山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

出会い その3

2008-06-17 18:44:26 | 日記
これは、出会いとは言えないのかも知れない。「後でわかった」ことである。
同窓会会場には意外と早く着いてしまったのだが、そのとき、見たこともないような男性が一人到着していた。そのほかにも数人、同窓生がいたわけだが、その人たちの話では、その男性は高校時代から全然変わっていないそうである。
確かに、太ってもいないし、禿げてもいないから、若い頃と様相が変わってはいないだろうと思える。にもかかわらず見覚えがないとすれば、それはもともと知らない人だということである。
その人も、自営業のおっさん風ではなく、会社員風であり、なんとなく目が留まる状況だった。しかし、なんらとっかかりもないので、名前くらいは確認したものの、それで終わっていた。

そして、そのまま帰宅したわけだが、それからしばらくして、「あれっ?待てよ」と思った。もしかして、中学のときのあの人でしょうか???
私は女子体操部だったのだが、体育館の中で、その横に並んで活動していた男子体操部の中に、たしかに、そんな名前で、そんな顔をした男子がいたようなのだ。
しかし、私はその男子が同じ高校に行ったことさえ知らなかった。いや、確かにその人なのである。

そして、自宅にあった数年前の同窓会会員名簿を開いてみると、なななななんと、その人の勤め先が書いてあったのだが、それが、私が勤めている会社と深い関連のある会社だった。私はその関係の書類のチェックなどもよくしているし、仕事でその人の会社のホームページの内容まで定期的に確認しているのである。そして、私の会社からは社員たちが頻繁にその人の勤めるところに出張に行っているのだった。
私の職場の人は、その人を知っている可能性が高いわけだった。

にもかかわらず、同窓会の時点では、何の接点も無く、まったく知らない同窓生だと思っていたのだった。
そのひとは、理系のクラスだったので、私は高校でその人を見かけたこともあまりなかったのだと思う。
過去の名簿を見てみると、今のように個人情報がどうのこうのとうるさくない時代であり、出身大学から勤め先まで載っているのである。そのひとは理系の大学に進み、電気系の会社に就職し、その会社が、私が勤めている会社と関連しているというわけだった。

これが、会場でわかっていれば、いろいろ話ができたのにな~と思う。
私がその人を知らない人だと思ったくらいなので、そっちも同じように思っているだろう。
もし、次回の同窓会で会ったら、聞いてみようかな。

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出会い その2

2008-06-17 01:09:30 | 日記
いっぺんに書こうと思ったら、長くなりすぎるので、ばらばらに書くことにした。

もう1人は、本当に知らない人だった。
しかし、この人はなかなかステキだった。
中年オヤジになっている男子が多い中で、この人は、どことなく品があるし、人柄もよさそうな感じだった。
話していると、東京近郊に住み、東京に勤めていることがわかった。

これは、やはりどうしても感じてしまうことだが、あきらかに故郷に住み続けている人間と、東京や横浜あたりに住んでる人間とは雰囲気が違うのである。地元の人間は地元の人間の色とにおいがある。まあ、服装なども全くの普段着でぷらぷらやってくるというのもあるだろうが、本当に緊張感がなく、ナアナアな感じだ。
一方、遠くから帰省する人は、カジュアルではあっても、どこか垢抜けしている。髪型なんかも違う。
それから、地元で独身で、だらけちゃってる人は最悪である。そこにいくと、妻帯者で子供もいるような人のほうがきちんとしていたりする。
というわけで、この人は、ちょっと都会的な雰囲気があり、家庭をもっていて、会社員であり、人当たりも自然で、非常に好感が持てた。
田舎を出て東京に進学し、そこで就職し所帯を持ち、普通の会社に勤めている・・・というところで、男と女の違いはあるにしても私と境遇が似ているといえるだろう。
奥さんも仕事を持っているということで、専業主婦の妻を持っている男性より話しやすい。

