プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

新谷憲三

2014-08-17 21:27:40 | 日記
1967年

阪神の自主トレーニングが行われている甲子園球場で、たてじまのユニホームの中に一人、まっ白なのを着た選手がまじって練習している。昨年ノンプロの日本石油をやめた新谷憲三外野手(24)=1㍍77、77㌔、左投左打、立大出=で友人の中井のつてでテスト中。立大時代は三番を打ち現巨人の槌田が四番、日石では四番枝松の控えだった。昨年のドラフト会議で東京にリストアップされるはずだったが見送られ「これが最後のチャンスです。もしダメなら野球をやめます」とがんばっている。いまのところ有望だが、藤本監督は「もう少しようすを見てから」と慎重に構えている。
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関本四十四

2014-08-17 21:19:14 | 日記
1967年

・糸魚川商工からプロ入りするのは三人目。二年生のとき、早くもエースで一試合平均10三振の実績がある。四十一年夏は、新潟県代表決定戦の対中越高戦で、四十二年夏は北越大会準決勝対新湊高戦で敗れ、もう一歩のところで本番のマウンドを味わっていない。中部地区担当の加藤スカウトが「1㍍83の恵まれたからだで、低めに速球を投げ込む。未完だが将来性はある」と早くから注目していた。ノンプロ鷲宮製作所に就職が内定していた。

・関本は上手投げの本格派。ことしの夏の甲子園大会予選、北越大会準決勝で新湊高に敗れるまでの五試合で33三振を奪った。
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皆木敏夫

2014-08-17 21:09:52 | 日記
1967年

皆木敏夫投手(18)・・1㍍78、70㌔、右投右打

・同投手は一年からエースで四番。ことし夏の都予選で大成、関東を連続完封。昨春の都大会決勝では桜井(日大一高ー東映)と投げ合い敗れている。速球が武器の本格派。きれの鋭いカーブも定評がある。高校三年間の通算成績は30勝20敗、打率三割二分。

皆木投手「ただ、思いきってやりたいと思うだけだ。直球をビュンビュン投げれればいい。オーバーハンドなので、藤田コーチ、堀内さんのようなタイプを目標にします」
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雨宮捷年

2014-08-17 21:03:40 | 日記
1967年

・雨宮はどの球団もリストアップせず、須古球団部長が五十嵐の交渉で上京した際、神奈川大の練習でたまたま見つけた選手だ。五十嵐ほど騒がれなかったせいもあるのか、雨宮は控えめだ。三十八年夏の甲子園大会に三番打者で出場したし、大学時代には通算三割四分をマークしている。だが須古球団部長の「雨宮君は打球が速い。ロングヒッターで・・」の説明に「そのかわり三振もあった。けれどもプロではもっと当てるバッティングを勉強します」という。姉の睦月さんが女子野球三共の選手だという珍しい環境に育ったが、控えめの雨宮らしいエピソードもある。高校のとき近所に足の不自由な同級生がいたが、雨宮は、三年間欠かさずその同級生をおぶって登校した。このことは卒業のときまで担任の先生も知らなかったそうだ。二人とも神奈川大の鈴木監督から「野球は常に練習あるのみ」とたたき込まれた。だから「どんなに二軍の連取が苦しくても、ついていく自信はあります」とはっきりいった。

雨宮内野手「一日も早く試合に出たい。監督に認められるようがんばります」
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東田正義

2014-08-17 20:55:04 | 日記
1967年

東田正義外野手(21)・・三重交通、1㍍81、78㌔、右投右打

・東田はことしの都市対抗で西濃運輸の補強選手として出場、熊谷組戦では本塁打1本を含む四打数四安打、3打点。十一月の産業対抗でもやはり日本通運の補強選手として出場、十七打数五安打、5打点、1本塁打で準優勝に貢献、優秀選手に選ばれた。
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