プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

田中勉

2016-10-01 20:06:34 | 日記
1962年

新人といっても二年生、昨年八月、大牟田東洋高圧から入団した。二十二歳、身長1㍍78、体重75㌔というからとび抜けた体力の持主ではない。昨年は二度登板、一敗を記録した。出来ばえはさえず、大型選手ばかりの西鉄で本当に役に立つだろうか、とさえ思われたほどだ。ところが今シーズンは第十一節終了で、18試合に登板して6勝7敗、投球回数は88回2/3、被安打57、自責点16、防御率は1・62。投手成績はリーグでトップの尾崎(東映)に次いで第二位と素晴らしい。稲尾、若生だけといわれる西鉄投手陣にとって、田中はいまは全くの新戦力である。右投げ、上手ややスリークォーターから快速球を投げるが、投球モーションが非常に大きい。高々とワインドアップ、次いでサッと左足のヒザを胸にくいこむ程けり上げ、大きくツマ先を前方に踏み出す。特徴のあるその動作と反論で力一ぱいの速球を投げ出す。球を握る手首が肩に近い低い位置から出てくるので、打者としては球を見きわめ難い変則型の投球である。球質は重いという程ではないが、全身のすべてのバネをきかすので、スピードがあり球足がのびる。外角低目の速球が武器で、外角打ちの巧い打者でも簡単には打ちこめない。最近はシュートのキレが鋭くなったので、カーブの威力も一段と増してきた。まだ真正面に投げこんで打者の手元近くでストンと落ちるドロップ、また時たまフォークボールも混じえるので大振りの打者はキリキリ舞いする。左、右打ちどちらも気にせず、打者とまともに勝負をいどみ、決して逃げるピッチングはやらない。強気の性格と自信を示すものだ。だが、全力投球の一本ヤリなので、七回ごろから球威が衰え、また走者を出すと、盗塁を防ぐために投球操作が早くなり、ペースを乱し勝ちになる欠点もある。しかし、これまで完投4、先発6、救援8の登板で被安打は六本が最高、集中打はうけていないし、四球の連発でくずれる大きな心配もない。たまたま投げ損じたのを野村(南海)衆樹、中田(阪急)に本塁打されたが、四球も38ときわめて少ないからコントロールも上々、安心してまかせられる投手である。西鉄は十六日、今シーズンはじめてのベスト打線で活気あふれた打力をみせたが、田中は今後この援護で相当な勝星をかせぐだろう。田中にしてみれば、一番大切な試練期が投手陣不振のため連投となり、四㌔も体重を減らした程だったが、これは、これは田中には幸運な経験だった。この周囲に好投手の素質を示すことが出来たからである。田中の今後は全力投球とスタミナの課題をどう解決するかである。

田中勉投手の話 プロの打者は一番から五番まで威圧を感じる。息がぬけない。特に大毎打線はうるさく、こわい。しかし相手が左打ちで別に苦はならない。それに一人の打者にかためて打たれていないし、どの打線からも集中打をうけていないので十分にやっていける自信がついた。私はリリーフより完投の方が好きだ。連投するとやはりしこりが残るが、三日も休養すれば大丈夫だ。夏場は社会人野球で鍛えているのでこれからはもっとがんばれると思う。

阪急衆樹選手の話 田中から一本、本塁打したが(五月十六日)あの球は外角の高目の球だった。彼の武器はやはり外角低目に決まる速球だろう。なかなか威力があり打ち固い。田中はモーションの大きい動作だが、球がどこから出てくるか見にくいので打者は非常にとまどう。シュートやカーブはそれ程威力があるとは思わぬがコントロールがいい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牧野伸