こんな人、高校時代に存在を知っていたら、やはり好感をもっていたかな?などとも想像するが、きっと高校時代は、高校生の女の子たちが特にあこがれるような存在ではなかったはずだ。高校時代に多くの女性から人気があるような人ならば、たぶん顔くらいは知っていただろうし、同窓会でも周囲に女性が群がるだろう。そういう気配がないところを見ると、今現在もこういうタイプが好きなのは、多くの女性ではないと思う。まあね、私はこういうタイプが好きだよね。
しかし、はっきり言って、とてもステキな人だったので、私の話し相手になってもらうには申しわけないような気がしてしまいました。ただ、思うに、こういうタイプは、私が勤めている会社の社員に近いかもしれない。ってことは、私はこういうタイプの人間に接するのは慣れているのである。
もしかしたら、地元で主婦をやっている人は、ちょっと敬遠するのかもしれない。また、地元で自営業をやっている男子もちょっと肌合いが違うのかもしれない。

それで、偶然近くにいたと言っても、何か必然的に会話が続く境遇だったのかもしれないな、と思う。



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出会い

2008-06-17 00:27:18 | 日記

同窓会とは面白いもので、昔の友達に会えるばかりではなく、新しい出会いもあるのだ。
今回、今まで知らなかった人と、話をしてみて、へえ~こんな人が同級生にいたんだな~、感じのいい人だな~と思う人がいた。また、友達のようになった人もいた。

なぜか、いずれも男性だったのだが、
まず、A君は、ほとんど記憶がなかった。ひょんなことから、帰りに少人数で一緒にお茶を飲んだとき、直ぐ近くに座っていたので話したのだが、なななななんと、同じクラスだったことがあったと、初めて気がついた。
顔も覚えていないし、名前もわからない。最初は全く記憶がなかったが、だんだん記憶がよみがえってきて、そういえばそんな人がいたなあと思いだした。A君は、あまり目立つ存在ではなかったのだ。特別ブサイクでもなく、ハンサムでもなく、本当にめだった特徴がないように思えた。そういう人というのは、大勢の中にいるとまるで個性が見えてこないし、特に用件も無ければ話す機会もないのだった。
それはそっちも同じことで、私のほうもなんのへんてつもない女子生徒だったので、向こうも顔だけは知ってたというくらいで、お互いに同じクラスだったことにおどろいていた。私はだいたい女性からモテる男はキライなので、こういう普通の人は違和感がなかった。そのひとは高校時代オチケン(落語研究部)だった。話しているうち、今になって、その人のひととなりみたいなものが見えてきて、そういうものが高校のときはぜんぜん見えなかったし、見ようともしていなかったことに気がついた。
めだたない野の花をじっとみると、どれもとてもきれいだったりするわけで、もっとひとりひとりをしっかり把握すればよかったなと思う。

でも、こういう同窓会で、卒業してから何十年もたって言葉を交わし、知り合いになるのはいいもんだなと思った。

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同窓会

2008-06-16 00:30:58 | 日記
結局、一日しか経っていないのだが、なんだか何日も経ったように感じる。
同窓会は行ってよかったと思うけど、今の世相を反映していた。
勝組負組みが、あきらかに出来上がってきているように思った。
本当の勝組は来ないし、本当の負組みも来ない。
要するに、すごく社会的地位が高くなっている人は、庶民の集まりなぞバカらしくて来る意味もないだろうし、逆に、本当に生活に困って虐げられているような人は、高い会費を払って同窓会なんかに来るどころではないわけだ。
それで、ほどほどの人が集まっているわけだが、その中にもまずまずの暮らしをしている人たちと、ちょっと雲行きの悪い人たちの2つの分類ができそうである。
地方の場合、大企業に勤める人は少ないので、自営業や小さな会社が多い。48歳にもなると、親のあとを継いでいるとか、そこそこの重要な立場になるとかしていて、責任も重い。そして、その経営状態がいいかどうかで、精彩があるかどうかが分かれているようだ。
ただまじめにやっていてもダメで、世の中の流れを見極めながら、うまく泳いでいくような経営手腕が試されているように思う。
なんか、同級生を見ていると、そういうことが、感じたくなくても感じられてしまうのだった。
また、成功者でも、毎日気が抜けず、始終神経を張り詰めて、それなりの苦労をしているという人も多い。やはり、成功するにはそれなりの荷を負っているなと思う。

