1966年
このところ東京の不動の四番におさまっているのが山田。十八日現在、25打数10安打の打率四割と打ちまくっているが、この大活躍に関係者は、「よくあすこまでカムバックしたもの」と感心している。というのは、この山田、三十三年に明治高から外野手として入団。その年、イースタンで2ホーマーを含む2割9分をマーク。「将来性十分な左投げ左打ちの好打者」と折り紙をつけられた。しかし、胸を痛めて翌三十九年と四十年の丸二年間療養生活を送り、昨年暮れから三年ぶりに復帰したもの。今シーズンから動きの少ない一塁手に転向して再起を期しているが、相変わらずのシャープな好打ぶりに、「榎本の後継者は山田をおいてほかにはいない」と、早くも評価はうなぎのぼり。
このところ東京の不動の四番におさまっているのが山田。十八日現在、25打数10安打の打率四割と打ちまくっているが、この大活躍に関係者は、「よくあすこまでカムバックしたもの」と感心している。というのは、この山田、三十三年に明治高から外野手として入団。その年、イースタンで2ホーマーを含む2割9分をマーク。「将来性十分な左投げ左打ちの好打者」と折り紙をつけられた。しかし、胸を痛めて翌三十九年と四十年の丸二年間療養生活を送り、昨年暮れから三年ぶりに復帰したもの。今シーズンから動きの少ない一塁手に転向して再起を期しているが、相変わらずのシャープな好打ぶりに、「榎本の後継者は山田をおいてほかにはいない」と、早くも評価はうなぎのぼり。