先日、いわさきちひろの美術館に行ったとき、特設展をやっていたのだが、それが「茂田井武展」だった。そのことについては書いていなかったので、書こうと思う。
この人の名前は知らなかった。だから、最近出てきた現代画家かと思ったくらいだ。しかし、岩崎ちひろよりももっと以前の人(1908~1956)であることがわかった。ちょうど100年前に生まれた人である。この人は、戦前にヨーロッパに渡っていた。
ヨーロッパまで行って、その絵を勢力的に描いたという点で、いわさきちひろと共通する部分がある。
いわさきちひろがヨーロッパに行ったころ(1966年)も現代のように海外旅行が普通に行なわれるような時代ではなかったが、この人の場合は、さらにもっと珍しい時代であり、まずは中国にわたり、そこから陸路を経てフランスに着いたようだ。旅行ではなく、現地に滞在し、レストランなどで働きながら、生活の中で街の風景などを書いていたそうだ。そのころは、まだ画家ではなく、絵を志す青年といったところだろう。
当時の絵は個人的な画帳に残され、ほとんど公開もされないままになっていたようである。
会場には、そのころに描かれた画帳の絵を並べて展示してあったが、ヨーロッパのモダンな店の風景や、様々なものが楽しく色美しく描かれていた。
その中には、恋人の娘が作者を見つめる絵など、青年の恋愛を思わせるような意味深のものもあり、印象に残った。
その後、強制送還となり、日本に戻ってきたそうだ。
帰国後も画家ではなく、様々な職業で苦労をして生計をたてていたようだが、日本に戻ってからの絵は、打って変わって急に色合いが暗いものになっていた。ヨーロッパの絵を描いた人と同じ画家とは思えないような画風である。そして、最初に横溝正史の小説の挿絵を書いて画家としての収入を得たのだそうだ。横溝正史といえば、八つ墓村とか犬神家の一族とか、気味の悪いものを連想するが、当時の絵はいかにもそれに合いそうな画風に思えた。時期的には、八つ墓村などよりも以前の作品の挿絵であると思える。
戦時中は、知人の家に身を寄せて暮らしていたようだが、月夜の中に座る女性の絵(竹取物語?)など印象に残っている。そのほか、その知人の家の様子などを描いたものが画調に残され、戦争に行く前に知人に渡して行った絵や、恩人にお礼として渡して行った画帳など、現在に残されているものが多いようだった。画帳は本来写経などをするものらしく、広げると屏風のように絵が連なっていく形が面白かった。
また、子どものころの思い出を画帳に描こうとしていたらしいが、完成はしていない。幼少のころの駄菓子屋さんの風景や、自分が育った旅館の庭の風景などが描かれ、そこにコメントがことこまかく書かれているのも絵巻物のようで面白い。そういえば、フランスの時代の画帳にもフランス語でなにやら書いてあったようだ。絵のみならず、そのような絵日記のようなところが面白い。これらは画家という職業ではなく、あくまでも個人的なものなのかもしれない。
別の展示室には画家という職業人としての作品が展示されていた。これらは戦後のものとなるようだ。明治製菓の広告絵などもあり、ポスターも多い。絵本の絵では、セロ引きのゴーシュなどがあった。熊が檻に入っている絵本の絵はどこかで見た記憶がある。キンダーブックの挿絵もあったが、キンダーブックという子供用の月刊誌みたいなのがそういえば私が子どもの頃あったなと思った。
病気のため、わずか48歳でなくなってしまったようだが、亡くなる数日前まで絵を描いていたようだ。
一生を降りかえってみると、あまり幸せではなかったように思えたが、結婚もして子どももいたということを知り、ちょっとほっとした。それに、晩年は職業画家としても成功していたといえるだろう。
この人が亡くなったのは、私が生まれる4年前であり、亡くなった年齢は今の私の年齢である。
全展示を通して、あのヨーロッパで描かれた若い頃の絵が素敵だなと思うのが一番の印象だ。
そこで、なんとなく連想される画家が2人いた。「絵の中からこっちを見つめる目」と「恋愛」という点で、まず青木繁を思い出した。青木繁の描いた漁師たちがサメを担いでいる絵があるが、その中の漁師の一人の顔がなぜか女の顔のようであり、それがこっちを見つめている。その視線にどきっとする。あの絵は、もしかしたらそこに命があるのかもしれないと思う。