私は、ただチマチマと働いている。時給を10円20円増やすことに一喜一憂している。
それが、すごく狭い視野であって、重箱の底をつつくような努力のような気がする。
本当に自分が小さな料簡の人間だと思う。

だからといって、どうしたらいいのかわからない。
明日から、また、いつもの日常が始まるだけだ。
ただ、この2日で注入された何物かが、心の底で、ゆっくり化学反応を起こしているかもしれない。
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帰省

2008-06-14 10:37:12 | 日記
今夜は田舎で同窓会があり、土日に実家に行く予定だったんだけど、なかなか準備が進まない。

何しろ、昨日の夕飯も片付けてないし、風呂にも入ってないんだから・・・
朝ごはんも食べてないし・・・
これから、風呂に入って片づけして洗濯して準備して
出かけたら、もう昼間中には着くはずないよ。
実家に寄る時間はないから、そのまま同窓会会場に直行かな。

そういう話をしたら、母がすごい不機嫌なんだ。
なんで仕事をしているのか
何で自治会の役員をしているのかって
そっちのほうをせめてくるんだ。

母は母で日曜日は朝から用事があって出かけるのだそうだ。
だから、ほとんど話もできない状況になる。

月曜日に休みを取れば、もう少しゆっくりできるけど、
仕事もかなり忙しいし、月曜日に必ずしなければならないことがあるから、月曜は休めない。
それに、月曜日の夕方に、自治会の用事があるから、仕事が終わったらすぐに帰らないといけないので、午前だけ休むってことも時間的に無理だ。

会社のことや、自治会のことを、別の人に頼むことはできないのか、と言うけど、
人に頼むってのも結構大変なんだ。
そのためにいろいろ説明しなくちゃいけないし、頼まれた人も一生懸命やって、その後またその人が、そのことを私に伝えるということもしなくちゃいけなくなって、それにかかる時間や労力がバカにならない。
また、突発的なことに対して、たとえば急に予定が変更なんてときに、業者さんが連絡してくる電話番号とかも、こういうときはここへ、こういうときはあそこへ、なんてことが臨機応変にできないわけで・・・。

だから、人に頼むと大変ってことは、もう経験済みだから、よっぽどのことがないかぎり頼まないほうがいいように思う。

それにしても、準備をするのが面倒くさい・・・



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もうへとへとだよ

2008-06-14 09:29:46 | 日記
悪いことが重なるときは重なるもので
団地のほうでもいろんなことが起こってるんだ。

とにかくぼろぼろだから、あっちこっち問題がでてくる。
電気系統の故障、屋上防水の劣化、水道蛇口の不具合、住民減少の財政難。
あと、団地外の隣地の家との問題もあるってことがわかった。
団地の塀を越えて木の葉や枝が落ちるからどうとかしろとか。


そういうのが、どっと自治会の代表の仕事になってくるようだ。

おまけに、住宅供給公社の窓口がマニュアル化してしまって、
機械的に用件を振り分けたり、分担したりしているらしく、
全く融通も応用も利かない有様。
問い合わせただけなのに、修繕の申し込みになってしまったりする。

最初に話が通じてた人も、代表番号から転送転送でどこに回ったかこっちではわからない。担当の人の名前を聞いておいても、もう一度その人につなげてもらうのが至難の業だ。
いちいち家の名義人を聞いてくる。名義人を言わないと用件を聞いてくれない。
私の名前を言っても、登録されてないという。そんな応対の繰り返しだ。
そして、業者からは名義人の夫宛に電話がかかってくる。
夫はわけがわからず、いたずら電話だと思って癇癪を起こし、電話を切ってしまった。

会社の昼休みに、携帯電話で公社に問い合わせたら、20分もかかったけど、埒が明かない。担当業者の電話番号を聞きたかっただけなのだが・・・。
仕事の後に今度は公衆電話からかけることにした。
もう電話代も莫大だが、ストレスがきわみに達する。

