プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

田子譲治

2021-08-14 17:41:13 | 日記

1981年

「自分で納得のできるピッチングだった」と胸を張った。走者を許したのは一回の内野安打だけ1本だけ。奪三振が七回をのぞく毎回で計16。それにしても試合開始早々の内野安打は惜しかった。遊撃の失策にしてもいいような当たり。「僕もエラーと思った」そうすればノーヒット・ノーランだった。「でも、いい。これまでで最高のできだったから」東奥義塾の打線については「怖くなかった。五回1点を先取した時は、あとは絶対抑える自信があったので1点だけで十分だった」なかなかの強気。内外角にビシッとストレートを決める投球は強気の性格そのままだ。右投げ、右打ち、179㌢、73㌔。

1986年

「六回の3点が効いたね」と近鉄・岡本監督。五回までは、ロッテ先発・水谷に6安打3点。近鉄打線は九日以来、8日間で2試合しかゲームを消化していないせいか、勢いがつかない。「水谷には、ほんとに手こずっていたんだ」と岡本監督。ところが、六回、ロッテが動いて、水谷から田子へスイッチ。すかさず、デービスが外側のフォークをバックスクリーンに直撃し、村上も同じ外側のフォークを左翼中段に2点本塁打。あっという間に試合を決定づけた。一方、ロッテ・稲尾監督は、田子の起用を「雨でグランドがぬれて足場が悪くなった。水谷もよく投げていたが、調子の良い田子に修羅場を踏ませ、その投球を見たかった」と語った。五回まで、ロッテは毎回安打の8安打。拙攻で3点しか取れずに、もたつき出してはいたが、まだまだ試合の行方は決まっていなかった。これまで、11勝9敗1分けと勝ち越している稲尾監督の冒険が、裏目に出た。

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金城鉄治

2021-08-14 06:26:34 | 日記

1983年

ドラフト外、契約金1000万。2月12日入団発表。沖縄の右腕本格派で江川を目指す。

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