1966年
産経の醍醐といえば、東京の醍醐捕手の五つ違いの弟。プロ野球では数少ない兄弟選手だが、「地味な感じは兄貴にそっくり」といわれている。この醍醐、三十七年に早実から入団していらい捕手ー三塁ー投手と転々、ようやく投手に本腰をいれはじめたもの。一軍戦では開幕の阪神戦にリリーフで投げたが、まだまだ力不足。しかし、イースタンでは十七日の東京一回戦で木樽に投げ勝ち、幸先きのいい一勝をマークしている。「自然にスライドするタマが特徴。しかし、他は取りたてていうほどのタマはない」という醍醐だが、ことしは二人前だと張り切っている。一月九日に幸子夫人と新家庭を持ったのがそれ。同僚の倉島、篠田らと同じ日に挙式したのに、この醍醐だけは球団にも通告せず、事後承諾。「とにかく万事が地味。控え目なのはいいが、野球をするとき位はパッとハデにやってほしい」とは関係者の声。
産経の醍醐といえば、東京の醍醐捕手の五つ違いの弟。プロ野球では数少ない兄弟選手だが、「地味な感じは兄貴にそっくり」といわれている。この醍醐、三十七年に早実から入団していらい捕手ー三塁ー投手と転々、ようやく投手に本腰をいれはじめたもの。一軍戦では開幕の阪神戦にリリーフで投げたが、まだまだ力不足。しかし、イースタンでは十七日の東京一回戦で木樽に投げ勝ち、幸先きのいい一勝をマークしている。「自然にスライドするタマが特徴。しかし、他は取りたてていうほどのタマはない」という醍醐だが、ことしは二人前だと張り切っている。一月九日に幸子夫人と新家庭を持ったのがそれ。同僚の倉島、篠田らと同じ日に挙式したのに、この醍醐だけは球団にも通告せず、事後承諾。「とにかく万事が地味。控え目なのはいいが、野球をするとき位はパッとハデにやってほしい」とは関係者の声。