隣地の人に聞けばわかるかと思い、立派な一戸建てを訪れてみたが、留守だった。
団地の住民も、あれこれプレッシャーをかけて内心喜んでいるみたいな人がいるし、
みんな言いたい放題のことを言っている。
確かに協力的な人もいるけど、
誰が味方で誰が敵なのかもわからない。

協力者みたいな顔をして、いろいろなことを頼みにくるが、
実はイジメを快楽にする人の子分で、すべてを告げ口し、これでもかこれでもかと課題を出すつもりかもしれない。
私は、その課題をひとつひとつクリアしていかないといけない。
いままでも、会長を放棄した人がいたなと思う。
「もうやめだやめだ、俺は知らん~~っっ!」てのがいたのだ。

あっ、地震だ。(今8:46)
ゆらゆらして吐き気がするようだ。
船酔いみたいだ。気持ちわるい。

仕事から帰ってくると、
業者と電話したり、団地の人の話を聞いたりで、
気がつくと、夕飯を作るのも忘れてしまう。
自分に空腹感がないので、ご飯を食べたか 
たべなかったかも意識の外にある。

片付けもせず、風呂にも入らず寝てしまう。
起きると服を着たままで、昨日のエプロンもかけたままになっている。
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会社でアタマに来たこと

2008-06-14 04:43:11 | 日記
ことしからパートの時間を増やし、夫の扶養をはずれて、健康保険と厚生年金の社会保険に入っているんだけど、
そのせいで、なんと、ボーナスの手取りがへっちゃったんだ。
                             
ボーナスって言っても、パートタイマーのボーナスは一律2万円。
それで、社会保険に入っていない人は、2万円まるまるもらえるんだけど、
私の場合は、そこから約2500円引かれることになる。

ボーナスに限っては、振り込みではなく、現金でもらうわけで、
封筒をいただくと、今年は増えてるかな~って、少し期待しながら開けてみるんだ。
でも、万札が増えるなんてことはあんまりなさそうではある、とは思っていた。
先日わかったことに、パートの場合は、ずっとずううっっと、2万円てことだ。
ああ、そうか、何年たっても増えないんだね・・・

ところが、増えないだけじゃなくて、減っちゃったんだよ!!!手取り額が。{
もう、ショックだ。

しかも、最初に2万渡しといて、
次の給料から社会保険料の分を差し引くんだって。
これじゃあ ぬか喜び だよ。

いままで、私は仕事まじめにがんばってきたつもりだ。
他のパートさんが、扶養範囲を超えないために、年末になってどか~んと休んじゃったときも、残業しながら一生懸命働いてきた。
年度末も、社員さんよりも長い時間働いた日があった。

なのに、収入制限をしているパートさんより手取額が少ないってどういうこと?
社会保険のメリットがあるだろうといわれてもね。

非常に気分が悪い。

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ブログ大掃除

2008-06-14 04:13:38 | 日記
ふと、気分が変わって、以前のブログを消してしまいました。
と言っても、非公開にしているだけなので、また公開にするかもしれません。

長年書いていると、かなり個人情報みたいなことが蓄積してきます。
あんまり親しくない人が、私のことをことこまかく知っていたら恐ろしいですね。
お宅の天井、ひびはいってるでしょ?とか、子どものときこんなことあったのよね?なんてね。
なんで、知ってるの?と聞いたら、自分で書いているじゃないのってなことで・・・。
自分で書いてちゃしょうがいないですよね。
自分で蒔いた種ってことで・・・、刈り取るのも自分だよね。
そうなってから刈り取るのはいやなので、あんまり蒔かないほうがいいんで、
今のうちに蒔いてあったものを、刈り取っとけっ、てな安易な考えです。

