1968年
このところケガにつきまとわれて満足に練習をやっていない。二月五日、守備練習中に左足アキレスけんを痛め、十日から練習をはじめればこんどは右足カカトを打撲、学校を休んでいる。別府鶴見ヶ丘高には第一グラウンドと第二グラウンドの間に高い土手がある。大下がグラウンドに行く途中その土手の上を歩いていて、クラスメートにいたずらされ突き落されてしまった。高さにして約3㍍。突然だったので身をかわすひまもなく強く右足カカトを打ち、二週間をすぎたいまでも甲の上で大きくふくれあがり、歩くのも痛いという。別府市内の高本診療所の診断では「単なる打撲だが、三月十日ごろまで練習は無理」といわれた。百㍍11秒8で走る黄金の足もこれではかたなしだ。11試合で46打数18安打、三割九分一厘、盗塁16という九州№1遊撃手もちょっとあせりの色がみえる。四十一年、入学と同時に一番を打たされ、これまでずっとレギュラーを確保。昨年は春の甲子園大会で優勝投手になった吉良(津久見高)とオープン戦などで何度か対戦、五割以上の好打率をあげている。また西鉄に入団した河原(大分商)南海からリストアップされた横山(小倉工)両投手にも完全に打ち勝っているそうだ。津久見高・小島監督も「足ははやいし、バッティングもうまい。守備にちょっと荒いところがあるが、身のこなしは非情に軽快」と三拍子そろった選手として高く評価している。中学時代は陸上もやった。中学三年のとき築上郡(福岡県)で三段とびに優勝、県大会に出場して12㍍61をとび四位に入賞している。走る方でも八百㍍リレーのメンバーとして県大会にでたが、仲間の一人がバトン・タッチのときほかの走者にスパイクされて負傷、棄権している。気が強く、親分ハダで、顔が高崎山のボスザルだった。バッカスというニックネームをつけられている。1㍍72、68㌔、右投右打、三年生。