プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

鈴木正

2016-10-06 21:04:23 | 日記
1956年

去年の八月行われた第四回全日本学生野球選手権大会で神奈川大学チームは岡山大、西南大を降し、準決勝で明大に敗れたが注目された。同チームの立役者は鈴木であった。投手をつとめ四番を打ち、第一回戦では四打数二安打、第二回戦では二打数一安打、対明大戦では三打数三安打の成績。投手としては球質も重くスピードもあって将来性を認められたが、打力はいっそう高く評価された。毎日に入団して投手となるのを好まず「打者として立ちたい」と強く希望、初め投手の修業をさせるつもりであった別当監督も、鈴木の熱心な想いに折れて、打者に専念させることになった。腰や腕っぷしの強さからして、鈴木自身打力に将来を見出したのであろうし、その自覚は当っているようである。毎日投手陣の一角を占めるくらいの素質はあるだろうが、思い切って初めから打者として立った方が、プロ選手として長く働けるであろうから有利。事実スズキの待つ肉体的条件に照らして、見極めの良い頭といっていい。強く望むだけであって、スズキはよく練習もし、打者としてのデビューも立派であった。三月十日の巨人との定期戦に中堅手五番打者として出場、四打数一安打ではあったが打点一、第二戦には四打数二安打、この時も打点一でなかなかよく働いた。だが、公式試合に入って間もなく筋肉を傷めてしばらく欠場、打撃もシーズン当初ほど振わなくなったが、これは身体の故障が因ではなさそうで、自分のアナが投手に知られるようになったことと、鈴木自身打法に欠陥を現したからだった。左の踏み出し足が突っ張り、バックスイングに力が入り過ぎて、滑らかに振り出しができなくなり、打球は中堅正面に飛び伸びなくなった。そのことを別当監督に指摘され、それにこだわって迷いが深くなり打力が縮んだ。しかし、近ごろは大分よくなり、中堅手二番打者として出場も多くなった。打法は強引といっていい。守備は一人前である。脚力はいいし、良き外野手となろう。現在の成績は四十六試合出場、打数百十七、安打二十七、打点八、本塁打一、三塁打一、二塁打四、打率は二割三分一厘、長打率三割〇分八厘。栃木県矢板高出、五尺八寸、二十貫、二十三歳、右投右打。

別当監督の話 体重の移動に波がついて余計なところに力が入り打球が伸びなくなった。本人も非常に気にしてスランプに陥っていたが、その欠点をなおせば三割は打てよう。最近随分よくなった。守備は及第。五番打者より二番あたりがいいと思っている。
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相沢邦昭・内山巌

2016-10-06 19:35:28 | 日記
1957年

東映フライヤーズではこのほど今年の春の全国選抜高校野球大会で優勝した早実の主力打者相沢邦昭遊撃手(18)=五尺五寸、十六貫、右投右打=と内山巌一塁手(18)=五尺八寸、十七貫、左投左打=の二選手の入団を内定した。球団では正式発表をさけているが、二十六日に始まる国体が終ってから正式契約する。また桐生高の高田重信捕手(17)=五尺七寸五分、十九貫、右投右打=の入団もきまっている。相沢はこの夏四番を打ったが、少し荷が重かった。春活躍したように二番あたりを打ってチャンス・メーカーとなるタイプ。やや力は足りないが、しぶとい攻守で早実内野陣の中心となっていた。内山は春の選抜初優勝には不動の三番打者として活躍。今夏は体をこわし、不振で七番に下がっていた。しかし王と並ぶ早実きっての左打者で、一年生のときレギュラーとして出場していた。左投手のカーブにも最後まで目をはなさずよくついているし、やわらかいリストでコースにさからわないバッティングはアナが少ない。高田は強肩、リードもうまく、大島投手(中日に内定)と組んだバッテリーは、北関東一とさえいわれていた。四、五番を打ち二塁も守る。今夏の地区予選三試合では11打数5安打、四割五分五厘を打っている。

東映石原代表の話 「今年の補強の目標は内野陣の強化ということになる。もちろん投手は何人でもほしいから、さきに契約した京都高の高野をはじめ投手にも手をのばしている。いまのところ投手のほか一塁手、遊撃手、捕手など五人ほど高校選手の入団が決まっている。国体の関係などもあるからいまはまだ発表の時期ではないが、今年は十名ぐらい新しい選手を入団させるつもりだ」
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