山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

「没後40年、熊谷守一」展

2018-01-08 23:53:24 | 美術・美術館
結局今日は、東京国立近代美術館の熊谷守一展に行ってきた。



熊谷守一の絵は、数年前にもらったカレンダーがそれだったので、それ以来関心を持っている。そして、一昨年は、豊島区にある熊谷守一の美術館に行ってみた。
あの時は「榧」(かや)というのが、次女の名前とは知らず、作品名なのか、それとも守一の別名なのかと思い、読み方もわからないものだから、恥を忍んで館内の人を作品の前まで呼んで、何なのかを聞いてしまった。守一の作品だけだと思い込んでいたのだが、「熊谷榧」の作品もあり、そして、そこの館長さんでもあったのだ。いやいや、聞くは一時の恥である。

さて、今日はチケットを学割で買おうと学生証を出したら、1200円のところ600円になった。大学生800円だと思っていたので安くて驚いた。放送大学は、国立美術館キャンパスメンバーズという割引がきくらしい。そう言えば、以前もバカに安いなと思ったことがある。
入館料が安かったので、イヤホンガイド520円と、絵葉書5枚にキーホルダーまで買ってしまった。

イヤホンガイドは、樹木希林と山崎勉によるナレーションで、とても味がある。この人たちが出演する、熊谷守一の映画ができるようだから、そちらもぜひ見に行こうと思う。(「モリのいる場所」5月公開)



熊谷守一についてわかったこと

東京美術学校(現在の東京藝大)の出身。そのころの同級生に青木繁がいて、親しかったそうだ。
そのころは、暗い光の中の絵を描いていた。ろうそくの火に照らした自画像や、逆光で陰になっている裸婦像などがあった。

また、女性が電車に轢かれるのに遭遇したことをきっかけに、轢死した女性の絵を何度も描いている。その姿がよほど衝撃的だったのだろう。そして、横たわった遺体は、絵を90度回転させると、身体が起きて、生き返ったようになることに気付いたそうだ。

42歳で、24歳の女性と結婚する。そして子供にも恵まれる。しかし、5人いた子供のうち3人の子どもが亡くなってしまう。次男は4歳で亡くなり、この子はこの世に何も残さないで亡くなったと感じ、遺体の絵を描いた。長女は結核で20歳を過ぎてから亡くなったが、その数年後に長女の姿を描いている。それから、火葬場からの帰り道に3人が歩いている絵も数年後に描いた。骨壷と本人の髭が白い。この絵の構図は、外国の画家の絵と共通するものがあるそうだ。

轢死に遭遇することについては、夏目漱石の三四郎の中にも同じような場面が出てくるそうであるが、どちらかが先に作品を出して影響されたわけでもなく、同時期に偶然同じことをかいているらしい。

熊谷守一は、暗闇の中の光に関心を持っていたようだが、後には、明るい絵を描くようになる。明るい色を重ねていると、自然にそれよりも暗い部分が影となって現れるのだそうだ。

また、輪郭を赤い線で描き始める。
そして、絵はだんだん単純化されシンプルになって行く。

裸婦像には顔がない。情が移るからだそうだ。美しいと感じる顔は人それぞれに違う。

裸婦・女性の身体が山の景色のようになり、山が女性の身体のようにも見える。

馬が好きである。馬の絵や牛の絵も多い。

晩年は、あまり外に出歩かなくなり、家の庭で植物や虫などを描くことが多くなる。
庭に棲んでいる複数の猫の絵も描いている。それぞれに性格が違うという。

70歳を過ぎても、マチスや他の西洋画家の絵から新しい手法を取り入れて自分の絵を描いて行く。

晩年は、同じモチーフを使って複数の絵を描く。

光に関心を持っていたが、太陽そのものを描く。

97歳で安らかに永眠する。

・・・・・・・・・

忘れないように、思い出したことを書いておいた。まだまだ色々あるけど、今日は遅くなってしまったのでひとまず終わりにする。

今日の展覧会は、熊谷守一の一生と、その作品の変遷がわかってよかった。


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