、なおざり、な感じがするのである。

店の人のサービスが悪くなった。一言が足りない。
そんなことが多々あるのだけど。

会社での出来事では、

ある日、トイレの便座に座って冷たくて飛び上がったことがある。

それは、今年のまだ冬のころなんだけど、なんと便座の電気が切ってあったのだ。

トイレを管理しているのは、建物のオーナーが雇った管理会社である。

私の勤務する会社がリモートワークをしていて、ほとんど出勤者がいないから、時には女子トイレを全く使わないという日もあるのかもしれない。

それでなのか、保温を切ってしまっているのである。

その後、誰かが苦情を言ってくれたのか、この頃は保温されているのだが、本当に真冬のときには辛かった。

・・・

最近、台ぶきんを洗うために給湯室でお湯を出そうとしたところ、蛇口を回してもお湯が1滴も出てこない。

これはおかしい。壊れてしまったのだろうか?

うちの洗面台もパッキンがおかしくて、いっぱいに開かないと水が出てこなかったことがあり、水道屋さんに直してもらったことがあった。

しかし、どんなに回してもお湯のほうが出ないのだ。(水は出る)

それで、掃除の人(若者)がたまたま給湯室にいたので、直してもらえるように管理人さんに伝えてもらおうと声をかけた。

それにしても、シンクの掃除をするときに普段お湯を出したりはしないものなのだろうか?
そういうときに気づいて直すのが普通だろうと思っていたのだが、数日経っても直る気配がなかったのだ。

そこで「お湯の方の蛇口がおかしいんですよ。ちょっとお湯の方を出してみてください。全然でないでしょ?」というと、

なんと、天井のほうの高いところにある、給湯器からつながっている管の途中の止水栓を回しているのである。

すると、ちゃんとお湯が出るではないか。

なんのことはない、意図的に出ないようにしてあっただけなのだ。

お湯を使うのって、私がテーブルやお茶台を拭いて布巾を洗うくらいかな?
他の人も自分のコーヒーカップなどは洗うと思うのだが・・・。

いくら使う人が少ないからといって、電気を止めたりお湯を止めたりするのはやめてもらいたい。

なんか、そういう一つ一つのことで、心がすさんでくるんだと思う。

 


なかなか書けない

2021-04-13 00:28:05 | 日記2021

読んだ本について書こうとしているのだが、どうしても長くなってしまい、いつになったら終わるのやらということで、当然長いだけにまとまりがなく、こんなことでは全然ダメだ。

重要なことはまだ書いていないというのに、枝葉の部分ばかりがどんどん増えていく。

アタマも疲れて麻痺してるから、余計にいけない。

なんで簡潔にまとめられないかな~~~

自分でもこんなふうに思うのだから、読む人にとっては、読み物として難ありである。

長すぎてとても最後まで読む気にはならないだろう。

・・・

そんな感じで、本日は挫折します。