p.himapa Photo Gallery

実はMaintitle「p.himapaのたわごと」です。

ごあいさつ

ハンドルネーム:ひまぱのぱ(p.himapa) 外国の人とのやり取りを始めてから( )内にp.himapaを追加しています。自然風景やポートレート写真が好きなのですが、近年はなかなか撮影できず、好きな小物や日常のスナップがほとんどです。大それたブログタイトルを付けてしまいましたが、実はMaintitle「p.himapaのたわごと」です。どうぞお付き合いください。過去の記事へのコメントも大歓迎です。よろしくお願いします。連絡は右サイドバーの「メッセージを送る」からどうぞ。

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写真機材

○αシステム ボディ:α900+VG-C90AM×2台、α9+VC-9M×2台。 レンズ:AF50mmF1.4NEW、SIGMA 50mmF1.4 EX DG HSM、AF85mmF1.4G、AFマクロ100mmF2.8NEW、Vario-Sonnar T* 24-70mm F2.8 ZA SSM、AFアポテレズーム70-200mmF2.8G(D)SSM、AF1.4×テレコンバーターアポ(D)。 〇ニコンシステム ボディ:D5 XQD仕様×3台、レンズ:AF-S NIKKOR 14-24mm f/2.8G ED、AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR、AF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8E FL ED VR、AF-S NIKKOR 180-400mm f/4E TC1.4 FL ED VR、AF-S NIKKOR 50mm f/1.4G、AF-S NIKKOR 85mm f/1.4G、 AF-S VR Micro-Nikkor 105mm f/2.8G IF-ED、 AF-S TELECONVERTER TC-20E III、AF-S TELECONVERTER TC-14E III、各保護フィルター(14-24mm f/2.8Gは、フィルターが取り付けられない。) フラッシュ:スピードライトSB-5000×2台。その他 XQDカード128G×4枚、予備バッテリーLi-ionリチャージャブルバッテリー EN-EL18a×4個、 液晶保護ガラス×2枚、リモートコードMC-30A×2本、 変倍アングルファインダー DR-5。 シグマ:50mm F1.4 DG HSM。 〇手放したもの:α900+VG-C90AM×1台、α7Digital+VC-7D、AF24mmF2.8NEW、AF28mmF2NEW、AF35mmF2NEW、AF50mmF1.4、AF50mmF1.4NEW、AFマクロ50mmF2.8NEW、AF100mmF2、AFアポテレ200mmF2.8G、AF28-70mmF2.8G、AFアポテレ80-200mmF2.8G、AF1.4×テレコンバーターアポⅡ、トキナー 100-300mmF4、ケンコーテレプラスPRO300-1.4倍・2倍。120-300mm F2.8 DG OS HSM、TELE CONVERTER TC-1401、TELE CONVERTER TC-2001。  〇三脚:GIZZO 2型3段G1227、3型3段G1329、2型3段GT2532、3型4段ロングGT3542L、4型3段ロングシステマチックGT4533LS+センターポールGS3513S。 雲台:梅本製作所の自由雲台(SL-50ZSC、SL-60ZSC)、HUSKY(ハスキー)3Dヘッド×2、マンフロットのギア付きプロ雲台SKU405。

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日帰りは酷だ

2008-01-11 18:39:08 | その他 Others
昨日鼻の手術をした。鼻中隔湾曲矯正術、下鼻甲介手術(両側)
9時前にセンターに着き、病室に案内される。
広い部屋をパーテンションされた小部屋だ。
天井は筒抜けで、カーテンで覆ってある。(表題写真)

甚平のような手術着に着替え、体調確認と検温に血圧測定。その後順番を待つ。
緊張はするが、思いのほか緊張感は少ない。
9時40分ごろ呼ばれて、手術室に向かう。
手術室と言うと前室があり、足に袋をかぶせ、ほこりが立たないように床がネチネチしていると思っていたが、このセンターは、病室の廊下から直接手術室で、歩いて手術台まで向かった。

手術台に横になると、すぐに血圧、心電図、点滴、血中酸素濃度を測る器具をつけられる。
麻酔医がマスクをかざし、「深く深呼吸してください。だんだん気持ちよくなって麻酔がかかかります。」と。
2・3回は全く変化がなく、すぐにはかからないんだと思っていたら、5回も数えないうちに記憶がない。
次に目が覚めたのは、病室に戻ってからだ。

