山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

肖像権のモンダイ

2007-11-03 01:45:28 | 未分類過去
国立新美術館に行った時に、美術館の手前に政策研究大学院大学という、これまた目を引くような変わった形の建物がありました。
この建築物もかなりおもしろいなあ~と思い、帰りにその建物も記念に写そうとカメラを向けました。ちょうど雨が降り始めてもいたので、急いでシャッターを押しました。

そうして、家に帰ってきてパソコンに画像を保存し見てみると、何やらその建物の前の道を人が何人か歩いて来る姿が映っているのですが、その中の一番前に写っている女の人の顔の前に何か物体があって、顔がありません。かなり不自然な画像です。
最初はなんでそんなふうになっているんだろう、ちょうど背中のリュックでも下ろそうとしていて、顔の前に来たところだったのかな?などと思ったのですが、よく見ると、女の人が片手に紙袋、もう片手にバックをかざし、どうやら顔を隠しているようなのです。
つまり、私がカメラを向けていたので、写ったらいやだなあと思ってそうしたようなのでした。

私は、とにかく急いで建物の全景を撮りたいとばかり思ってシャッターを切ったので、その人の存在には全然気がついていませんでした。
これは、悪いことをしてしまいました。さぞかし嫌な気分だったでしょうね。
後味が悪いので、その画像は抹消しました。

もし、顔が写っていたら当然ブログに載せたりはしませんが、そのような写真を公開しないからといっても、自分が持っているのもよくないように感じたので、もともと無かったことにした次第です。

しかし、人間が全く写っていない画像というのも、撮るのはなかなか大変ですし、かなり不自然な画像となります。人々がいる自然の雰囲気が表われません。
だから、顔がわからない程度の人々の姿くらいはまあ許容範囲だろうと判断しています。

そういえば、国立新美術館に行く時に、ホームページの地図を印刷して行ったにもかかわらず、道がよくわからなくなって交番のおまわりさんに聞きました。
そうしたら、道を教えている最中におまわりさんが急に話を中断したかと思うと、遠くの人に向って腕を交差させてばってんを示し、ダメダメというしぐさをしました。

何かあったのか?何がだめなんだろう?と思ってそっちの方向を見ると、道路の反対側で、交番の私たちのほうに向って一眼レフの望遠カメラを向けている男の人がいました。
そばには同行の女性もいて、けっして盗撮をしているという風ではありません。
探偵・興信所あるいはヘンタイ・ストーカー等の類でないことは確かでした。

「交番で道を聞く人の風景」というような六本木街中の日常風景のゲイジュツサクヒンを撮ろうとしていたんじゃないでしょうか。それ、なかなかいいじゃないの。モデルになってもよかったんだけどな。

でも、おまわりさんが「ダメ」というしぐさをしたので、地面にしゃがんでカメラのレンズをかまえていた人は、カメラを下ろして立ち上がり撮るのをやめました。
“あっ、ダメですか?スミマセン”程度のしぐさで立ち去りました。

おまわりさんはそれを見定めると、また道の続きを教えてくれました。
そのおまわりさんは、自分が撮られるのがいやだったのか、私たちのためにしてくれたのか、法律的に無断で撮るのはいけないことだからなのか、交番だから撮ってはいけないのか、なんで注意したのかよくわからないのですが、まあ、とにかく「思わしくない行為」ということだったようです。

こういうのって、撮っただけでもダメなんでしょうかね。そうすると、本当に街中の人々の自然の情景なんかは撮ることができなくなって、もしかしたら全部「ヤラセ」になってしまいそうですね。
まずは無断で撮ってしまって、公開する前に許可を取るという順番じゃないと、自然な作品は撮れないんじゃないでしょうか。交番で道を聞いているところは秘密にしておきたかったなどという人はそうそういないと思いますけど。

私自身は、外を歩くということは、すでに姿を人目にさらしていることであり、それは万が一偶然に写真や放送に写ってもしかたがないということではないかなと思います。
もし、それが本当に支障のあることなら、帽子を目深にかぶったりサングラスをかけたりして、人目に自分が誰であるかをわからないようにするしかないかな。
だから、人に知られて困るような不倫なんかは、そもそも絶対にしないのが無難だと思っています。