2016-10-01 13:36:46 | 日記
1956年

北陸では若狭高の松井(大洋)か、武生高の牧野かと軍配のあった好投手。武生の同校は甲子園大会を目指して争った。しかし福井県予選の決勝は6-2。北陸大会の決勝は5-2で、いずれも若狭高が武生高を破っている。松井にはこれを助ける打力があったのに対し、武生は牧野のワンマン・チームであったからだといわれた。松井同様、多くの球団からマークされたが、東映が最も早く目をつけ、熱心に誘ったため東映入りとなったものである。五尺七寸、十八貫。一見南海の小畑を思わせる。投手としてはややずんぐりした体つきである。スプリング・キャンプの時、岩本監督は牧野を非常に高く評価し「牧野はいい球を持っているので、試合になれさえすれば一番働くと思う」といっていた。だが今のところ岩本監督の期待に応えるような働きをしていない。腰が強く、横手投げ気味の外角を衝く速球、内角へ沈むシュートなどいい球を持っており、練習時には先発投手連も舌を巻くようなピッチングを見せる。それが試合になると、別人のようになって球に伸びを失ってしまう。精神的に弱いのである。富永が甲子園のヒノキ舞台を踏み、大試合の経歴があるのに、牧野は好投手ではあったが、そういうふんいきを経ていないからだという。その証拠には「二軍戦で投げさせると、素晴らしいピッチングをするのだから」と小島コーチはいっていた。結局精神的なものが牧野の不振の最大原因である。技量は十分なものを持っているのだから、早く精神面での鍛錬を積むことが必要である。光る素質はあるのだから。七日現在で十二試合に出場、完投なし、一勝五敗、投球回数三十回2/3、被安打四十五、奪三振九、四死球十三、自責点十七、防御率四・九四。

小島コーチの話 いい球を持っており、練習時、二軍戦などでは立派なピッチングをやる。それが公式戦になるとさっぱりダメ。気が小さいのですね。ぐす発熱したり、まだほんの子供ですよ。精神の修行が彼には一番大切だと思う。球も速いし、沈むシュートなど技量は決して悪くない。おいおい良くなるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富永格郎

2016-10-01 12:53:40 | 日記
1956年

立命館高校時代から名のあった投手。昨年の甲子園大会で、立命館高は不戦一勝後、二回戦で松井(現大洋)が投手をしていた若狭高を破り、準々決勝でも津久見高を降して準決勝へ進出した。準決勝では坂出商に2-1で惜敗したが、なかなかの好成績だった。立命館高がここまでやったのは富永の右腕が大きく貢献していたためである。三試合で投球回数二十七、被安打は二十二、与えた四球八、奪った三振十九、与えた得点三、自責点三という立派な成績を見てもわかろう。ハワイ遠征チームに選抜されたのも当然のこと。だからプロ球団の引く手はあまた、方々から口がかかった。最も熱心に誘ったのが阪神で、ほとんど決りかかったといわれていた。それをこれまた新人の獲得に大胆であった東映が引きぬいてしまったのである。富永の兄さんが東映の京都撮影所で働いており、この線を強引に押して東映入りとなったのだとの評判。五尺九寸の長身から外角低目を衝く速球が武器、その他カーブ、シュート、スライダーなど球種もなかなか豊富、加えてコントロールが十分なのと、プレート度胸のあるのが強味。高校の投手としてはやはり抜群の力を持っていた。それがプロに入った初めのころ思ったような成績が上がらなかったのはスピードに対する自己過信があったからだという人がある。捕手の要求にさからって打たれた。高校時代ならば彼のスピードで十分に通用したのだが、プロに入ってはそうは行かない。今までは打たれたことのないスピード・ボールが乱打される。自信を失ってしまったのだ。ようやく最近立ち直りを見せた。富永は「調子はだんだん上がって来た。監督さんにいつでも使われる力を持った投手になりたい」と語り、自信を取戻した明るい顔だった。投手としての資格は十分に持っているのだー若いのだ。焦らず、じっくり勉強することが一番必要なことだとチームの首脳部はいっていた。二十五日現在の成績は試合数六、三勝三敗、自責点二二、被安打六六(本塁打一)投球回数六六回1/3、四球十八、死球二、三振50、暴投一。

