プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

山田正雄

2014-06-13 22:29:00 | 日記
1966年

このところ東京の不動の四番におさまっているのが山田。十八日現在、25打数10安打の打率四割と打ちまくっているが、この大活躍に関係者は、「よくあすこまでカムバックしたもの」と感心している。というのは、この山田、三十三年に明治高から外野手として入団。その年、イースタンで2ホーマーを含む2割9分をマーク。「将来性十分な左投げ左打ちの好打者」と折り紙をつけられた。しかし、胸を痛めて翌三十九年と四十年の丸二年間療養生活を送り、昨年暮れから三年ぶりに復帰したもの。今シーズンから動きの少ない一塁手に転向して再起を期しているが、相変わらずのシャープな好打ぶりに、「榎本の後継者は山田をおいてほかにはいない」と、早くも評価はうなぎのぼり。
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唐崎信男

2014-06-13 21:25:59 | 日記
1966年

巨人のスピーディーな試合運びにチームの老化現象を思い知らされた鶴岡監督は、若返り策を断行、その手始めとしてブルームを整理するなど、かつてなく意欲を示している。二十六日からの秋季練習でも若手の鍛え直しに鋭い目を光らせているが、まずヤリ玉にあがったのが、広瀬二世といわれている唐崎。「いつまでたってもボヤボヤしとる。もっとしっかりせんかい」とカミナリが落ち、めっこを入れられた唐崎は徹底的にしぼられた。唐崎の俊足はチームでも定評があるが、肝心の打撃がサッパリで、せっかくの俊足も宝の持ち腐れの観がある。「ウチが片チンパの選手が多すぎる」とは鶴岡監督の口ぐせ。唐崎もご多分にもれないわけだが、プロ入り六年目を終えたところでオレがチームの中核にならなければ・・・の気がまえがあれば、もう少しぐらいの進歩はあってよいはずだ。広瀬二世がたんに「足」だけの域にとどまるか、あるいは攻守両面で名実ともに先輩の域に迫るかで、南海の戦力もかなり変わったものになるだろう。
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