プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

戸川一郎

2016-10-15 16:23:12 | 日記
1956年

最後のバッター豊田を遊ゴロにしとめた戸川投手をぐっとにぎって上につき出し勝利のジェスチャアをみせた。そして松井捕手と握手、ついで帽子をとって山本監督に一礼、そのあとはやたらに各選手と握手してまわっていた。六回一死二、三塁。得点は3-3。打者は投手の戸川。だれもがスクイズを考え、河村もそれを予想して二球目、高いウエストを投げた。南海はその裏をかいた。投手ながら昨年三割九分五厘の打率をあげた好打者戸川は、全然バントのゼスチャアなどみせず、1-2後の高目の直球を左前に糸をひく安打して決勝の二点をとったのである。五尺六寸という小柄な体。帽子をアミダにかぶり、五回すぎから繰り出した雨の中をニコリともせず最後まで投げきった。「バットに当てるくらいならやれるだろうと思った。ベンチを出るとき監督さんから打てといわれた。1-2になったのでスクイズかと思ってベンチを見たらやはり打てだった。直球で真ん中からやや内角よりだった。ほんとうはぼくは打つ方が好きなんです。ピッチングではドロップを多く投げた。調子は悪くなかったが、毎日戦でひっそりかえされてから自信そう失気味」とこれはヒーローの弁。脇役の西鉄の河村投手は「カーブは曲がらないし、低目には入らないし、全然悪かった。戸川選手に打たれたけど、あの球ならばぼくでも打てますよ」といってニヒルな笑いを浮かべていた。
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竹下光郎

2016-10-15 13:50:31 | 日記
1960年

阪急は近鉄に勝てば戦後はじめて開幕以来の六連勝となる。その夢を破ったのが竹下だ。この夜五打数四安打してベストテンのトップにおどりあがった。試合後、ぐるりとかこんだ報道陣に「とにかくバットがよく振れた。同点にしたのも外角のカーブだったが、決勝打も外角カーブ。安藤は知らない投手だから外角にヤマをはる以外に方法がなかった。延長戦までいったんだからぜひとも勝ちたかった」むろん、勝ちたいのは竹下だけではない。阪急戸倉監督は「あのバカ当り・・」といかにもくやしそうだった。この春近鉄が巨人から大友の移籍に成功して東京銀座のホテルで発表したとき、竹下の名刺が大友のあとについた。当時大北代表は「竹下などは一人で発表しても目立たないから・・・」といっていたが、たしかに巨人の竹下といっても知るファンは少なかった。巨人で三年間、昨年竹下が公式戦に出たのは三試合だけ。しかもバッター・ボックスに入ったのはたった一回。どちらかというとお天気屋で巨人でも「エラそうにしている」という評判があったくらいだ。それが「しかしウチではあんなのがいてかえって沈んだ空気が明るくなる」と近鉄では評判がいい。「まだ相手が彼の欠点を知らないし、また竹下も相手投手のこわさがわからない。問題はこれからだ」というのがネット裏評論家の意見だった。
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田中和男

2016-10-15 11:07:45 | 日記
1960年

法大の田中和男一塁手(22)は東映から入団交渉を受けていたが、このほど東映入りを決意した。正式契約はリーグ戦が終ってから行われる。東映はすぐに使える選手、将来チームの中心となる選手という点から大学選手に重点をおいて補強にのり出した。そして第一業として慶大・渡海、法大・山本、山崎、立大・杉本と神宮の花形に交渉を進めたが、全部失敗したため第二業、大学の中堅選手に方針をきりかえ、田中、萩原(駒大)小池(専大)村木(慶大)岩上(立命大)といったところにねらいをつけた。こうして田中に交渉をしたのはちょうど彼がノンプロ松下電器の入社試験の翌日だった。田中は高校時代からプロにいきたい希望を持っていたが、春のシーズンの不振もあってプロをあきらめ熱心に入社をすすめてくれる松下電器にいくことをきめていた。大補強と意気ごんでいた東映も成功したのは萩原一人なので田中獲得に全力をそそぎ、砂川球団主任、井出スカウトが説得にあたった。ちょうどこのころから田中は調子を取りもどしてベストテンにはいった。にわかにあがった田中株に近鉄も驚き兄武智投手に「近鉄もとる用意がある」と伝えたが「兄弟で同じチームにはいると弟がついボクをたよるようになる。そうなってはお互いに不幸だ」という武智投手の考えから、近鉄はかんたんに落ちた。二十五日上京した武智投手は東映側と話し合った結果、松下電器の了解がついてから契約することを条件に話がまとまった。