小島コーチの話 無口で温厚な人柄、徐々に調子が上がって来ている。完投能力もできて来た。プレート度胸がいいのと、スピード、ドロップには威力がある。欲をいえば得意の外角低目を衝く速球に、一段と伸びが出れば鬼に金棒だ。素質は十分なのだから後は本人の心かげ次第だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久保征弘

2016-10-01 11:40:24 | 日記
1962年

今シーズン近鉄の躍進は意外といっていいほどすばらしい。好調な原因は打力の向上もあるが、なんといっても投手陣の充実が大きい。その投手陣の輪が久保投手である。いうなれば好調近鉄の推進力であり、原動力というわけだ。久保は二十二日現在二十八試合に登板、十一勝八敗、投球回数百一十回2/3、被安打百十二、四死球三十五、三振七十二、自責点三十四、防御率二・五四と投球内容も立派なものである。開幕前主軸とみられた徳久が足を痛めて欠場している現在、完全にエースにのし上がった。これまで近鉄で六月中に十一勝もあげた投手はなく、久保がはじめてだ。彼は三十四年、大阪、港高校から近鉄入り、高校時代大阪ではA級投手の一人にあげられていた。三十五年は四試合に出て一敗、昨年は五十試合に登板しながら勝ち星がなく八敗という不成績に終わった。さる四月十七日、日生球場で行われた対南海一回戦、常に自分のペースで投げ続け、散発八安打に押えての完投が初勝利だった。当夜、久保は、ブルームから渡された初のウイニング・ボールをしっかりにぎりしめ「やっと芽が出ました」と静かに話したが、プロ入り四年目、実に八十八試合目に終わった勝利をかみしめているようだった。久保は厳密にいって新人とはいえないが、このように今シーズンはじめて脚光を浴びたという意味では新人と解してよいだろう。この勝利で彼はすっかり自信をつけ、一試合ごとにプレート度胸もつき、球の配合もうまくなった。1㍍81、67㌔と長身、やせ型のため一見ひ弱そうだが、なかなかタフである。彼のウイニング・ショットは沈むシュートだ。普通沈む球を投げる場合、スナップ、腕、肩などに無理な力をかけなくてはならないが、それを彼は無造作に投げている。いわゆる自然に沈むのである。今年はカーブ、スライダーの切れもよくなった。このためシュートが一層生きてきたが、これが技術的に最も進歩した点である。久保は「キャンプでも昨年よりよく走った。いまでも試合前には十分走っているが、これがよかったようです。投手は暇さえあれば走らないとダメですね」といい、また「カーブ、シュートの切れもよくなったのは事実ですが、これからの課題は球速よりもまず制球です」と研究もおこたらない。二十一日の西宮球場は小雨、大勢の選手が帰ったあともグラウンドに出てランニングや守備練習を黙々と行っていた。別当監督も「久保は実にまじめな選手だ。おとなしそうだが、シンはしっかりしている。四月二十四日からの対南海三連戦などは三連投。それも自分から投げさせてくれと買ってでたほどである。闘志もあり、なかなかタフだ」とほめちぎる。ピッチング担当の野口コーチは「性格が良いし、まだ二十二歳になったばかりで若さがある。よく意見を聞くし、研究も熱心だ。ただ、リリーフが多くなると先発した場合、立ちあがりがどうしてもかたくなり勝ちだ。いつも力を抜いて同じ調子で投げられるような投球のコツを早くつかむことが必要だ。それに制球をもっとつけなくては・・・」とさすがにきびしい。

久保投手の話 こんな成績をあげられたのもチーム全員の力です。特に吉沢さんのリードは立派だと思います。いつも冷静だし、打者の欠点をよく見抜いてくれます。吉沢さんを信頼していれば、まちがいはないような気がします。自信ですか、できるだけ勝ちたいですが、まず二十勝ですか。

