プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

亀井進

2014-06-14 11:48:29 | 日記
1966年

「秋山さんみたいな、息の長い巧みなゆさぶりピッチャーになりたい」と目の色かえて精進を重ねているのが大洋の亀井。高校時代は早鞆高のエースとして甲子園で活躍。遊撃の古田と一緒に大洋入りしたのが昨年。一メートル七六、七八㌔と、中柄ながらバランスのとれた上手投げ投手として期待されていた。ところが今年になってから、球筋が素直すぎるという理由と五月四日、練習中にバーベルを落として、右足親指の爪をはがし、約十日間のブランクをつくったあと、自分から下手投げへ転向を決意して、首脳陣の許可をもらった。それからは連日、フォームづくりに専念。現在も毎晩九時から一時間、多摩川合宿所の体育館で腰に自転車のチューブを巻きつけ、それを壁にくくりつけて、シャドーピッチングに汗を流している。イースタンではすでに4試合に登板。10イニングスで自責点4と内容的には、まだ芳ばしくないが、東映戦で1勝をマーク。幸先のよい再スタートぶりだ。「まだ腰がグーンと沈んだまま出ないし右腕の振りがボーリングのタマをころがすように伸びたままだと秋山さんに注意されています。でも外角の速球に自信もできたし、沈むタマもおぼえ、ピッチングの楽しさをわかってきました。それに秋山さんという、いい目標が身近にあるし、早く一人前のピッチャーになりたい」と亀井は目を輝かせている。
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佐野卓郎

2014-06-14 11:21:11 | 日記
1966年

昨年まで遊撃手だった佐野がことしのキャンプから、外野手にコンバートされた。昨年、近鉄から「ぜひ譲ってほしい」と望まれたくらい。ウエスタン・リーグで有望株だったが、どうしたものか毎年、ケガをやらかしては、大事なところで、チャンスから見放されてばかりいた。首脳部では、ケガの多いのを心配して、「いっそのこと、外野に回してその強打を生かした方が・・」ということで意見が一致し、このキャンプから初めて外野を練習したというわけ。キャンプのある日、左翼を守っていて本塁打の打球を追い、フェンスに右ヒザをぶつけてぶっ倒れる場面があった。「ケガをなくしようと外野に回らせたのに、またやったか!」と、コーチ陣は一瞬、その表情を曇らせた。しかし、たいしたことはなくだれもが、ホッと胸をなでおろしていた。
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岡正光

2014-06-14 10:33:16 | 日記
1966年

今年も九月五日に第一回目のプロ野球選択会議が開かれるが、ランク上位者が必ずしも有望選手や金の卵ばかりは限っていない。昨年、大洋が一位にランク、トップを切って第一号の契約を結んだ期待の左腕投手、岡(福島・保原高)などは期待はずれもいいところ、最近はイースタンでも、マウンドをほっぽろかして左翼手に転向、連日バットに磨きをかけている。「球が遅く、フォームもバラバラで使いものにならない」というのと野手の人数が足りないというのが転向の理由。当の岡は「出直しのつもりでトコトンやってみます。と暇を見てはバーベル上げで汗を流し、やる気十分。だが、ランク一位の名誉を取り戻せるだろうか。
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鎌田豊

2014-06-14 10:27:22 | 日記
1966年

堀内(巨人)と新人王を争う広野(中日)の花々しい活躍や、球宴あけから本領を発揮しはじめた長池(阪急)のデビューぶりと比較して、広島のホープ鎌田の現況は、同じ六大学組であるだけに、いかにも寂しいかぎり。倉敷工ー法大と野球界での名門コースを歩んできた。そのうえ法大では入学早々からレギュラーとして出場、首位打者にもなったが、「バッティングには自分なりに自信を持っていたが、想像以上にプロにはスピードがある」といまだにとまどっている。この鎌田の評価をめぐって首脳部の意見が二つに分かれている。というのは鎌田の右肩がよくないからだ。大学時代に一度肩を痛めたせいもあって遠投力に乏しく、いっそそれなら代打電門という意見と、あくまでレギュラーめざして育てるべきだと二つに分かれている。この結論が早急に出ないのは、どちらの見方も「第一線出場までには時間がいる」という点では一致しているからだ。「焦らずにやりますよ」鎌田は一軍への足がかりさえつかめたら・・と広野や長池の活躍をよそに、いまファームで懸命の努力をつづけている。
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関根知雄

2014-06-14 09:54:51 | 日記
1966年

入団して四年目で株を上げているのが大洋の関根内野手。右足親ユビの痛風で欠場ぎみだったアスプロにかわって、杉本と交代で出場した春のオープン戦、ここだけならそれほど話題にもならないが、残した打率がなんと5割3分3厘(15打数8安打)という高率。長打はないかわりにこの8安打。どれもバットの真っ芯に当ったライナーばかり。その殆どが中堅から左翼方面にかけて痛烈に飛んでいった。この関根、体は小さいが手首の強さは抜群。大洋では重松と「いい勝負だろう」といわれている。銚子商の三年生のとき、夏の甲子園大会に出場。二回戦で尾崎(東映)のいた浪商に敗れたが、高校時代の通算打率がなんと5割7分強という高打率の持主であった。
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交告弘利

2014-06-14 07:30:46 | 日記
1965年

藤本総監督の再出馬以来、阪神のムードが見違えるように明るくなり、それにつれて成績も手のひらを返すようによくなった。ベテランも若手も、いきいきしているが、これは藤本総監督の、巧みな選手起用によるところが大きい。藤本総監督のファーム時代「藤本学校」と呼ばれる英才教育が行われた。いまそれが実を結び、ファームから一軍へ続々と優秀な若手が送り込まれている、左腕交告もその一人だ。杉下監督が昨年、交告を左投手陣の有望株と見込み力を注いでいたが、今春のキャンプ・イン初日で制球難のため失格のラク印を押され、以後一軍入りのチャンスがつかめなかった。藤本学校の校長である藤本総監督は、この使いものにならぬといわれた交告に手を加え、再び第一線に活用できるところまで仕立て直した。交告の欠点、制球難を解決するため、腕を止め目標を定めて投球するようフォームを改良した。フォームを手直しするとスピードが落ちるものだが、指導よろしくを得て交告の球速は少しも衰えなかった。六日の産経戦で交告は今シーズン初めて先発した。まだ及第点とはいえなかったが、一度は失格とされ、そのままファーム埋もれてしまうところなのに、一軍入りのチャンスをつかんだため、のびのびとしたピッチングが印象的だった。杉下監督に見込まれながらチャンスがつかめず、かえって杉下監督が去ってから開花した交告。皮肉な現象だが、これも藤本総監督がファーム時代から選手の力をつかみ、気心を知って、それを巧みに生かしているからほかならない。
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金田義倫

2014-06-14 07:06:40 | 日記
1966年

阪急の背高のっぽ№1は梶本だがファームにいる金田投手もちょっとしたもの。先日の南海戦でユーモラスな主役を演じ、一躍チームの人気者となった。金田の役目は試合前のフリー・バッティングの投手。爆笑する場面もバッティングの投手中に起こった。一メートル82、七三キロ。と金田は長身だが彼には足がある。ヒョロ長い足だ。この足が投げるたびにバッティング投手の足もとに張ってある横長の防護ネットからはみ出す。投げたあとの右足だ。防護ネットからはみ出したところへ打球が当たった。普通なら考えられないケースだけに、見ていた人は大笑い。
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