プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

大友工

2016-10-05 20:20:34 | 日記
1957年

百九十二日ぶりに大友はシャットアウト勝ちをした。三月三十一日の開幕第一戦国鉄を完封して以来だ。「ふだんよりスピードがあった。七回以後はへばって調子は落ちたが、スピードはかなりもどってきている。だからほとんど直球で勝負した。シュートが割によかったが、スライダーがきょうは悪かった」上半身裸になり、タオルで汗をふきながら大友はこう説明した大男ぞろいの巨人の選手の中に入ると見ばえしない大友だが、裸になると筋肉が盛上りV字型のいい体をしている。「まだ外角への球が十分じゃない。いいときは右手の人差し指と中指に投げるときビシビシと手ごたえがある。それがないときは悪いときだ。きょうは割にある方だった。四回の無死一、二塁でもバックがはじめにたくさん点をとってくれていたので、ホームランや打たれてもまだ勝っているんだと気は楽でしたよ」昨年からの大友は不運につきまとわれている。阪神大崎に右手親指い死球をくって昨シーズンを棒に振り、今年も右ひざを痛めて大事な中盤戦は休んだ。大友は四回左翼へホームランを打った。もちろん今シーズンの第一号。「内角をはずれたような直球だった。腰を開いて打ったのだが、入ったのでわれながらビックリした。プロへ入って二本目。最初のは松竹時代の真田さんからなので、もう五年ぶりくらいのことですよ」と笑う。大友の顔は久しぶりに明るいものとなった。
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石垣一夫

2016-10-05 19:45:37 | 日記
1957年

「キッカケさえつかめばすぐに立直ってみせる。それには経験の豊富なベテランの力に頼る」といって南村、平井を起用した水原監督の起死回生策も頼みの藤田が打ちこまれてはどうしようもなかった。先制の左翼本塁打をふくむ4安打の石垣、勝ち越しのホーマーなど3安打を放った三宅の当りは文句なしにすさまじかった。試合後うす暗くなった三塁側ベンチ前で報道陣に引っぱりだされた二人は「俺の打ったのはカーブだった。四打席で四安打を打てたのはまぐれだよ。ボールはよく見えたが・・・」と阪神でも一番黒いという日焼けした顔をほころばせながら石垣が三宅に選手を求めれば「お互いに巨人相手だとファイトがわくな。ボクがホームランは内角のストレートだった。バットがよく振れていたでしょう」と力強くにぎり返した。「石垣は今年になってめっきりリードがうまくなった」と徳網コーチが折紙を付ける石垣。八回藤尾の打った三塁ベース寄りの難しいゴロを横っとびに飛び込んでつかまえた三宅二人とも阪神のバック・ボーンとなる選手だ。「二人ともいい選手だ。きょうは二人で勝てたようなものだ」とめったに人をホメない藤村監督もきょうだけは大変なほれ込み方であった。
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石原照夫

2016-10-05 19:36:25 | 日記
1957年

五尺五寸、十七貫五百、横ぶとりの石原選手は肩をゆすって歩くクセがある。そして緊張するとなお一そうそれがはげしくなる。それは常におだやかな表情をしている彼から闘志満々の気持をくみとる唯一の方法だ。彼は二回の二死満塁にこの歩調と姿勢でボックスに入り、たちまち2-1と追いこまれた。「バッター・イン・ザ・ホールでしょう。当然カーブで遊んでくると思ったが、直球でしかも真ん中高目にきたからかえってこっちの方が驚いたくらいだ。黒田君が間違えたんじゃないですか」このときの心境をこういっていた。つづき四球目、高目の直球をたたいて右中間安打して東映の先取点をたたき出したのである。阿井からず歩きながら肩をゆすってうれしそうな彼である。
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