remember スタベルオリジナル曲クラリネットver.
この頃、この方のyou tube演奏をよく視聴しているのだが、アルトサックスとソプラノサックスの演奏が大部分で、クラリネットの演奏は初めて観た。
たしかに、サックスとクラリネットの構造は似ているので、サックスが吹ければクラリネットも吹けるんだろう。
そして、このクラリネット演奏を見ていたら、そうだ、この楽器、この音色・・・と記憶がよみがえってきたのだった。
この大きさ感、この音の響きだ・・・
私は高校のときにクラリネットを吹いていたのだ。
あのクラリネットは、あのままにして卒業したなあ・・・
高校の吹奏楽部で使っていたクラリネットは自分のものではなく高校のものであった。だから、自分のものっていう感覚は勿論なく、毎日借りているわけで、特に手入れもしないで、最後にはそのまま楽器置き場に置いたまま卒業したのだった。
今になってみると、ただ、自分専用の楽器だったわけだから、もっと愛着があっても良かったような気がするのだ。最後に楽器との別れを惜しんでもよさそうなものだった。
あれから40年以上も経ち、あのクラリネットは既に老朽化して、存在しないんだろうなあ。
なんか、この演奏を聴いていたら、急に自分の使っていた楽器のことを思い出して、今頃になって涙がでてきてしまった。
・・・
私が吹奏楽を始めたのは、高校2年の文化祭が終わった後だったので、本当に1年くらいしか活動していない。その前は演劇部だった。
舞台の上で演技や演奏をする文化部ということでは共通性があり、腹式呼吸を使うことでも共通点はあった。とはいえ、いきなり生まれて初めての楽器を演奏するなんて無謀な気もするのだが、ピアノを習ったりしていて音楽には自信があったというのもあり、学生のうちに吹奏楽を体験しておきたいという欲張りで図々しく入部した。
普通、高3になったら受験勉強に熱中するものである。演劇部は秋の文化祭にむけて力を注ぐものだから、3年で演劇に打ち込むわけにはいかない。演劇部ではかなりのめりこんでいて、夕方までは演技の練習、帰宅後は徹夜で小道具造りなどをしていたので、こんなことをしていたら大変なことになるのだ。そういえば、自宅でも本番前には眠れず、暗闇の部屋の中で演技とセリフの確認をしたりしたこともある。
それに対し、吹奏楽は学校の部活時間中にとにかく演奏の練習に打ち込みさえすればよい。自宅に帰ってまですることはない。楽器も学校に置いてくるのだから、部活と私生活の切り替えがしやすいのだった。
吹奏楽も中核の人たちは、演奏曲を決めたり曲順を決めたり楽器の構成を考えたり色々することがあったのだろうけど、私はただパートの基本練習をして合奏では指揮者の指示にしたがって吹けばよいのだった。
吹奏楽部は人数が少なかったので、途中入部も歓迎してくれた。初心者でも吹けるのがクラリネットだったみたいだ。フルートにあこがれたけど、フルートは難しいようだ。
・・・
女子短大ではまた演劇部に入ったが、今度はミュージカルで踊りが苦手だったのでやめてしまった。
就職した会社には吹奏楽団があった。元々会社案内にそれが載っていたこともあり、入社したいと思って選んだ会社だ。社会人になっても部活をしたいみたいな学生気分の精神年齢であった。
ところが、私の配属部署は日本橋で、吹奏楽をやっていたのは立川だったみたいだ。
新宿支部あたりからなら行けただろうが、仕事が終わってから立川までは行けないし、そちらの人たちとは、何の交流もとっかかりもない。
日本橋にはサークル活動がなく、仕方がなく新宿支部でやってる唯一の華道部に入部したが、自分のガラではなかった。
・・・
故郷では、市内の高校の吹奏楽部OBは市のオーケストラに入る人が多く、市の催しなどで演奏をするので、市内在住であればそういうものに参加していたと思う。
だが、故郷には戻らなかったし、その後顔面神経麻痺という病気をやってしまい、顔の片側の筋力が弱くなった。日常生活に差しさわりはないが、クラリネットを吹くには唇を閉める力が足りないのである。
そんな身体的支障がなくとも、クラリネットなどの楽器は、そもそも音が大きいので、防音装置のあるようなところでないと練習できないから、趣味とするには一般的ではない。
たった1年弱くらいしかやってないから、そもそもへたくそだったしなあ・・・
それにしても、クラリネットを見て聴いて、懐かしいなあと思った。
昔付き合っていた恋人に再開したような気分である。
ああ、この姿、この声だったなあ・・って感じ。
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