プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

木戸美摸

2016-10-04 22:06:09 | 日記
1957年

五尺六寸六分、六尺近い選手の内ではチビである。「だから球速を変化させてタイミングをはずすほかに手はない」という。「体力がないので七回ごろからめっきりスピードが落ちて・・。九回の吉田さんには2-0からゆるいストレートを投げたのだから打たれた僕が悪いんだ」九回のピンチを藤田に救われ疲れ切ってか顔色はよくない名前は美摸、美しさを模ほうする、と書いてヨシノリと読む。チビだが名前通りの整ったフォーム。八回まで阪神に二塁を許さなかった。「カーブばかりのピッチングだった」というカーブは今春のキャンプでマスターしたばかり。「投球がよく左右に割れていただから投球数も少なかった。これには藤尾の功績も忘れられない」というのは彼を育て上げた捕手出身の内堀二軍助監督。三打席三安打という打撃については「まぐれ」ときりいわない。デビューは昨年の天皇誕生日(川崎の大洋戦)初の完投勝利をかざったそのときも彼は巨人の全打点をたたき出している。阪神戦に投げるのはプロ入り四度目。勝ったのはもちろん初めて、昨年は甲子園のナイター開きで小山投手に打たれて負けたこともある。「今夜の調子は普通だった」という。兵庫県加古川市農工出身、十八貫、プロ三年生、二十一歳。
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ティロット

2016-10-04 21:32:23 | 日記
1970年

ファンの前でお家騒動の醜態をさらけ出した南海、ベンチがまる見えの一塁側スタンドから「なにをしている。みっともないぞ」「かえってしまえ、ティロット」のヤジがとんだ。七回救援したとたん、江藤に2点本塁打されたティロットは八回も下位打者から3連打を浴び、有藤にも右翼線に打たれ2点。たまりかねた野村監督が主審に投手交代を告げた。ティロットのところにはブレイザー・コーチが伝達に走った。事件はこのあとだ。かえられたことが不調のティロットはベンチに帰るなり、ブレイザーは二言、三言文句を言った。それでもまだ納まらないのかこんどは顔を突きあわさんばかりに大声でわめいた。いまにもつかみ合わんばかりのティロットの剣幕に沼沢、穴吹コーチが走りよって二人の仲にはいる。守備についていたジョーンズも大急ぎでベンチへ走る、選手がグラウンド上のプレーで審判の判定におこり、いざこざを起すことはよくあるが、同じチームの人間がファンの前で血相をかえってくってかかることはめったにない。スタンドからヤジがとんだのも仕方のないところだ。ティロットはことし元大リーガーのふれ込みで入団した投手。その助っ人が打たれたからといって腹を立て八回のピンチに二度も三塁カバーをおこたっては元大リーガーが泣く。野村監督は「同じ負けるにしても当然やるべきカバーはきちんとやってもらわなくてはいかん。ブレイザーが二回も注意に行ったほどで、こうした態度は首脳部に対する反抗と思う。罰金をとる」とカンカンだった。パ・リーグは阪急とロッテの激しいせり合いでいまファンの関心が集っている。そんな折りにこの内ゲバ。なさけない話である。
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