数年前までの放送大学の面接授業は、有名な大学の教授だった方が担当されるなど、年配の先生が授業をされることが多かったように感じる。
経歴などを見て、すごい人なんだな~、一流大学に行かないと教えてもらえないような先生の授業を放送大学で教えてもらえるんだな~と感心したりもしたものだ。
ただ、面接授業がわかりやすく、楽しい授業かどうかは、その先生によって様々なので、一概には言えないのであった。老成はしているが、単調で寝てしまうということも多々あった。
面接授業の当たりはずれは先生による、というのは変わらないと思うが、最近の傾向としては、若い先生が多い。
それで、授業はかなりわかりやすく、楽しくなっていると感じる。
先生が若いと感じるのは、こちらが年を取ったせいというのも確かにある。昔は私も40才そこそこだったので、先生も自分より年上の場合が多かったが、近頃では年下のことも多いのだ。
それで、30代や40代だと、その先生の言動から若いな~と感じることが多い。
例えば「老人」というのをいったい何歳からだと思っているのか?
こちらが80才くらいを一般的な「年老いた人」の代表だ、と思うのに対し、先生は50代くらいの人を「年寄りに近い人」という風にとらえているのであり、おそらく60才は既に老人だと思っているのだろう。
例えば38才くらいの先生が「街中でオジサンと言われてショックを受けた、自分も年です。」などと言ったら、それを聞いた年寄りは「何言ってんのこの人、オジサンなんて若者じゃん」と思ってしまう。
18~22才くらいの普通の大学生に向かって言うのだったら受けるのかもしれないけど、ジジババに向かって言ってもね。オジサンでショックだったら、我々はどうなるんじゃ。
で、なんか最近の先生は、ただいま勉強中・研究中みたいな、これから出世していく新人学者兼教師のような若い人が多い印象であり、自分の研究課題やその成果を面接授業で学生に伝授する一方、学生からも情報を得て、さらにそれを研究の参考にしたりしている気配なのである。
放送大学は教養学部なので面接授業の内容も教養さえ得られればどのような内容でも良いという雰囲気であり、かなり担当の先生の趣味というか、個性がありすぎるような内容も多いように見受けられるのだ。(そこが面白いところでもあるが。)
で、学生はレポートを書いて提出するわけだけど、アンケートやレポートからは、先生にとっては、たくさんの一般人学生からかなりの情報が得られるはずで、先生はその新情報を元にさらに研究を展開したりしていけそうだ。
また、自分の研究成果を授業で発表・伝授したことに対して、一般人がその内容にどのような反応を示すのかを知ることもできるだろう。
教えてあげることにたいする対価は、授業料ではなく、むしろこちらではないのだろうか。
授業イコール情報集めであるし、反応を知ることができるという一石二鳥に違いないのだ。
授業を受けてるジジババたちは、先生は若いなあ、青いなあ、人生経験浅いなあ~なんて思いながらも、たしかに優秀な方であるし、それなりに勉強しているし、頑張って研究しているし、役に立つことを教えていただいて有難いな~と思いながら、授業を聴いているのである。
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