自分自身はそんな覚悟だけど、やはり無防備な姿を写されたり公開されたりするのはイヤな人も世の中に多いと思うし、実際に支障のあることもあると思うので、常識の範囲内で肖像権には気を配りたいと思います。
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また来るよ

2007-11-02 00:53:14 | 美術・美術館
この曲線はステキですね。
そして、中に入ると自然に差し込む光がステキです。
外の樹木が見えるのもステキでした。

中はかなりスペースに余裕があるのですが、
観葉植物などはありませんでした。
絵の環境のためでしょうか?
ちょっと人工的すぎるような気がしました。
無機質なかんじですね。

食事は、宇宙ステーションや空港待合室では、
あまり落ち着いて食べられそうもない感じです。
混んでもいたので
中のレストランでは食べませんでした。

外にでたら、ちょうど雨が降り始めました。

六本木駅からここまで、
あんまりきれいな町並みではありませんでした。
それはちょっと残念ですね。
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宇宙ステーションのような

2007-11-02 00:30:39 | 美術・美術館
このリングの丸い部分は
レストランです。

空中に浮いているようです。
宇宙ステーションのようです。

写真を見ると
どっちが中だか外だかわからなく
なりそうです。

一瞬、夜の外景のようにも見えませんか?
暗闇の中に電気で明るい美術館があるかのようです。

でも、これは、昼間、中から窓に向って写した写真ですヨ。
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万華鏡のような

2007-11-02 00:18:44 | 未分類過去
たくさんの光をあびた
円曲線
万華鏡のような新美術館

上から下を見下ろすと
高いです。
人々が豆つぶのよう。

この円錐状の部分は
入り口です。
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空港のような

2007-11-02 00:15:19 | 未分類過去
エスカレータで上り下りし、
待合所がある
空港のような新美術館
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温室のような

2007-11-02 00:12:54 | 未分類過去
透き通ったガラスに覆われた
温室のような新美術館
外側はちょっと緑っぽいです。
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国立新美術館へ

2007-11-01 23:03:11 | 美術・美術館
今日は、六本木の国立新美術館に“フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展”を見に行ってきました。

結局のところ、「牛乳を注ぐ女」はオランダ風俗画の中のひとつであるが、その最も傑作ということで、別格な取り扱いになっていた。
確かに構図や描写の仕方など格段のもののようだ。
この絵の中の女の人は、パンに牛乳を注いでパンプディングかなんかを作ろうとしているらしいが、その作業に純粋に心を向けているこの絵は、人の心を浄化させるような不思議な力がある。牛乳というのは白くけがれ無き純粋な飲み物でもある。
無駄なものを廃し、牛乳を注ぐ姿を効果的に描いているその名作は、300年以上もずっと牛乳を注ぎ続け、人を魅了し続けてきたのだ。絵というのは不思議なものだ。

この作品が傑作なのは確かにそうなのだが、他の作品にも印象に残るものが多かった。
酔っ払ってひっくり返っている太った女、床に散らばるゴミ、人と共にいる犬や猫、ふんだんな酒と食べ物、賭け事をする男たち。色事を思わせる男女。
飽食と享楽にうずもれたような世相を風刺している。
この時代はそういう時代だったのか。もしかしたら、そんな人たちばかりではなかったのかもしれない。確かに、良妻賢母のような様子が描かれた絵もあった。だが、風刺されるような人たちがいっぱいいたということは確かだろう。
この時代は、日本ではほぼ江戸時代にあたり、日本でも町人文化の盛んな時代で、平和ではあったといえよう。
また、そのようすは、現代の日本にも通じるような気がしてならない。贅沢三昧をしている人たちがいる。
お金持ちの母娘と召使がいて、貧しい路上芸人かなんかの父子にお金を渡そうとしている絵があった。裕福な階級と貧乏な階級の対比がよくわかる。それは、今の格差社会の日本ともとても似ているような気がした。お金持ちには光があたり、とてもきれいなドレスを身にまとっている。それに対して、貧乏人は光のあたらないところで、暗い汚い服装をしていた。
いつの世も同じようなものだろうか?

