プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

石渕国博

2014-08-21 20:55:33 | 日記
昭和30.8.30生 18才 173㌢、76㎏、右右 背番号43

江川(作新学院)からホームラン。目標は田淵(神)

高校時代の通算打率3割3分、ホームラン3本。その中には怪物江川から奪ったホームランが含まれている。このパワーと強肩は首脳陣の高い評価につながっている。捕手というむつかしいポジションにもしっかりした目標と練習の厳しさ大切さを心得てはりきっている。
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山元二三男

2014-08-21 20:55:33 | 日記
1965年

山元二三男内野手(19)=1㍍78、70㌔、右投右打、照国商

・山元はベース一周14秒で、足の早い大型打者として期待されている。
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藤目功治

2014-08-21 20:08:04 | 日記
1968年

藤目功治投手・・津田高、1㍍77、67㌔、右投右打

・藤目投手は河合楽器に就職を決めていたが、内海スカウトが口説き落として獲得した。この日、球団事務所に顔を見せたのは藤目だけで「ノンプロでやるのならプロでやるのもいっしょ」と南海入りに割り切った返答だったが「三年ぐらいはボール拾いを覚悟させている」と内海スカウトは将来性にかけている。津田高は香川県下でも野球では知られておらず、同校からのプロ入り第一号。
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渡辺守

2014-08-21 19:59:03 | 日記
1972年

渡辺守投手(23)=大原高、1㍍76、74㌔、右投右打、千葉、背番号43

・ストレート中心の右の本格派。「一日も早く一軍で投げたい」と目標を立ててチャンスを待つ。
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伊藤正信

2014-08-21 12:13:19 | 日記
1973年

「二番手人生」だと思う。高校(中京商)では、左のエースの救援役。富士重工では皆川(日拓)一年先に南海入りした野崎のあとについていた。ドラフト指名も二位だった。「ちっこい体だし、二十五歳にもなったからプロのスカウトの目にはもう止まらないだろう」とあきらめかけていた。南海に指名されたときは、本当にびっくりしたそうだ。これで運命は変わった。二番手人生とはサヨナラだ。「ナンバーワンの新人や」と野村監督はいう。一軍だけの大方キャンプに加わったただ一人のルーキーだ。一位指名の石川(東洋紡)の入団が、秋の産業対抗後になったので、首脳陣の期待は伊藤に集中する。「伊藤が投げます」と新山コーチが声をかけたとき、野村監督はネット裏から右翼場外のブルペンまで走って観察に出かけたほどだ。ヤジ馬で見物していたジョーンズに「こんな速球派が敵チームに入らずによかったな」といった。「タフやで。馬力があるで」とほめる。1㍍72、74㌔、ニックネームは豆タンクとなった。振りおろす右腕から繰り出す武器は速球、カーブ、スライダーに「カウント2-0で投げる」というフォークボール。「ぼくよりカーブの切れは鋭い」野崎は野村監督に報告した。その野崎が目標だ。「あいつが4勝(6敗)したのなら」と、昨年の野崎の働きをみてプロ入りに踏み切った。「オープン戦の開始(三月十日)にベストにするよう」と野村監督から厳命を受けている。「ひねたルーキーだから今年が勝負です。オープン戦で早く1勝して力を認めてもらわないといけない」と覚悟が出来た。年下の先輩にも礼儀正しく、言葉もていねいだ。「たばこを一本」といった中山は、マッチをすろうとした年長者にすっかりあわてたことがある。「弱体投手陣といわれるけど、山内、松原らと一緒になって汚名を返上したいなあ」手取り六万五千円の月給は十三万五千円にはねあがった。野村監督のように三千万円を超える年棒は無理としても、もっともっと金のとれる本当のプロになる日を夢に見る。
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上田卓三

2014-08-21 09:42:55 | 日記
1967年

三イニング投げて被安打1、奪三振3は新人初登板としてはりっぱ。成功した原因は、上から投げてはいるが、そのモーションがやや変則的で、バッターのタイミングがとりにくかったことと、外角に投げるシュートがよく落ちていて、これに大洋打線がひっかかっていたからだ。カーブはふつうで、さして切れがよいわけではなかったが、ストライクによくきまったのがよかった。上田のピッチングは剛速球で目をみはらせるピッチングではなく、配球のうまさでいく部類の投手だと思う。「きょうは上できではない。もう少しスピードがある」と試合後、杉浦コーチがいっていたから、楽しみだ。初登板だというのにものおじしない態度も気に入った。これはこわいもの知らずで、どんどん投げれたからだろうが、神経質な投手が多い現在、貴重な存在だと思う。この試合ではランナーをスコアリング・ポジションにおいて投げる場面がなく、しかも味方が2点負けているときだから、楽な気持ちで投げられたこともあって、真価は判然としないが、少なくとも精神的にはしっかりしたものがあることはわかった。本番でもかなり使えるのではないか。プロ野球で成功するためにはつぎの二点を身につけることだ。まずこまかい制球力をつけること。つぎに外角に流れ落ちるシュートはりっぱだが、手もとにきてのびる球がほしい。こののびる直球がないと、変化球が生きてこない。たとえばこの試合では鬼頭は直球がよく伸びていたために、落ちる球が威力を発揮したのに、渡辺は直球にのびがないためにカーブまで打たれるようになった。上田の場合、からだつきから考えて、ムリに剛速球を投げようとしないで、スナップのきいたのびのある速球をおぼえることがなによりも大事だ。
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横山晴久

2014-08-21 09:13:29 | 日記
1973年

「先発投手五人の中に若手がはいってくれなければ・・」という田宮構想の中で、新美についで最短距離にいるといえそうだ。「去年痛めた肩ももうなんともない。後輩がはいってきたんですからね。少しはがんばらねばと思っているんです」という横山に、山根コーチは「いまのところ先発要員五人の中の六番手くらい。問題はカーブに切れ味をつけること、パームボールにみがきをかける、この二つだ」といっていた。昨年一年間の二軍生活でぐっとからだもひきしまったうえ、プロのきびしさも知った。本格派の少ない日拓投手陣にとって、一日も早く成長してほしい投手である。「ことしは去年のような失敗をしたくありませんからね。肩に気をつけ、なんとか一軍のベンチにスーッとはいれるようにしたいもんですね」勝負球のカーブとパームボールに威力が増せば、スタミナがあるだけに大きな戦力となる。田宮監督をはじめ首脳陣はこの課題をマスターしたとき、先発投手の秘密兵器的存在として、ローテーション入りさせる方針を立てている。
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