そんなことで、或る日突然ブログを閉鎖しちゃう人も多いのかなと思います。
それもさみしいですよね。

しかし、そんな気分はある日突然やってくるんだと思います。

また、人から見られるという理由だけではなく、
自分が蓄積してきたものに押しつぶされるような気分になるっていうのかな、
そういうのもあるかもしれない。

新装開店までいかないけど、
ちょっと整理してみよう。

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多忙にて

2008-06-13 00:48:55 | 日記
自治会 と 会社 のことで、おおわらわです。

明日もまた忙しいので、今日は寝ることにします。


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健康診断

2008-06-11 00:55:04 | 未分類過去
なんかやな感じ~ってことがまた会社で起きている。

6月は健康診断があるのだが、パートに当てて、健康診断を受けるかどうかという質問があった。
私は、会社の社会保険に入っているので、当然聞かれるまでも無く健康診断を受けるものだと思っていた。
なぜならば、夫の扶養にはなっていないのだから、夫の会社の健康診断は受けられないし、区の無料の健康診断も国民健康保険とか専業主婦とかでなければ受けられなくなったのだそうだ。当然自分が属する健康保険の健康診断を受けるはずだ。それを、いちいち「受けますかどうしますか?しかし、別の機関で受けた場合も結果は提出してください」という内容だ。
以前なんかは、「パートさんがわが社の健康診断を受ける場合は、1人あたり1万何千何百何十何円会社が負担することになります。」なんて恩着せがましいことまで知らせてきた。

それで、正社員さんは健康診断は仕事の一部なので、当然のことながら、勤務時間に出かけていき、給料は普通にもらう。
ところが、パートの場合は、時給で働いているため、健康診断に行っている間は仕事をしないから当然無給である。そうなると、仕事時間が減るから手取額も減ってしまう。
まあ、働かない時間に時給をくれとは言わないが、それならば、平日休みのある人は休みの日に行きたいくらいだ。しかし、会社は頑として勤務日に設定する。なぜかといえば、6月は暇なので、パートさんにがんがん働いてもらわなくてもいいから、なるべく余計な勤務時間を増やしたくない、ということかもしれない。
また、その1万何千何百何十何円かかるから、そんだけ出してやるんだから、その分仕事時間も減らしてしまえ、みたいな感じがしなくもない。

出してやってるんだ、パートなんかにお金をかけてやってるんだ、みたいな匂いがぷんぷんしているわけだ。しかも、それは社長じゃなくて、経理担当だ。
経理の人って、あたかも自分がお金を払うみたいな感じだよな。
自分で操作していると、自分のもののように思えてくるのかな。
横領とかするんじゃないけど、逆に、ものすごく節約させるような、極端にお金に厳しい人もいるようだ。

しかし「パートごときにお金をかける」って考えが逆なんだと思う。
そうやって、非正規雇用の社員にはすべてにおいて安価に済ませているわけだ。
ボーナスも無い、退職金も無い、多くの人は健康保険も厚生年金もない。もともと全然お金がかかってないだろうがあ~~~~と言いたい。
年に一回の健康診断くらい、気持ちよく受けさせろよ~。
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雷雨

2008-06-09 23:25:12 | 日記
今朝、傘をさして外に出たら、誰も傘をさしていないので、あれっと思ってみると、すでに止んでいた。
昼休みに外に出ると、わずかに小雨が降っていたが、傘はいらないくらいだった。
夕方、会社を出る時には、もう陽がさして、とてもいい天気だった。
傘を持ち帰ろうかと思ったが、会社に置き傘としておいて置こうと思って、傘立てにそのままにして来た。

帰りは、量販店に寄り道して洋服や食料などを買った。
実は、また同窓会があるので、新しい服を探しにいった。
でも、今や前回のようにデパートで服を買うような余裕はなく、そんな気合も起こらなくなっている。しかし、数年前と同じ服を着ていくわけにもいかないので、安物で済ませることにした。
見る人が見ると、安物だということは一目瞭然だろうが、そんなことは知ったことではない。とりあえず、自分の好きなデザインで、組み合わせがへんちくりんにならないように、上下の配色に気を遣う。下半身デブだから、膝下丈の長めのフレアースカートにした。

買物で2時間近く時間をかけ、いざ帰宅しようとしたところ、なんと、外はどしゃ降りではないか!
どうしても傘無しでは無理な状況である。
買物をしていた店と会社はそう遠くはないので、会社に戻って傘を取ってこようと考えた。
しかし、帰宅したはずのパートのオバサンが、買い物の袋をいっぱいぶら下げて、会社に戻って来る光景は、あんまり見たくないものだな~と思った。
しかも、6時頃だったので、あまり忙しくない近頃では、遅くまで会社に残る社員も少ないはずだし、帰ろうとする人に会う可能性も高い。社員とご対面するのはいやだな~と思って、会社に戻るのはやめた。

