プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

渡辺澄雄

2014-06-09 22:06:15 | 日記
1966年

「うれしいですね。はじめてですからね」二年生の渡辺は、プロ入り初の一軍遠征に加わって感激の態である。彼の役目といえば、試合前のバッティング・ピッチャーとボール運び。試合に出るとしても、せいぜい敗戦処理に投げるくらいなもの。しかし、長谷川監督にいわせると、将来は中堅投手になれる可能性もあるそうだ。「渡辺を当て馬に使うだけでなく、実際にも使ってみたいね。まだ、ウチの投手陣が充実しているので、彼の出番はなかなか回ってこんだろうが、球が速いし見どころはある」とは、見こまれたものだ。
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小泉恒美

2014-06-09 21:47:18 | 日記
1966年

昨年、序盤戦で南海快進撃を支えた若手選手の一人小泉が、ことしは不振にあえぎ、ファームで懸命の努力をつづけている。小泉は四月中に12試合に出場したが、五月にはいりいつの間にか姿を消した。四月中の成績は6打数ノーヒットで2三振。王ばりの一本足打法も、サッパリ効果がない。小泉は、「バットのため、体重の移動など、まだフォームをマスターしていなかったのが原因です。一日も早くとあせりますが、もう一つというのが現状です」と悩んでいる。この小泉にとって、一本足打法を完成した王は、いわばお手本であり、先生である。昨年から王のバッティング・フォームを参考にしていろいろ研究しているが、不思議なことに王の当りがストップすると小泉のバッティングまで迷いが生じるといわれていた。ことしも王の当りが止まってからは立ち直りのきっかけさえつかめず、「王さんはどうなっているんだろう。王さんが当たらないとこちらまで影響するから・・・」とぼやいている。小泉のためにも王本来のバッティングを取り戻し、刺激を与えてもらいたいものだが・・・。
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西山敏明

2014-06-09 21:25:08 | 日記
1971年

性格はおとなしいが攻守とも馬力がありバッティングもよい。インサイドワークと荒さを直せばのびが早い。

思い出・・高校時代関西高(森安=東映)と延長14回戦をしたとき

44年度 試合1 打数0 安打0 本塁打0 打点0 盗塁0 四死球1 三振0 失策0 打率000
45年度 試合5 打数5 安打0 本塁打0 打点0 盗塁0 四死球0 三振4 失策0 打率000

ウエスタン

43年度 試合33 打数81 安打19 本塁打5 打点18 盗塁0 四死球9 三振29 打率235
44年度 試合46 打数136 安打31 本塁打3 打点14 盗塁1 四死球15 三振28 打率228
45年度 試合51 打数120 安打28 本塁打2 打点13 盗塁1 四死球12 三振25 打率233
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矢野晃

2014-06-09 21:01:21 | 日記
1966年

プロ入り四年生になる矢野晃投手。秋季練習では、すばらしく速いボールを投げて坪内ヘッド・コーチから「いまのスピードなら、一軍の打者にも十分通用する」と折り紙をつけられた。中肉中背の体格で、出身は福岡県の八女高。入団した年の勝浦キャンプで、そのピッチングを見た評論家たちから、「すばらしい真っ向上段から投げこむ本格派だ。こいつはモノになる」と期待されたのに、肩や肘が故障しがちで、ついに陽の目を見るには至らなかった。しかし、故障さえなければ、来シーズンは第一線で相当にやれそうだ。
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細田正彦 辻善之

2014-06-09 20:56:01 | 日記
1966年

イースタン屈指のアンダースロー投手といわれていたサンケイの細田(山梨・市川高、二年目)と大洋の辻(平安高、五年生)が、一軍に登板したものの、簡単に打ちこまれ、「やっぱりイースタンのバッターと地力がちがう。スピードやコースがちょっとでも甘いと通用しないもんですネ」とがっくりしている。細田は高校時代、巨人の堀内とともに「山梨で一、二を争う好投手」といわれた成長株。入団一年目の昨シーズンも、一軍戦に6試合起用され、石戸、鈴木につぐ下手投げ・・・と首脳陣の期待を集めていた。一方の辻は同じく三十一日のサンケイ戦に五年目でプロ初登板。「イースタンでメキメキ腕を上げている」という大石二軍コーチの報告にもどづいて宮崎監督代行が、思いきって起用したわけだが、結果は打者3人に2安打、そのうちホームラン1で自責点2という散々なものだった。
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平井誠一

2014-06-09 20:14:47 | 日記
1965年

野手組の中で最も期待されているのは平井誠一三塁手(二三)だ。小倉高軟式野球部からテストで近鉄入りした変わり種だが、プロ入り三年目の65年、ウエスタンで3割4分5厘をマーク、首位打者になり、一躍脚光を浴びた。軟式野球出身だけに、まだプレーに泥くささが抜けないが、一㍍七十九、七十四㌔のいかにも力のありそうなからだが魅力。まだ、バッティングが荒くウエスタンの首位打者も、一軍では22打数4安打と振るわなかったが、四年目の来季あたり、メキメキと腕を上げそう。ただ、ポジションが三塁手でここには小玉がいるだけに出場のチャンスは少ないだろうが、岩本監督は平井のバッティングをなんとか生かしたいと考えており、今季は代打としても多くのチャンスを与えられそうだ。
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