プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

三枝規悦

2014-06-22 19:45:07 | 日記
テスト入団だが努力で一軍入り。派手さはないが中継ぎにはなくてはならない存在だ。その持ち味は接戦になればなるほど力を発揮。スリークォーターから横の変化球を武器にピンチに動ぜず、淡々と小気味いい投球でピンチを切り抜けていく。

1980年「中日時代」
・10月12日、ナゴヤ球場の阪神ダブルヘッダー。第1試合「24回戦」に中継ぎで1イニング投げたが、その内容が安定していた。「よし、これならいける」中監督は、この三枝を第2試合にもためらわず、マウンドに送った。だが、勝ち星を目前にした8回につかまり、佐野に逆転の3ランをかまされた。「いや、しかたないです。きっと出直して見せます」という三枝の言葉には、あすへの希望が強くのぞいていた。今春、松本幸との交換で中日入り。松本の働きが目立ったのにひきかえ、三枝は故障もあり泣かず飛ばず。ところが練習熱心なところを二軍首脳に評価され、終盤にやっと一軍昇格がかなった。来季が楽しみな新鋭投手である。
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島本啓次郎

2014-06-22 15:28:47 | 日記
豪快な人柄。鉄砲肩はチームでも1,2を争う。バッティングは荒く、変化球打ちが一軍定着への課題だ。

ファーム成績
1979年・打率211、本塁打2
1980年・打率231、本塁打7
1981年・打率258、本塁打4

1980年
・いま巨人に、新しい大型外野手が誕生しょうとしている。今年3年目の島本啓次郎だ。近鉄の島本講平の実弟。江川とは法大時代の同期生で53年に巨人の門をくぐった。法大時代の2本の満塁本塁打は東京六大学の新記録である。こんな「神宮のスター」だった島本だが、ここ2年は全くの不振。昨年も95打数20安打、打率はわずか211という低い数字だ。試合出場の機会も少なくレギュラーの迫丸、中司らと比べても、約1/3強の出場しかなかった。その島本がイースタンの開幕戦で得意の満塁本塁打をぶっ叩いた。苦手としていたカーブを2ストライクと追い込まれてからの一打だけに価値がある。末次コーチも「2ストライクと追い込まれてから、どんな工夫をするか注目したが、よく球を引きつけて打ってくれました」と賛辞を送る。肩の強さと足の速さに関しては一軍へいっても胸を張れるものをもっている。人気も根強いものがあり女性ファンには「あの笑顔がたまらない」らしい。愛車はBMW。江川が乗っているのと同型の高級車。この車の特長は「出足のよさにあり、国産車では絶対かなわない」といわれる。開幕早々、派手なホームランを打った島本。車と同じ好スタートをみせたのだが、このあとも、うまくダッシュに「乗れるか」どうか。楽しみな選手である。
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山形和幸

2014-06-22 14:31:00 | 日記
強肩強打の捕手として期待されたが、最初の年のキャンプでスライディング・キャッチ練習で肩をケガ、野球選手としての道を断たれた。気の毒な選手である。
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関根勇

2014-06-22 14:28:10 | 日記
関根は大阪高からPL教団を経て、三十九年に入団した捕手。ファイトマンで藤井寺球場での二軍戦でファールチップを右手中指にあて骨折。指がうしろへ90度もまがったのに「やらせてくれ」と監督に頼み込んだという根性の持ち主だった。しかし、器用さが災いしてか大成しなかった。その後、グローバルリーグへ加わり、プロ野球への夢を持ち続けたが、リーグが解散し、野球との縁を切った。
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望月卓也

2014-06-22 10:38:12 | 日記
1975年

色白で端正な顔立ち。181㎝の長身から鋭く切れ込むシュートは威力がある。高校時代は1試合平均11個の三振奪取という本格派。キャンプでは堂園と同室で、プロのあり方を話し合ったという。目標はでっかく金田投手。ライバルは堂園。2人で公式戦1勝を競う。素質は地元出身の佐伯、永本以来の大物。一日も早く地元ファンにその雄姿を見せて欲しいもの。
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堂園喜義

2014-06-22 10:33:41 | 日記
1975年

高1の時から甲子園の土を踏み、更に2年の夏、3年の春と3回も甲子園出場。地元では定岡(巨人)の人気派に比べ実力派の折り紙つき、目標はズバリ金城。そのアンダースローからくり出す速球は金城の入団時より上と言われる。すらりとした体つきに比べての強いバネ。強心臓。懸案のフォームが固まりつつあり、第一線に出る可能性は他の高校生投手より早いだろう。
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竹田和史

2014-06-22 10:16:30 | 日記
1976年

サウスポーの竹田は、中つぎ投手として貴重な存在だ。昨季、57試合に登板して、鈴木孝につぐ救援役をつとめ上げたのは、とにかく立派だ。真っ向から快速球を投げこみ、打者を力でねじ伏せようとするピッチングが彼の身上でもある。ただ、欲をいえば制球力が不安定なことだ。投球フォームが一定していないので、一つ狂うと自滅するケースもある。しかし、カーブやフォークを覚えるのも結構だが、自分の武器は速球にありーを忘れず、今後の精進努力を忘れないでほしいものだ。
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