じゃあ、ビニル傘でも買おうかと思ったが、家にはビニル傘がごろごろしている。いつも雨に遭遇するたびに買っているからである。これ以上はいらないし、無駄遣いだ。
にわか雨だからそのうち止むのではないかと思い、店の中にもどり、うろうろしてみたり、上の階に上っていって、本屋を見たりしていた。ここで、要りもしない本を買うのだったら、それも無駄遣いだと思う。すごくお腹がすいてきたが、どこかでコーヒーを飲んだりして時間をつぶすのも、傘や本を買う以上に無駄遣いである。

また、出入り口に行ってみると、まだ雨は降っているが、いくらか小ぶりになっていた。
思い切って自転車に乗り、雨の中を進む。
空は、ゴロゴロ言っている。雷は次第に激しくなり、雨も全然止まない。
濡れながら、自転車を走らせて、どこかで雨宿りしようかどうしようかと思いながらも、結局家までたどり着いた。

バカやってるね。


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何が好きなのか?

2008-06-09 00:13:41 | 未分類過去
3日間の休みが終わった。
結局、この3日間、いつもの休みのごとく何もしなかった。
何もできないのだ。なぜできないのかわからない。
全く、行動力がなくなり、ひたすら布団にもぐって眠るのみである。

すべてのことが煮詰まっているし、ヤル気が起きない。

小林多喜二の本といっしょに、伊藤整の本も借りてきた。鳴海仙吉を読み始めたが、読み続ける気になれない。面倒くさいのだ。悠長なのだ。やはり私にとっては蟹工船のほうがちょうどいいのかもしれない。鳴海仙吉は若い頃読み始めてやはり続かなかった。それを、自分が若いからだと思っていた。今になったら、自分も40代後半なんだから、中年の心情はよくわかるはずだった。しかし、どうも、最初のうちはどうでもいいような内容だ。

自分が好きだと思いこんでいる作家が、実は自分に合っているわけではないのかしれない。
それは、普通の人間でも同じことだ。なんとなく、この人は自分に合っているとか、自分と理解し合えそうだと思いこんでいることがある。しかし、意外にそうではないのかもしれない。全然気が合わないとか、自分とは違うと思っている人間が実は自分に合っているのかもしれない。

昼寝をたらふくした後、今度は北野武の「余生」の続きを読み始めた。これは読みやすいから半分くらい読んだ。タケシも私とはかなり違う人間だと思った。
そういえば、この人のことは以前は全く関心を持っていなかったのだ。だから、フライデー事件のことも全然知らなかった。
私がこの人に関心を持ち始めたのは、北野氏がバイクの事故を起こして、その傷で顔面神経麻痺になり、その後回復したが、後遺症が残っていて、その後遺症の様子が、私の顔に似ているからである。つまり、おにぎりを食べたときの目の閉まり具合が同じだからだった。そして、また、偶然にも誕生日が同じということを知った。
しかし、考えてみれば、共通点はたったそれだけのことなのだと思う。

何もかもが、自分に合っているわけではないと思い始める。
たとえば、仕事だ。なんで機械だの化学だのの文書を校正しているのかわからなし、なんでそんなことのために放送大学で勉強しているのかもわからなくなってくる。

なんで自分は好きでもないことをしているのかわからないが、だからといって、好きなものが何なのかもまるでわからなくなるばかりだ。
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認証状

2008-06-08 12:49:06 | 日記
放送大学の「芸術系博物館活動支援」の認証状と科目群履修証明書が届きました。
ちょうどこれを申し込んだ直後に、「認証カード」というものもできたらしいのですが、入れ違いになってしまいました。
この認証は放送大学独自のものなので、これがあるからといってどうかなるわけでもありませんが、美術館などでボランティア活動なんかをする時に、これを提示すると、多少それに関する勉強はしたことがあるのかという目安にはしてもらえそうです。

