1966年
「秋山さんみたいな、息の長い巧みなゆさぶりピッチャーになりたい」と目の色かえて精進を重ねているのが大洋の亀井。高校時代は早鞆高のエースとして甲子園で活躍。遊撃の古田と一緒に大洋入りしたのが昨年。一メートル七六、七八㌔と、中柄ながらバランスのとれた上手投げ投手として期待されていた。ところが今年になってから、球筋が素直すぎるという理由と五月四日、練習中にバーベルを落として、右足親指の爪をはがし、約十日間のブランクをつくったあと、自分から下手投げへ転向を決意して、首脳陣の許可をもらった。それからは連日、フォームづくりに専念。現在も毎晩九時から一時間、多摩川合宿所の体育館で腰に自転車のチューブを巻きつけ、それを壁にくくりつけて、シャドーピッチングに汗を流している。イースタンではすでに4試合に登板。10イニングスで自責点4と内容的には、まだ芳ばしくないが、東映戦で1勝をマーク。幸先のよい再スタートぶりだ。「まだ腰がグーンと沈んだまま出ないし右腕の振りがボーリングのタマをころがすように伸びたままだと秋山さんに注意されています。でも外角の速球に自信もできたし、沈むタマもおぼえ、ピッチングの楽しさをわかってきました。それに秋山さんという、いい目標が身近にあるし、早く一人前のピッチャーになりたい」と亀井は目を輝かせている。
「秋山さんみたいな、息の長い巧みなゆさぶりピッチャーになりたい」と目の色かえて精進を重ねているのが大洋の亀井。高校時代は早鞆高のエースとして甲子園で活躍。遊撃の古田と一緒に大洋入りしたのが昨年。一メートル七六、七八㌔と、中柄ながらバランスのとれた上手投げ投手として期待されていた。ところが今年になってから、球筋が素直すぎるという理由と五月四日、練習中にバーベルを落として、右足親指の爪をはがし、約十日間のブランクをつくったあと、自分から下手投げへ転向を決意して、首脳陣の許可をもらった。それからは連日、フォームづくりに専念。現在も毎晩九時から一時間、多摩川合宿所の体育館で腰に自転車のチューブを巻きつけ、それを壁にくくりつけて、シャドーピッチングに汗を流している。イースタンではすでに4試合に登板。10イニングスで自責点4と内容的には、まだ芳ばしくないが、東映戦で1勝をマーク。幸先のよい再スタートぶりだ。「まだ腰がグーンと沈んだまま出ないし右腕の振りがボーリングのタマをころがすように伸びたままだと秋山さんに注意されています。でも外角の速球に自信もできたし、沈むタマもおぼえ、ピッチングの楽しさをわかってきました。それに秋山さんという、いい目標が身近にあるし、早く一人前のピッチャーになりたい」と亀井は目を輝かせている。