1967年
・土屋は長野県臼田高二年のときからエース。当時から低めにコントロールされた重い速球は定評があり、一試合平均10以上の三振を奪っていた。三十八年、三協精機、電電信越に誘われたが、駒大に進学。盛田(拓殖銀行)菊池(元日鉱日立)伊藤久(中日)ら名門出身の投手がいたため、デビューはおそく、三年生(四十年)の春の対芝工大一回戦。在学中の通算成績は二十七試合、11勝9敗。土屋の真価が発揮されたのは今春電電に入社してから、春の選抜東京大会では早くもエースとして登場、名門全鐘紡を破った。夏の都市対抗では準決勝まで進出、平松(日本石油ー大洋)に2-1で投げ負けたが、優秀投手に選ばれている。また、秋の産業対抗では電電九州にただ一人補強された。土屋の将来性をきかれた電電東京・大神田監督は「重いくせ玉をプロの打線相手に生かすためにはコントロールをさらにみがきをかけることが必要」といっていた。
土屋投手「最初のうちはどうもプロでやれる自信がなくてちゅうちょしたが、田村スカウトと会談しているうちにだんだんプロでやってみたい気持ちになった。いまは、とにかくやってみよう、という心境だ。中日のことは先輩の新宅さんに二度ほど電話して聞いている。早く第一線に出て初白星をあげたい」
・土屋は長野県臼田高二年のときからエース。当時から低めにコントロールされた重い速球は定評があり、一試合平均10以上の三振を奪っていた。三十八年、三協精機、電電信越に誘われたが、駒大に進学。盛田(拓殖銀行)菊池(元日鉱日立)伊藤久(中日)ら名門出身の投手がいたため、デビューはおそく、三年生(四十年)の春の対芝工大一回戦。在学中の通算成績は二十七試合、11勝9敗。土屋の真価が発揮されたのは今春電電に入社してから、春の選抜東京大会では早くもエースとして登場、名門全鐘紡を破った。夏の都市対抗では準決勝まで進出、平松(日本石油ー大洋)に2-1で投げ負けたが、優秀投手に選ばれている。また、秋の産業対抗では電電九州にただ一人補強された。土屋の将来性をきかれた電電東京・大神田監督は「重いくせ玉をプロの打線相手に生かすためにはコントロールをさらにみがきをかけることが必要」といっていた。
土屋投手「最初のうちはどうもプロでやれる自信がなくてちゅうちょしたが、田村スカウトと会談しているうちにだんだんプロでやってみたい気持ちになった。いまは、とにかくやってみよう、という心境だ。中日のことは先輩の新宅さんに二度ほど電話して聞いている。早く第一線に出て初白星をあげたい」