一方、家事や仕事をする姿の描かれた望ましい姿の絵もたくさんあった。
これは現在にしたらなかなか見られない風景のような気がした。
だいたい、家事をする主婦の絵など今は考えられないような気がするのである。
パンケーキを焼く女なんていうのが、絵になるだろうか。裁縫をする人もどうだろうか?
また、商いをする人なども現代社会において絵なんかになるだろうか?

全自動洗濯機に洗濯物を入れる主婦や、コンビニで働く若者、パソコンに向うお父さん、テレビゲームに興じる子どもなどを絵にしてみたらどうだろうか?
現代の風俗画ってどうだろう。

しかし、なんだか人の働く姿が無味乾燥のような気がするし、人々があんなに戯れていないような気がする。

レストランなどでも個々のグループで勝手に食べ、美術館でも人がいっぱい集っているけれど、個人個人が勝手に絵を見て群がっているだけかもしれない。

同じように、飲んだり食べたり遊んだり働いたりしていてもなんとなく味わいがないような気がしてしまうのだった。

黒川紀章氏設計の建物はさすがにインパクトがありました。
ガラス張りで、空港建物のような、宇宙ステーションのような、温室のような、美しく斬新なものでした。
黒川氏はどうして選挙にでたのだろうか?って、
結果として、“建築家”黒川氏を世の中に知らしめたと思います。
やはり、すごい建築家だったんだなと思いました。
亡くなる前にみんながこの人の顔を覚えて、その人とこの建築物、また大阪万博のパビリオンなども振り返って、功績を確認できたのは良かったですね。

私は、この建物がなかったらおそらく「フェルメール~~展」には足を運んでいなかったでしょう。

(写真は一番最初に目に入った美術館の姿です。どうしても人が入ってしまうんです。すみません。後姿だから大丈夫でしょう。)


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10月末

2007-11-01 00:32:42 | 未分類過去
今日は月末なので、自分の給料の計算をし、書類を提出して帰ってきました。
今月分はけっこう多いですよ。先月より2万円くらい多いです。
先月は7万でしたからね。今月分は9万あります。
しかし、同窓会で田舎に帰らなくちゃいけないし、いろいろお金がかかってこれでもぜんぜん足りないようです。
やっぱ、正社員になれるものなら、ならせてもらったほういいかな~
そうすれば、洋服なんかも人並みのものが買えるようになるかもしれない。

同窓会の会場がわかりましたよ。
それが、居酒屋じゃなくて、ホテルだった。
みんな田舎者なのに、町まで出るらしい。
まあ、確かに地元には同窓会をやるような店はないわけだ。

そこで、予定していた服じゃまずいぞということになった。
しかも、明日は友人と六本木に行き、あさっては娘の大学の学園祭に行き、その次が同窓会と出かけることが続けざまになる。
となると、3日続けて着る服を考えなくちゃならないわけで、さらに困った。
それで、またまた買い物に出動。

会社の帰りに近くの店によった。
量販店をさんざん見た挙句、その中にあるブティックで上着の下に着る適度なものを探していたら、店員さんが出てきた。そして、なんかいろいろ着てみる羽目になった。
この店は中高年向けという感じなのだが、40代後半だから中年向けでかまわないのかもしれない。
店員さんが持ってくる服を、ちょっと地味だなと思いながらも、なかなか着心地もよく、いくらか値引きになっていたので、勧められるままに何点か買ってしまった。

この店では、以前にも組み合わせを考えてもらってまとめ買いしたことがあるが、どの服も失敗がなく着回しができてよかった記憶がある。
「とても気に入った」というほどでもないが、通勤に組み合わせを変えて着るとちょうど良さそうな無難な服ばかり買ってきた。

帰宅してから、やはりちょっと色合いが地味だし、形も中年向きだなと思ったが、しょうがない。ただ、こういうものって完璧に自分を若々しくステキに見せないにしても、その質の良さがカバーしているっていう気がする。

これもまた、ある人に言わせればどうしてそんなものを・・もっとステキな服が売っているわよなどと言うのかもしれないが、いちいちそこまで追求している暇はない。これだけでも買物に2時間かかった。

とりあえずは、当面の外出着の調達ができたのでよしとする。
4万くらい使ってしまった。
12月に引き落とされるのだが、なんとかなるか。

やっぱ、お金のためにがんばってフルで働きたいな。

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