フォーム・・左投左打・上手投げ、もしくはスリークォーター(ノーワインドアップ) 球種・・ストレート、カーブ(その他不明)
1974年
上背はケキッチとほとんど同じだが、胸の厚さ、丸太ん棒のようなウデは若さにあふれている。
「得意なタマは速球」というレイにケキッチが言葉をそえた。「彼のピッチングをみたらみんな喜ぶぞ、コントロールもいいんだ」同じ3Aのパシフィック・コースト・リーグで投げ合った間柄。「日本の野球はあんまり知らない。二、三日肩ならしをすれば救援で投げられる。体のつづくかぎり、できるだけ多く投げたい」とあくまで低姿勢なレイ。とりあえず今季だけのケキッチにくらべ、レイの契約は来季までの一年半と長いつき合いになる。七一年、ヤンキースで六試合に登板しただけで3Aにもどったのはストライクゾーンの違いが原因だったとか。「自分のストライクゾーンより大リーグは2インチ(5㌢)も低かった。日本のは大リーグより高いそうだから自分にピッタリだ」と自信もチラリ。青い目の左腕コンビを抑えた日本ハムは、一躍後期のダークホースにのし上がってきた。
・日本ハムはレイの力投でこのカード最終戦をものにした。三回一死後、八重沢の三飛を落としたビュフォードのエラーを日本ハムは逃がさなかった。制球に苦しむ河原は島津を歩かせた一、二塁で末永に中越三塁打されて2点。さらに千藤の左前タイムリーがつづいた。レイはノーワインドアップから力のある速球を決めて四回まで三人ずつ。五回無死から2四死球を出し、伊原に左前に打たれ1点をとられたが踏みとどまった。太平洋打線はスピードのあるレイの球を大振りして、結局伊原の一安打だけ。7三振を奪われ、つけ入るスキが全くなかった。
・近鉄・日本ハム戦 上手から投げたりスリークォーターでほうったり、張り切って初のマウンドを踏んだ日本ハム・レイだが、ボークを3つもとられてダウン。「今までボークにとられたことがないのに・・」と不満顔だった。
1974年
上背はケキッチとほとんど同じだが、胸の厚さ、丸太ん棒のようなウデは若さにあふれている。
「得意なタマは速球」というレイにケキッチが言葉をそえた。「彼のピッチングをみたらみんな喜ぶぞ、コントロールもいいんだ」同じ3Aのパシフィック・コースト・リーグで投げ合った間柄。「日本の野球はあんまり知らない。二、三日肩ならしをすれば救援で投げられる。体のつづくかぎり、できるだけ多く投げたい」とあくまで低姿勢なレイ。とりあえず今季だけのケキッチにくらべ、レイの契約は来季までの一年半と長いつき合いになる。七一年、ヤンキースで六試合に登板しただけで3Aにもどったのはストライクゾーンの違いが原因だったとか。「自分のストライクゾーンより大リーグは2インチ(5㌢)も低かった。日本のは大リーグより高いそうだから自分にピッタリだ」と自信もチラリ。青い目の左腕コンビを抑えた日本ハムは、一躍後期のダークホースにのし上がってきた。
・日本ハムはレイの力投でこのカード最終戦をものにした。三回一死後、八重沢の三飛を落としたビュフォードのエラーを日本ハムは逃がさなかった。制球に苦しむ河原は島津を歩かせた一、二塁で末永に中越三塁打されて2点。さらに千藤の左前タイムリーがつづいた。レイはノーワインドアップから力のある速球を決めて四回まで三人ずつ。五回無死から2四死球を出し、伊原に左前に打たれ1点をとられたが踏みとどまった。太平洋打線はスピードのあるレイの球を大振りして、結局伊原の一安打だけ。7三振を奪われ、つけ入るスキが全くなかった。
・近鉄・日本ハム戦 上手から投げたりスリークォーターでほうったり、張り切って初のマウンドを踏んだ日本ハム・レイだが、ボークを3つもとられてダウン。「今までボークにとられたことがないのに・・」と不満顔だった。