この頃、江戸時代に街道に道標として作られた「一里塚」のことに興味を持っているのだが、そういえば、現在、成田空港のある場所は「三里塚」であって、昔、成田空港建設の反対をしていた農村地域だということを思い出した。あれは「三里塚闘争」などと言われていたと思う。
それで、一部地域では、最後まで土地を空港のために譲らなかったために、なかなか空港を作ることができなかったし、地元の農家に過激派の力が加わって激しい抵抗勢力となり、危険を感じる状況が続いていた。開港後も荷物検査などが行われピリピリしていたように記憶している。
今は成田空港というらしいが、以前は新東京国際空港と言ったらしい。
新東京国際空港が開業したのは、1978年5月20日だそうで、早くも43年が経つ。
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さて、その「三里塚」という地名なのだが、元々「三里塚」があったからに違いないけど、いったいどこからの3里なのか?
調べてみると、これは「何とか街道」ではなく、千葉県香取郡多古町にある日蓮宗のお寺「日本寺」という寺から江戸までの道程に築いた17の法華塚の3番目の塚だったことから「三里塚」という地名になったのだそうだ。
今、空港になっている土地のどこかに「法華塚」があったのだろうか?石碑でもあったんでしょうかね。
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成田空港について、私が最近はまっているユーチューバーのスーツさんも動画を掲げていた。
その中で、建設反対運動についても説明しているが、このような若い人の生まれる前の始まった出来事であるのに、よく調べているものだと感心した。しかも、今現在もまだ反対していて、空港になっていない区域があることを知り、驚いた。
成田空港のそばには「空と大地の歴史観」や「航空科学博物館」があり、飛行機の見える丘もあるようなので、行ってみたいなと思う。あと成田山新勝寺を見て、ウナギを食べたい。
また、日蓮宗日本寺というのも見てみたい。
成田から3里なんだから12kmくらいなのだろう。そのお寺は紫陽花がきれいだそうだ。
新型コロナが終息したら、行ってみたいなあ。
やはり1里ずつ塚があるんですね。
昨年成田方面に行ってみようと色々調べたのですが、土地勘がなくて移動手段(バスの経路と時刻等)が調べきれず、旅館も休館中で電話が留守電になっていたりで、あきらめてしまいました。
日本寺は紫陽花も咲くようなので、蔓防も解除されたことだし、行けたら行ってみたいと思います。