茂田井武の恋人の娘の視線もなぜかドキッとするものすごいインパクトがある。恋人の娘というからには、その恋人は妻子のある人で許されない恋だったのかもしれない。当時は血気盛んな青年であったはずで、裸体でベッドの脇に立つ青年の絵なども描かれている。その恋人の娘の絵は、大きな瞳が抗議するような強い視線でしっかりこっちを見つめているが、恋人の娘であるからには、きっとその瞳は恋人に似ているに違いない。非常に印象深い。作品の中に、画家の恋愛があふれでるとでも言おうか、そういう共通点を感じた。
もう1人思い出した画家は、入江観氏である。この人の本人の話を聞きに行ったことがあるが、やはりフランスに行って絵を描いていた。しかし、日本に帰国してからしばらくはどうも調子が出なかったのだそうだ。それは多くの画家が経験することだという。つまり、ヨーロッパと日本では光も景色も色合いも町並みも何もかもが違うのだそうだ。
簡単に言えば、フランスはきれいで日本は汚いのかもしれない。多くの油絵の画家はそこで1つの壁に突き当たるようである。フランス的な美を日本で探したところで、本当のそれは存在しないのだ。そして、フランスにないものを見つけるところに行き着く。
茂田井武は油絵ではないだろうが、やはり日本に帰国してからの色合いの変化は驚くばかりである。そして、何でそんなに真っ暗になってしまうのかと思ったりもするわけだが、むしろその当時の日本独特の雰囲気はその暗さにあったのかもしれない。明るさやセンスではフランスに存在するものが日本に存在しないのなら、まるで違う要素を見出すしかない。すると、暗闇の中に浮かぶ月とか、妖艶な感じを求める方向に行くのかもしれない。また、その暗さは戦争の時代や本人の生活状況という背景もあるのかもしれなかった。
外国人が日本に魅力を感じるときには、何かと忍者なんかにあこがれるようである。欧米の映画などを見ていると、日本という国は、薄暗い屋敷や竹やぶなんかが出てきて、髪の黒い神秘的であやしい日本女性や茶室なんかが描写されている。外国になくて日本にあるものというと、そういう要素になるのかもしれない。
風土というのは、絵にとって動かせない要素だ。
画家は一生を通して、絵がその人を語る。その人がどのように歩んだかを描かれた絵が物語ってくれる。そして、その人がした経験は何一つ無駄にはならず、その人を形成していくことがわかる。
画家でない人間は、何がその人を物語るのであろうか。
何か一生を通して1つのことをやり続けた人は、そのことを通して、そのことがその人を物語る。
この人の名前は知らなかった。だから、最近出てきた現代画家かと思ったくらいだ。しかし、岩崎ちひろよりももっと以前の人(1908~1956)であることがわかった。ちょうど100年前に生まれた人である。この人は、戦前にヨーロッパに渡っていた。
ヨーロッパまで行って、その絵を勢力的に描いたという点で、いわさきちひろと共通する部分がある。
いわさきちひろがヨーロッパに行ったころ(1966年)も現代のように海外旅行が普通に行なわれるような時代ではなかったが、この人の場合は、さらにもっと珍しい時代であり、まずは中国にわたり、そこから陸路を経てフランスに着いたようだ。旅行ではなく、現地に滞在し、レストランなどで働きながら、生活の中で街の風景などを書いていたそうだ。そのころは、まだ画家ではなく、絵を志す青年といったところだろう。
当時の絵は個人的な画帳に残され、ほとんど公開もされないままになっていたようである。
会場には、そのころに描かれた画帳の絵を並べて展示してあったが、ヨーロッパのモダンな店の風景や、様々なものが楽しく色美しく描かれていた。
その中には、恋人の娘が作者を見つめる絵など、青年の恋愛を思わせるような意味深のものもあり、印象に残った。
その後、強制送還となり、日本に戻ってきたそうだ。
帰国後も画家ではなく、様々な職業で苦労をして生計をたてていたようだが、日本に戻ってからの絵は、打って変わって急に色合いが暗いものになっていた。ヨーロッパの絵を描いた人と同じ画家とは思えないような画風である。そして、最初に横溝正史の小説の挿絵を書いて画家としての収入を得たのだそうだ。横溝正史といえば、八つ墓村とか犬神家の一族とか、気味の悪いものを連想するが、当時の絵はいかにもそれに合いそうな画風に思えた。時期的には、八つ墓村などよりも以前の作品の挿絵であると思える。
戦時中は、知人の家に身を寄せて暮らしていたようだが、月夜の中に座る女性の絵(竹取物語?)など印象に残っている。そのほか、その知人の家の様子などを描いたものが画調に残され、戦争に行く前に知人に渡して行った絵や、恩人にお礼として渡して行った画帳など、現在に残されているものが多いようだった。画帳は本来写経などをするものらしく、広げると屏風のように絵が連なっていく形が面白かった。