特に、そんな活動をする予定もないのですが、役にたたないものでも、もらっておけば、なんとなく「張り合い」にはなります。

このごろは、あんまり検定などに合格していないので、こういうものをもらうのは久しぶりでした。

また、何かにチャレンジしよう!
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蟹工船(小林多喜二)

2008-06-07 13:31:29 | 読書
「蟹工船」を図書館から借りてきて読んだ。
最近、なぜか昭和初期に書かれたプロレタリア文学の「蟹工船」がブームになっているそうだ。
近年、正規雇用でない人たちの「ワーキングプア」現象などがめだち、恵まれない低層労働者として、似ている点があるからだと言われている。
それにしても、大正・昭和初期の、労働者が奴隷のように働かされた状況と、現在の状況とは、大分違うのではないかと思えるが、とにかく文庫本が若い人たちによって購入され、しかも読後感を聞くと、多くの人が同感する部分が多いなどと答えているようである。また、団塊の世代など、昔読んだことのある人がもう一度読むということも多いようだ。

ということで、私も後者のうちに入る。
このブログで、以前書いたことがあるかと思うが、私は高校生のころ、伊東整の「若い詩人の肖像」にはまり、その中に描写されていた小林多喜二にも関心をもつようになった。
伊藤整も小林多喜二も北海道小樽の出身だった。その後、結構プロレタリア文学を読み、また、共産党の上映した「小林多喜二」を見に行った。当時、父の勤めていた会社は非常に労働組合の活動が活発で、その映画もその関係で見に行ったのだった。多喜二役は山本圭だったと思う。特高につかまり拷問で殺されるシーンは今でも脳裏に焼きついている。

高校時代に読んだ蟹工船を今読み直してみて、全くどの場面も具体的に覚えているものがなかったということがわかった。
この小説には主人公や具体的な固有名を持った登場人物が出てこないのである。また、蟹工船でありながら、蟹や蟹を捕って加工する具体的な情景などがあまりくわしく書かれていない。蟹に関しては、作者本人が蟹工船に乗って本当に体験したことではないから、書いていないのではないかとも思えた。
登場人物に関しては、固有名があったほうがいっそうわかりやすそうなものだが、これは意図的なのだろう。個人の特質や個性でこの物語が発生しているのではなく、社会状況、階級やその人間の役割によって、その人格や状況が必然的に起こっているのだから、むしろ個人名をつけないほうがいい。
特に、最後のほうでわかったことだが、労働者に関しては、ストライキをするにしても、誰か特定の人間が代表者になって先導したとなると、その特定の人間だけが懲らしめられ抹殺されておしまいである。だから、労働者という全体一団として活動しなければ意味がないと書かれている。そのような考えにより、多喜二は個人の苦しみや体験ではなく、あくまでも社会構造として描くために固有名を使わなかったということだろう。
今まで考えたこともなかったのだが、それが「プロレタリア文学」の特徴のひとつでもあるのだろう。

しかし、固有名がないからといって、個人の様子が書かれていないわけでもなく、死んでいった人間個人についても、中心になって活動した人間についても、また、搾取するほうの人間についても、いろいろ印象に残るものがあった。

今の社会に照らしてみると、現在はこうやってストライキをするノウハウはすでに誰でも知っているし、公然と行われており、社会でも認められる状況となっている。
そして、労働中に栄養失調にされたり、体罰によって命を落とすなど、そのような残酷な状況は確かにないといえるだろう。
しかし、非正規雇用の労働者では、サービス残業が普通であり、有給休暇も実際には取れないという職場も多く、安い賃金では生活できない場合も多い。このような状況を改善するために、上司に談判などし、ほんとうに行動に移す人は少ないし、ましてや団結して行動を起こすこともほとんどない。いやならやめてもっと条件のいい職場を自分で探して移っていくしかないし、それができないのは個人の能力がないからということとなっている。

現代社会では、安月給の労働者といっても、暇つぶしに働いているものもあり、生きるために働くものもありと、状況はさまざまなので、安月給のままでいいとするものさえいるため、団結することもできないのだ。

