1976年
球速は山陰球界では勿論、全国的にも有数で上手からのストレート、カーブは制球力も十分、ややサイド気味のカーブは面白い。
1984年
ドラフト外、契約金1000万。昨年の入団テストに合格。即戦力ではないが、将来が楽しみ。サウスポーだけに期待も持たれている。まずプロの身体を作ることだ。
1994年
意表をつく、二日連続の先発。二十一歳の左腕が、「連敗しない」という巨人の神話を崩した。同時に、最下位からも脱出させた。加藤は前日、一回に松井の打球を右足首の上に受け、わずか11球で降板していた。でも、この日は痛みもなく、練習前から腹立たしさでいっぱいだったという。そこに、近藤監督が声をかける。「悔しいだろう?じゃあ、今日も投げろ」ローテーションでは斎藤隆の予定だった。でも、横浜の台所事情は苦しい。斎藤隆を、次の好調・阪神戦にぶつけるための、苦肉の策だった。近藤監督は「あいつの意気込みにかけようと思ったんだ」と言う。加藤にとっては、願ってもないチャンス。大阪に住む母親の久江さん(47)からは「もうちょい、テレビに映れ」と言われた。巨人戦3試合連続の先発だが、前の2試合は、早く降板し、ほとんど映らなかったからだ。思い切った投球だった。カーブ、フォークがさえ、松井も完ぺきに抑えた。落合の1安打だけで、自己最長の6イニングスを無失点で終えた。「次は、完投したいですね」表情に、自信が芽生え始めていた。