また、子どものころの思い出を画帳に描こうとしていたらしいが、完成はしていない。幼少のころの駄菓子屋さんの風景や、自分が育った旅館の庭の風景などが描かれ、そこにコメントがことこまかく書かれているのも絵巻物のようで面白い。そういえば、フランスの時代の画帳にもフランス語でなにやら書いてあったようだ。絵のみならず、そのような絵日記のようなところが面白い。これらは画家という職業ではなく、あくまでも個人的なものなのかもしれない。
別の展示室には画家という職業人としての作品が展示されていた。これらは戦後のものとなるようだ。明治製菓の広告絵などもあり、ポスターも多い。絵本の絵では、セロ引きのゴーシュなどがあった。熊が檻に入っている絵本の絵はどこかで見た記憶がある。キンダーブックの挿絵もあったが、キンダーブックという子供用の月刊誌みたいなのがそういえば私が子どもの頃あったなと思った。
病気のため、わずか48歳でなくなってしまったようだが、亡くなる数日前まで絵を描いていたようだ。
一生を降りかえってみると、あまり幸せではなかったように思えたが、結婚もして子どももいたということを知り、ちょっとほっとした。それに、晩年は職業画家としても成功していたといえるだろう。
この人が亡くなったのは、私が生まれる4年前であり、亡くなった年齢は今の私の年齢である。
全展示を通して、あのヨーロッパで描かれた若い頃の絵が素敵だなと思うのが一番の印象だ。
そこで、なんとなく連想される画家が2人いた。「絵の中からこっちを見つめる目」と「恋愛」という点で、まず青木繁を思い出した。青木繁の描いた漁師たちがサメを担いでいる絵があるが、その中の漁師の一人の顔がなぜか女の顔のようであり、それがこっちを見つめている。その視線にどきっとする。あの絵は、もしかしたらそこに命があるのかもしれないと思う。
茂田井武の恋人の娘の視線もなぜかドキッとするものすごいインパクトがある。恋人の娘というからには、その恋人は妻子のある人で許されない恋だったのかもしれない。当時は血気盛んな青年であったはずで、裸体でベッドの脇に立つ青年の絵なども描かれている。その恋人の娘の絵は、大きな瞳が抗議するような強い視線でしっかりこっちを見つめているが、恋人の娘であるからには、きっとその瞳は恋人に似ているに違いない。非常に印象深い。作品の中に、画家の恋愛があふれでるとでも言おうか、そういう共通点を感じた。
もう1人思い出した画家は、入江観氏である。この人の本人の話を聞きに行ったことがあるが、やはりフランスに行って絵を描いていた。しかし、日本に帰国してからしばらくはどうも調子が出なかったのだそうだ。それは多くの画家が経験することだという。つまり、ヨーロッパと日本では光も景色も色合いも町並みも何もかもが違うのだそうだ。
簡単に言えば、フランスはきれいで日本は汚いのかもしれない。多くの油絵の画家はそこで1つの壁に突き当たるようである。フランス的な美を日本で探したところで、本当のそれは存在しないのだ。そして、フランスにないものを見つけるところに行き着く。
茂田井武は油絵ではないだろうが、やはり日本に帰国してからの色合いの変化は驚くばかりである。そして、何でそんなに真っ暗になってしまうのかと思ったりもするわけだが、むしろその当時の日本独特の雰囲気はその暗さにあったのかもしれない。明るさやセンスではフランスに存在するものが日本に存在しないのなら、まるで違う要素を見出すしかない。すると、暗闇の中に浮かぶ月とか、妖艶な感じを求める方向に行くのかもしれない。また、その暗さは戦争の時代や本人の生活状況という背景もあるのかもしれなかった。
外国人が日本に魅力を感じるときには、何かと忍者なんかにあこがれるようである。欧米の映画などを見ていると、日本という国は、薄暗い屋敷や竹やぶなんかが出てきて、髪の黒い神秘的であやしい日本女性や茶室なんかが描写されている。外国になくて日本にあるものというと、そういう要素になるのかもしれない。
風土というのは、絵にとって動かせない要素だ。
画家は一生を通して、絵がその人を語る。その人がどのように歩んだかを描かれた絵が物語ってくれる。そして、その人がした経験は何一つ無駄にはならず、その人を形成していくことがわかる。
画家でない人間は、何がその人を物語るのであろうか。
何か一生を通して1つのことをやり続けた人は、そのことを通して、そのことがその人を物語る。