非正規社員は、決して生死がかかわるわけではなく、露骨に暴力を振るわれるわけではないにしても、社会の中で一人前の人間として認められないような精神的苦痛がなきにしも非ずで、そのような場合は一人の人間の尊厳がないというのだろうか、その辺が似ているといえば似ているといえるのだろう。

ただ、やはり蟹工船の時代に比べたら、現代は労働条件や作業場の衛生や安全など、もう雲泥の差であり、日本全体が豊かになったとしか言いようがない。

この作品が再び売れたことには、そのほかに大きな要因があることを発見した。
つまり、この作品には著作権がないのである。
この作品が書かれたのは1929年(昭和4年)であり、作者は1933年(昭和8年)に30歳で亡くなっている。創作からも50年以上たち、死後も50年以上がたち、著作権が切れているのである。だから、蟹工船は「青空文庫」の中に入っていて、誰もが自由に取り扱うことができる。

そんなわけで、漫画「蟹工船」というのがあるらしいが、そのような二次著作物も作者の許可無く自由に作れるために、再び人の目に前に出てきやすくなったといえるだろう。
漫画「蟹工船」が出たことによって原作も再び脚光を浴びているようであり、このことは、作者が早くに亡くなっているからであると言えるだろう。
皮肉なことだが、作者は天国でこの様子を見ているかな~。

この間、ちょうど北海道に行ってオホーツク海を見てきた。
そのときのオホーツク海はまるで湖のように静かだった。
あの平和な海で、こんな過酷な蟹工船が漁をし蟹を加工していたというのが、想像もつかないほどだ。

このごろ私は、偶然なのか、何かと北海道に関係したことに目を向けているようである。
今度は、ぜひとも「小樽」に行ってみたいものだ。



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布施明

2008-06-07 09:42:38 | 未分類過去
布施明さんは、昔からきれいな声で歌が上手ですが、やっぱりこんなに長く、活躍し続けているのは、すばらしいと思います。それには、もって生まれた素質以上にご本人の努力があり、年を経るごとに新たな魅力や技術がどんどん付け加わっていくところが、並々ならないからだとおもいます。

私が、ブログで歌謡曲のことを書くと、どうもかなりの年輩の歌手が多く、いかに自分が昔の人間であるかを実感するわけです。
でも、やっぱり布施明は好きで、過去の人ではなく現在の人でもあり、尊敬しています。

昨日、YOU TUBEでいろいろな歌を聴いてみました。布施明さんは、私よりはかなり年上なので、昔の歌はあまり知らないものもあり、こんな歌を歌っていたのかと新しく知ったこともありました。

先日、北海道に行った時に、摩周湖でバスガイドさんが「霧の摩周湖」を歌ってくれました。ガイドさんも結構なお年(私と同じ40代後半くらいかな?)だったようです。
客の大部分はもっと年上(60くらい)だったので、みんなよく知っているようでした。
私は、布施明の歌で、なんとなく聞いたことがあるものだくらいしかわかりませんでした。
あらためて本物の布施明さんの「霧の摩周湖」を映像を見ながら聴くと、とても同じようには歌えないので、ガイドさんがアカペラで歌うときは、ずいぶんと単純化させて歌っていたんだなと思いました。単純化できるということも驚きです。

そして、「摩周湖は霧で有名」ということも、もしかしたらこの「霧の摩周湖」の歌が一役買っているのではないでしょうか。摩周湖と霧の組み合わせはかなり強く、北海道や湖に詳しくない人でも、誰でも知っているように思います。

この歌は、すごい失恋の歌なのですね。
摩周湖に霧がかかっていれば見ないのは当たり前ですが、しかも「摩周湖の夜」ですから、霧がかかっていなくたって何にも見えるわけないだろうと思います。
いったい、霧がかかっている夜の摩周湖の風景というのは、どんなものでしょうか?
この歌の男性は、恋人と別れたあとたった一人で摩周湖に訪れ、恋人が言っていたことを思い出して感傷に浸っているようです。
昔は、こんな思いつめた歌があったのですね。
摩周湖の湖畔にたたずんで心に悲しく響くような、強烈な印象が残りました。

君薔薇はもっと後の曲で、ずっとずっと明るく軽快ですね。
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