田中選手の話「松下電器へ就職がほとんどきまっていたが、プロでやりたいという希望を持っていた。東映から話があったので兄とも相談してプロでやることにした。東映は在京球団というボクの希望にも合う。監督さんをはじめ野球部の関係者へは兄からボクの気持を伝えてプロ行きを了承してもらった。まだ松下電器の方へあいさつをしていないが正式な道をふんでおことわりする」

石原代表の話「田中君は岐阜商時代からほしい選手だと思っていた。積極的に交渉しはじめたのは八月の中旬ごろから。田中君もお兄さんも東映に好意をもっていてくださるのでまずウチにはいってくれると信じている。素質も十分ある人だしウチに来てくれたら活躍してくれると思っている」

田中和男一塁手略歴 岐阜商出身。高校では清沢(慶大)とコンビで投手兼一塁手。四番を打って村瀬、所(早大)丹羽(立大)などとともに打線の中心だった。31年春、夏の甲子園大会に出場していずれも準優勝、32年法大入学、一塁手専門になり、34年春からレギュラー。クリーン・アップを打つこともあるがややムラがあり、今シーズンは六番に定着。シーズン後半は、独特のたたきつけるようなバッティングで二割九分四厘をマークして打撃12位。田中四兄弟の末弟。(長兄・武智投手=近鉄、次兄・田中義雄投手=東映レーヨン、三兄、田中照雄投手=元近鉄、常盤炭鉱)1㍍76、71㌔、右投右打、経済学部四年。
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栗野芳治

2016-10-15 10:40:24 | 日記
1960年

大型外野手として定評のあった松阪商栗野芳治外野手(18)=1㍍76、64㌔、右投右打=は十三日実兄とともに大阪市内の万寿美旅館に大毎西本監督、青木スカウトをたずね、大毎入りを決意したもようである。栗野選手は先に南海入りの決定した吉田投手とともに松阪商の中心選手。今春の選抜大会では三番打者として八打数五安打の高打率をあげて活躍した。大毎をはじめ中日、南海、近鉄、阪急の各チームが同選手をめぐってせり合っていた。
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松田守、芦刈達雄

2016-10-15 10:39:07 | 日記
1960年

東映では、このほど松田守投手(18)=鹿児島県照国高、1㍍78、70㌔、左投左打、芦刈達雄捕手(17)=大分県佐伯鴻城高、1㍍78、70㌔、右投右打=獲得に成功した。松田投手は夏の県予選で一回戦川内商工に5-4で勝ち、二回戦加治木高に9-2で敗れた。左腕から投げ下ろす重い速球、特に内角にくいこむカーブに威力がある。制球力にやや欠けるが、球威の点では南九州随一といわれ、西鉄、国鉄もねらっていた。芦刈捕手は三番を打つチームの主力打者で、県予選では準々決勝で日田高に1-0で惜敗したが、三試合で九打数三安打(うち二塁打1)を記録している。投手のリードのうまいことと長打力を買われた。
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江藤正

2016-10-15 05:12:58 | 日記
1950年

昨年一年間。二軍の生活をしてきただけに、プロ選手としては十二分に慣れているが、それにしては成長の速度が速い。何故江藤が堂々とした歩みを続けているかというと、余りにピッチングフォームがなだらかで美しいからである。もちろん美しいといっても、江藤の場合は別な美しさである。つまりフォームの上で等速運動を繰り返しているからの美しさを指すのであって、ピッチングの内容からいうと、決してホメるべき美しさではない。これを悪くいうと、拘りのないピッチングフォームということが出来る。振り出しから投げ終わるまで同じような力の動きをみせているだけで、ここだという鋭さがみられない。従って球質そのものは非常にタチがよくなり、カーブのブレーキもスマートといっていよいほどのものである。だからよく打たれる。それにかんじんのシュートも余りきかない。ピッチングフォームというものは、きっとダイナミックな躍動的なものであることである。鋭角的な美しさがなければいけない。江藤に最もいい見本は巨人投手である。あの振り出しから球を離す瞬間における手首の使い方の何とはげしく美しいものであるか。これを江藤のそれと比較してごらんなさい非常な相違のあることが一目瞭然であろう。ことに江藤が注意しなければならない点は、あまりに上体の振動だけで球を投げようとするきらいのあることである。大洋の高野投手はややこの型に似ていると思われるが高野の場合はクロスファイア気味に踏み出されるので、球質に自ら違った味わいが出てくる。江藤にはそうした特徴もない。これでは平凡な投手になるだけである。この城を脱することが江藤にとって一番大事なことである。補助的な左腕を脇下いはげしく引き込むようにすることも、一つのフォームを変える方法である。またや振りかぶり気味に投球することも考えていい。とにかく現在のままのフォームでは同じような結果の繰り返しにすぎないのではないかと思うが、どうだろうか。
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