1956年
去年の八月行われた第四回全日本学生野球選手権大会で神奈川大学チームは岡山大、西南大を降し、準決勝で明大に敗れたが注目された。同チームの立役者は鈴木であった。投手をつとめ四番を打ち、第一回戦では四打数二安打、第二回戦では二打数一安打、対明大戦では三打数三安打の成績。投手としては球質も重くスピードもあって将来性を認められたが、打力はいっそう高く評価された。毎日に入団して投手となるのを好まず「打者として立ちたい」と強く希望、初め投手の修業をさせるつもりであった別当監督も、鈴木の熱心な想いに折れて、打者に専念させることになった。腰や腕っぷしの強さからして、鈴木自身打力に将来を見出したのであろうし、その自覚は当っているようである。毎日投手陣の一角を占めるくらいの素質はあるだろうが、思い切って初めから打者として立った方が、プロ選手として長く働けるであろうから有利。事実スズキの待つ肉体的条件に照らして、見極めの良い頭といっていい。強く望むだけであって、スズキはよく練習もし、打者としてのデビューも立派であった。三月十日の巨人との定期戦に中堅手五番打者として出場、四打数一安打ではあったが打点一、第二戦には四打数二安打、この時も打点一でなかなかよく働いた。だが、公式試合に入って間もなく筋肉を傷めてしばらく欠場、打撃もシーズン当初ほど振わなくなったが、これは身体の故障が因ではなさそうで、自分のアナが投手に知られるようになったことと、鈴木自身打法に欠陥を現したからだった。左の踏み出し足が突っ張り、バックスイングに力が入り過ぎて、滑らかに振り出しができなくなり、打球は中堅正面に飛び伸びなくなった。そのことを別当監督に指摘され、それにこだわって迷いが深くなり打力が縮んだ。しかし、近ごろは大分よくなり、中堅手二番打者として出場も多くなった。打法は強引といっていい。守備は一人前である。脚力はいいし、良き外野手となろう。現在の成績は四十六試合出場、打数百十七、安打二十七、打点八、本塁打一、三塁打一、二塁打四、打率は二割三分一厘、長打率三割〇分八厘。栃木県矢板高出、五尺八寸、二十貫、二十三歳、右投右打。
別当監督の話 体重の移動に波がついて余計なところに力が入り打球が伸びなくなった。本人も非常に気にしてスランプに陥っていたが、その欠点をなおせば三割は打てよう。最近随分よくなった。守備は及第。五番打者より二番あたりがいいと思っている。
去年の八月行われた第四回全日本学生野球選手権大会で神奈川大学チームは岡山大、西南大を降し、準決勝で明大に敗れたが注目された。同チームの立役者は鈴木であった。投手をつとめ四番を打ち、第一回戦では四打数二安打、第二回戦では二打数一安打、対明大戦では三打数三安打の成績。投手としては球質も重くスピードもあって将来性を認められたが、打力はいっそう高く評価された。毎日に入団して投手となるのを好まず「打者として立ちたい」と強く希望、初め投手の修業をさせるつもりであった別当監督も、鈴木の熱心な想いに折れて、打者に専念させることになった。腰や腕っぷしの強さからして、鈴木自身打力に将来を見出したのであろうし、その自覚は当っているようである。毎日投手陣の一角を占めるくらいの素質はあるだろうが、思い切って初めから打者として立った方が、プロ選手として長く働けるであろうから有利。事実スズキの待つ肉体的条件に照らして、見極めの良い頭といっていい。強く望むだけであって、スズキはよく練習もし、打者としてのデビューも立派であった。三月十日の巨人との定期戦に中堅手五番打者として出場、四打数一安打ではあったが打点一、第二戦には四打数二安打、この時も打点一でなかなかよく働いた。だが、公式試合に入って間もなく筋肉を傷めてしばらく欠場、打撃もシーズン当初ほど振わなくなったが、これは身体の故障が因ではなさそうで、自分のアナが投手に知られるようになったことと、鈴木自身打法に欠陥を現したからだった。左の踏み出し足が突っ張り、バックスイングに力が入り過ぎて、滑らかに振り出しができなくなり、打球は中堅正面に飛び伸びなくなった。そのことを別当監督に指摘され、それにこだわって迷いが深くなり打力が縮んだ。しかし、近ごろは大分よくなり、中堅手二番打者として出場も多くなった。打法は強引といっていい。守備は一人前である。脚力はいいし、良き外野手となろう。現在の成績は四十六試合出場、打数百十七、安打二十七、打点八、本塁打一、三塁打一、二塁打四、打率は二割三分一厘、長打率三割〇分八厘。栃木県矢板高出、五尺八寸、二十貫、二十三歳、右投右打。
別当監督の話 体重の移動に波がついて余計なところに力が入り打球が伸びなくなった。本人も非常に気にしてスランプに陥っていたが、その欠点をなおせば三割は打てよう。最近随分よくなった。守備は及第。五番打者より二番あたりがいいと思っている。