1992年
宮川は、今年3年目になるが、一軍はおろか、ファームでもほとんど実績がない。1年目はまず肩を壊した。続いて腰の肉離れで棒に振った。2年目は、打者の打ったライナーを首の下に受け、骨にヒビが入った。2週間の投球禁止令を守らず、1週間を過ぎた頃、ボールを握り悪化させ、結局1カ月以上、長引かせてしまう。その後、一軍のバッティング投手に指名され投球をしたら、ヒジを痛めて曲げ伸ばしが出来なくなる。とまあ数えたらキリのないほど、故障を起こしている。昨年は、イースタン2試合に登板、初登板の大洋戦は、無死満塁でリリーフに立ち、一人押し出し、2人目にも2ボールになったところで、一死もとれず交代。次の登板は巨人戦で1回を投げ5失点というありさま。まさに不運の2年間を過ごしてきた。本人も、いつクビを宣告されるかと、ビクビクしていたらしい。しかし宮川は本来メンバーに予定されていなかった黒潮リーグ行きでチャンスをつかんだ。球界では断然有利といわれる左利き。変化球でかわし、真っすぐでコースを丁寧につくピッチングが一軍首脳陣の目にとまり、ようやくツキが回ってきたようだ。今年に入って鴨川キャンプ最終日に一軍合流。晴れて第二次名護キャンプに参加した。変化球も心許ない宮川の長所といえば、タイミングの取りにくいタイプの投手ということ。腕が遅れて出て来るので、球の出どころがはっきりしない。しかし4月13日、シート打撃に登板した宮川を見て、正直がっかりした。ファーム落ちのショックと一軍の疲労を考えても、下半身の粘りがない、コントロールが悪い、真っすぐのスピードが遅いと散々な内容だった。あれでは、首脳陣も怖くて試合では使えまい。良い悪いの差がありすぎるのは、まだまだ投げ込み不足、スタミナ不足。日替わりで体調が変わらないための走り込み、筋力トレに加え、数多くのゲーム経験が必要となるだろう。オープン戦後半、一軍に帯同した自信が、本当のモノになるように、今こそ苦しい練習で自分をイジめ、強い筋力と強い精神力を身につけてほしい。