南海野村選手の話 久保君は昨年あたりからいい投手だと思っていたが、成績が悪かったのはチームが弱かったため自信をつけるチャンスがなかったのだろう。それが今年はチームが強くなってすっかり自信をつけている、そのため球にも威力が増してきた。そして彼のピッチングは直球をほとんど投げないのが特徴だ。シンカーを多く投げるが打者の手もとで変化するのであの球は打ちにくい。こういった型の投手としてはスピードもある方だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渋谷誠司

2016-10-01 11:14:34 | 日記
1962年

「まだまだ一人前じゃない。コントロールが全然だめ。せっかくいいリストをしていながら、これが活用されていない。投球する時に目が離れてしまうからコントロールがつかない。それに重心が乗っていないから速球が生きない。本当なら二軍でみっちり鍛えてこなくてはならないのだが、ここまできてしまってはネ・・・」と砂押監督の渋谷評はなかなか辛い。しかし言葉のはしには大器渋谷の成長を願う気持がくみとれた。キャンプ中渋谷の評判は余り良くなかった。「投手の体をなしていない」「夏ごろ第一線に出てくれば上出来だ」「いや一年はかかるだろう」などなど、林マネジャーにいわせれば「キャンプ中別に悪かったわけではない。秘密兵器として、そっとしておいたのさ。だからオープン戦にもあまり使わなかった」そうだが・・・。このように評価まちまちの渋谷だったが、公式戦にはいると、さっそく投手のローテーションの中に組まれた。秘密兵器であったかどうかは別として、なかなかの活躍だ。巽不振の国鉄左投手陣にあっては金田に次ぐ存在。古いファンならご存じだろうが、小林恒夫(松竹、大洋)を思わせるギクシャクしたフォーム。おせじにもいいフォームとはいえないが、球は滅法に速い。これが彼の特徴。伊藤一人だけの左投手不足に悩む巨人の川上監督はいつか「国鉄の渋谷は球が速くていい投手だ。ウチで取っておけばよかったな」とほめていた。渋谷は三十三年に弘前市立商業を出て、すぐに土地の日通に勤めた。ここでは軟式チームの投手。日通には毎年軟式の全国大会があり、渋谷もこれに出場。その力を見込まれて、三十五年浦和の日通本社に転任。硬式の投手として再出発した。大毎にはいった毒島とエースの座を争ったが、昨年あたりは完全に毒島を抜いていたといわれる。ストーブ・リーグでは国鉄と東映が激しい奪合いをやり、渋谷株はかなり上がった。渋谷の身上は根性があることだそうだ。徳永球団営業部長も林マネジャーもこのことを強調していた。「早くから父親に死なれ、苦労しているからでしょうね」と彼らはいう。東北人特有のねばりある根性が、今日の渋谷を支えているといって過言ではないだろう。内には評判の良い渋谷だが、こういう話もある。彼は物事に至っては無とん着だ。いつか洗たく物をたくさんほうりっ放しにしておいた。それを飯田コーチに見つかり「そんな不潔にしておくから、お前の水虫はなおらないのではないか」と油をしぼられたという。林マネジャーは「良くいえば物にこだわらない大人物、悪くいえばルーズ」と彼を評していた。十七日現在、十六試合に出場、五勝四敗、完封は二度。七十八回投げて、奪った三振四十、与えた四球二十四、自責点二十二、防御率二・五四の成績。未完の大器といわれる渋谷にとっては、むしろこれからが大変だ。

渋谷投手の話 どうもコントロールが悪くていけない、シュートを投げられないわけではないが、何しろいつも悪いカウントになってしまうので、投げる機会がないだけだ。何勝するかどうとか別に考えたことはない。ただ無我夢中でやっているというのが本当のところだ。少しでもチームに役立てば幸い。

巨人長島選手の話 いかにも単調な感じだ。球質も軽い。だけどスピードはかなりあるし、試合を重ねて、いろいろな欠点をなおし、相手打者を読めるようになれば、いい投手になると思う。いまのところ未完の大器といった感じだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする