「なまはげ」でしられている男鹿半島に行ってみました。
その日(2014年11月3日)は、日本海側大荒れの天気でした。
波しぶきが恐ろしいくらいに立ち上がり、強風で車は揺すぶられ、とんでもないタイミングで来てしまったと思いました。
男鹿水族館でも見ようか、と駐車場に入ったものの、波しぶきが雨のように降り注いでくるため断念。
強風の為、腰を屈めながら水族館に入っていくファミリーを見ながら、断念して良かったと思わされました。
自然のパワーというものは、時に本当に恐ろしいものだと感じます。
赤神神社は、重要文化財の「五社堂」が境内にあります。
神主さんはおられないということなので、ご朱印は頂くことができません。
ここから「五社堂」へも続いているのですが、途中にあるパーキングから歩いたほうが早いです。
その日は、観光案内の方々が、参拝のお客様のためにお茶のサービスや、靴の貸出(無料)を行っていました。
~wikipediaより~
「赤神神社 五社堂」は72年、80年とも81年ともいわれ、赤神と称した漢の孝武帝が天から降りてきたという伝説がある。
一方、縁起によると、860年、慈覚大師円仁が当地に来て赤神山日積寺永禅院(永禅坊とも)を創建したのに始まり、1216年、比叡山の山王七社を勧請して造営されたが、うち2社が廃れたため五社堂となったとする。
上りの雑木林をひたすら歩きます。
この石段は、鬼が999段積んだという有名な言い伝えがあります。
~以下観光案内HPより~
およそ2000年の昔、漢の武帝が5匹のコウモリを連れて男鹿にやってきました。コウモリは5匹の鬼に変わった。武帝は5匹の鬼たちを家来として使ったが、1年に一度正月を休みにさせました。鬼たちは大喜びして里へ降り、作物や家畜を奪って大暴れし、ついには里の娘までさらっていくようになりました。困った村人たいちは、一夜で千段の石段を築くことができれば1年に1人ずつ娘を差しだすが、もしできない時には二度と里に降りてこない、という賭けをしました。鬼たちは精魂を尽くして積み上げあと一段!正に完成寸前、というところで「コケコッコー」と一番鶏の鳴き声。鬼たちはあきらめて、約束どおり山奥へと立ち去ったといわれています。
この鳥の鳴き声は、モノマネの上手な村人が石段完成を阻むために鳴き真似をしたとか、いつも鬼に馬鹿にされている天邪鬼が腹いせに鳴き真似をしたとか言われています。
鬼が来なくなって何か心寂しく感じた村人たちが、年に一度正月15日に鬼の真似をして村中を回り歩く様になったのが、あのナマハゲの始まりだと言われています。
やっと鳥居が見えてきました。
観光案内の「靴の無料貸出」という過剰かと思われたサービスも、ここまでくると、なるほどと思わされます。
女性の細いヒールなどでは、とてもこの道は上ってこれないと感じます。
「姿見の井戸」
恐る恐る覗いたら、私の姿が水面に映りました。
井戸をのぞきこんだときに、自分の顔が水面に写れば 長生きできるという言い伝えがあるそうです。
鬼が築き上げたという999段の石段を登ると赤神神社五社堂が見えてきました。
祀られているのは5匹のなまはげで、両親と子供3人だといい、赤神神社の「赤神」とは、前述の漢の武帝のことだと言われています。
シーンと静まり返った杉木立の中、ずらりと立ち並んだ五社堂は貫録があります。
この五社堂は近年、JR東北の「大人の休日倶楽部」において、吉永さゆりさんがこの地を訪れた場所でもあります。
前述の言い伝えでは、石段を完成させることのできなかった鬼は、憤慨して千年杉の大木をひっこ抜き、逆さに立てたといわれています。
建物のガラス越しに、その杉の一部が展示されていました。