山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

KYの悩み

2007-11-29 09:43:04 | 未分類過去
もともと標準的な人というのは、KYにはなりにくいように思う。
なんの努力も無く、違和感もなく溶け込んで、回りからも受け入れられる。
一方、もともと普通とは違う人というのは、根本的に自分と周りとの空気が違うため、空気を読んだところで、同じ空気になじむことはできず、当然ながら同じ空気をかもし出すこともできない。
それで、特に空気にあわせようともせず、自己流にやっているわけだが、そうするとKY度はどんどん増していくばかりである。

どうして一般的、標準的ではないのか、というと、それは家庭にあるのかとも思う。
おそらく、家庭全体が同じ空気であり、生まれたときからそれに浸っているので、思考回路や関心の対象、笑いのツボ、などが家庭内で共通している。
家族でテレビ番組を見ていると、同じ場面で同じ反応を示したり、同じ感想をつぶやいたりすることが多い。親しくしている友人なども考え方などが似ている。
しかし、それはそういうごく限られた仲間内の共通点である。

私の育った家庭は、ぽんぽんと冗談をとばしながら、当たり障りのない楽しい会話を楽しむという感じではなかった。だから、会社の宴会などがあって、そういう場面に出くわし、誰かの言動に対して反応を求められると、人に受けるようなおもしろおかしい気の効いた言葉を返すことができない。

人の会話を観察していると、あまり直接的な質問などはしていないが、自然な冗談を交えた会話の中でそれとなく情報交換をしつつ、お互いを理解しあっているようである。しかし、私の場合は、知りたいことはつい直接に質問してしまうし、思ったこともそのままに言ってしまうので、それがKYとなっているように思う。

また、たまたま構成されている集団のなかで何気ない話しをしていると、「なんで?」(どうしてそういう考え方をするのか?)と首を傾げられることがままある。だから、本音を口にする前に、こういうことを言って、ひかれないだろうか?と考えることが多い。しかし、いつも黙って人の話を聞いているばかりだと、自分自身の存在が透明人間になってしまう。だから、空気に合わせた話題について、それとなく情報を得ておくことも必要であり、ちょっと疲れる。

ブログのアクセスはどんどん減っているが、それも空気を読まないといけないかな~と思う。アクセスの多い人のブログというのは、みんなが関心をもっているような話題だし、やはりかもし出す空気がいいのだろう。
もともと、考え方や趣味が偏っている人間が、平衡のとれた内容の記事を書くことは難しい。

偏りのない人間になりたいという願望はあるものの、やはりどうも異端的であり、それが自分の自分たる所以でもあるので、複雑な思いだ。

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