術後すぐ麻酔は覚め、応対はしていたようだが、自分の記憶にあるのは病室で、妻に声をかけられ、「もう終わったの?」「鼻が痛い。」と発したものだった。
手術室に向かった1時間後の10時40分ぐらいだった。

鼻がツーンとしたような痛みがずっと続いている。
目は涙が多く開けづらい。最初に見えたもを教えてねと職場の人に言われていたが、最初に見えたものは、病室の天井と扉の上部だった。
体を起こすと気持ちが悪かったりする。

鎮痛剤を飲んでも、鼻の痛み、目の奥の痛みや首から後頭部へかけての痛み、頭全体の重みや痛みがあり、起き上がることはもちろん、飲食するのも億劫である。
座薬も使った。
それでも症状は変わらない。
妻曰く、静かだったとのことだが、うなる元気もなかった。

空腹感はあるので、飲みやすいものや食べやすいものを口にしてみるが、体が辛くてなかなか思うように食べられない。

夕方になっても症状は一向に治まらない。
これでは脱水になってしまうし、家に帰る元気も出ない。
ブドウ糖や生理食塩水の点滴でもして欲しいと思い頼んでみた。

随分たってから麻酔医がやってきて、「脱水症状があるわけでもないので点滴する必要なんて何にもない。」「寝ている必要もないから起きてトイレに行ってみて。」「鼻や頭が痛いのや重いのは術後だから当たり前。気持ちの持ちよう。」というような言葉を浴びせられた。
先生なりの励ましかもしれない。でも患者本人は辛いのだ。ものの言いようがあるだろう。心のケアが全くされていない気がした。

看護師に「いつまでいられますか。」と言う問いに対しても「6時ごろまでですが、ここにいても家にいても一緒ですから。」という回答。
ちょっと待て。そんなことは分かっている。着替えてタクシーで帰るのすら辛いから、少しでも楽になるまでいたいと思っているのに、ここにいても家にいても一緒はないだろう。
看護士さんも、冴えない患者に一生懸命やってくださっているのは分かる。でもこの一言には、あきれてしまった。

これで日帰り手術をうたっているのか。患者を追い出しているのではないか。
そんな思いがした。

案の定、タクシーに乗り込むまで、タクシーから家に歩くまでの寒さは、体にこたえた。
家に帰ってからは、着替える元気もなくそのままふとんに横になった。
しばらく眠ったら随分楽になった。
夕食も少し食べやすくなった。
だんだん回復してきたかと思いきや、夜中になってからまた痛みが強くなってきた。
頭が痛いのはほとんどなかったが、鼻が痛く朝までほとんど眠れなかった。
鎮痛剤は定期的に飲んでいるので、これ以上飲むことはできない。
ずっとそうだが、聞いていた鼻の詰め物の苦しさより、痛みの方がずっと辛い。

明け方少し眠れたら、痛みも少し楽になったので、朝食は普通に取れたが、痛みは徐々に良くなって行くというより何だか波がある。
また、鼻の詰め物で目が疲れた感じで、長く開いているのが辛く、目を瞑って眠りたいと言う心境。
熱は、術後は36度台だったが、昨日の夜中からは37.1℃~37.5℃ぐらいを推移している。
今日もほとんど寝ていた。

相変わらず、血の混ざった鼻水は時々垂れてくる。喉に下りてくる血は最初からほとんどなく、鼻をすすった時に血の混ざったたんのようなものが出てくる。
普段口の中に下りてこないのは思ったより楽ではあるが痛みが辛い。

夕方になって痛みがだいぶ和らいだので、忘れないうちにと思い、記録を書いてみる。

さあ、明日は2回目の手術。内視鏡下副鼻腔手術(左側)、後鼻神経切断術(左)

センターに対する愚痴も書きましたが、院長は信頼できそうだし、スタッフも含めて信頼し、任せるしかありません。

ところで、病室ではずっと妻が付き添っていた。
何をするわけでもないが、そこにいるだけで安心する。
男って弱いものだね。
子供が入院していたときは、妻(子供から言えば母)がずっと付き添っていたが、子供は随分安心しただろう。
父が癌で入院し亡くなるまで母が付き添っていたが、父が安心していたのを思い出す。
病人の手当ては、医療技術だけでなく心のケアが大切だとつくづく感じます。
コメント (3)
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