プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

松谷栄司

2014-08-24 21:21:42 | 日記
1965年

「朝起きて気分が悪いと、その日はもうさっぱりダメ。ピッチングに熱は入らんし、やることがから回りばかりする。ことしはどうしてもこのムラ気を直したいです」と東映の松谷は3年目の今シーズンにやる気を見せている。「一人前になるまではクニへも帰らない」と正月も札幌市南六条の自宅へ帰らず、合宿でとうとう年越し。正月の三日からトレーニング・シャツを着て自分に鞭打っている。いまは土橋・安藤順のベテラン選手も加わって、松谷らの自主トレーニングも一段と熱を帯びてきた。午前十一時すぎに多摩川のグラウンドまで走り、霜柱がとけてグラウンドが軟弱になる三時ごろまで、じっくりランニングやダッシュ、徒手体操をくり返すのが日課。合宿へ引き揚げてからも暇を見てはバーベル上げをやって、基礎体力の養成に力を入れている。「昨年はまた減棒されましたから・・・。球団へはことしダメだったらクビにしてほしいと申し入れはしてあるんです。だからことしは背水の陣でがん張るつもりです」と、今までの気分屋を一掃して北海高の松谷といわれた当時のピッチングを取り戻したいという。「ことしは合宿を出てどこか、自分ひとりで生活できる下宿でも捜そうかと思ってるんです。自分にもきびしくして、気分を転換するにはそれが一番いいような気がして・・・」と目下思案中。昨年はライバルの田中(高松高)が開幕から起用されて、近鉄、東京戦で2勝の星を残した。イースタン18試合に投げたとはいえ、3勝3敗で一度も一軍戦で投げられなかった松谷には、それが残念でたまらないらしい。「去年は速球だってかなり自信をもって投げられた。ただ気分のムラがすぐに出てしまって。だから、ことしは自分から球団へ進退を申し入れ、首を洗って再出発してるんです」と異常なファイトを見せている。
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守岡茂樹

2014-08-24 19:57:20 | 日記
1970年

・広島がドラフト七位に指名した岡山東商・守岡茂樹外野手(17)=1㍍69、70㌔、左投左打=の入団が決まった。契約金は四百万円、推定年棒九十万円、正式発表は二十日広島市基町の球団事務所会議室で行われる。同選手は春夏の甲子園大会に三度出場、通算打率三割六分、実戦向きのタイプで、各球団のスカウトからも好打者として目をつけられていた。担当した横溝スカウトは「ウチには左打者が少ないだけに面白い存在になると思う。必ず注目される選手になります」とひそかに期待をかけている。
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高橋幸広

2014-08-24 19:49:02 | 日記
1970年

岐阜短大付・高橋幸広投手・・1㍍86、78㌔、右投右打、背番号86

・高橋は湯口(巨人)のカゲにかくれて二年からは外野手兼リリーフ投手に回っていた。今夏の甲子園大会ではホームランを打ち、打力も高く評価されている。しかし高橋自身が「湯口より速い球を投げる」といい、投手一本で再スタートすることを望んでおり、球団も投手として登録する。
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緒方修

2014-08-24 18:43:55 | 日記
1968年

緒方修投手・・厳木(きゅうらぎ)高・右投右打、1㍍77、69㌔

・ドラフト会議の第二位で指名した緒方は九州では屈指の本格派投手。巨人、西鉄、中日なども目をつけたいたもので、九州では稲尾二世と評判が高い。
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青木政美

2014-08-24 18:37:32 | 日記
1970年

広島の外木場タイプ

西鉄は十六日午後、福岡市天神二丁目の球団事務所で、ドラフト六位に指名した鹿児島、出水商・青木政美投手(18)=1㍍76、67㌔、右投右打=の入団を発表した。背番号は未定。

青木投手「大洋の平松投手のように、スピードを主体にし、力で押すピッチャーになりたい。プロにはいった以上すぐにでも一緒に出られるよう死にものぐるいでやります」
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大庭清

2014-08-24 18:23:42 | 日記
1965年

佐世保北高からの選手で四年目。武末コーチの指導でサブマリン投手を志したが、未完成のままで退団。
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安藤敏雄

2014-08-24 18:21:16 | 日記
1965年

杉町と同じ年に、芦屋高から西鉄入りした甲子園組の投手。高校時代は上手投げからの速球が身上だったが、入団直後に肩をこわした。三十九年に一勝したのが、プロ生活ただ一つの白星。ウエスタンのエースというありがたくない異名をつけられるくらい、ほとんど二軍生活で終始した。来季からは審判員として再スタートを切る予定である。
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杉町攻

2014-08-24 18:17:44 | 日記
1965年

プロ生活六年、毎年「ことしは出てくるだろう」と期待されながら、とうとう1勝もできず西鉄を去る。入団は一億五千万の札束攻勢で、西鉄が球界の耳目をそばたたせた三十五年に本格派の大型投手として、長崎南山高から西鉄に投じた。同期には左腕の井上(日大二高)がいる。三十四年夏の甲子園大会で、その力感あふれるピッチングが認められ、一千万円で西鉄に入ったが期待外れで、途中、その体を生かし、外野の控えとして使ってみたが、バッティングアイが甘く、せっかくの力を生かせなかった。三十八年から再び投手にカムバックしたが、これにも失敗、昨季から二軍落ち。野球をやめたらプロボウラーになりたいというのが本人の意向。
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