プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

依田政彦

2024-11-10 11:19:11 | 日記
1986年
3年前のシーズン途中、カリフォルニアのアーバイン大一年生だった依田は近鉄のテストを受けた。177㌢とそう大きくなく、球のきれも目を見張るものはなかったが、左腕ということで採用された。五歳の時、渡米して以来、アメリカ式の野球になじんできた彼にとって最初は、日本のものすごいまでの投球練習に戸惑ったそうだが、投げ込みも身に付いてきた。課題だった制球力は、チェンジアップや緩いカーブの使い方で正確さが身について来たようで、岡本監督も先発で考えていると喜ぶ。依田はロスに住む両親にすぐ電話したそうなそぶりで引き揚げていった。

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金城基泰

2024-11-10 11:12:48 | 日記
1973年
広島が金城の力投で勝った。よく走る速球を主体に大小のカーブ、スライダーを織りまぜた無理のない投球で真っ向から勝負、大洋打線は前半ミートさえできないありさまで、被安打2、奪三振8と余裕たっぷりの完投だった。


1974年
金城が両リーグのトップで20勝を完投で飾った。といっても立ち上がりはあまりよい出来ではなかった。1回中塚に四球を許し、江尻に右前安打されて、一、三塁。このあとも松原に左前安打されて1点を奪われた。だが、次の無死一、二塁のピンチを抑えてから、カーブ、シュートを有効に使った彼らしいピッチングがよみがえった。


1977年


広島から移籍した金城が5回をほぼ完ぺきに投げ切った。シンカー、スライダーがさえ、二回には松原以下を三者連続三振にうち取ったほど。

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金沢次男

2024-11-10 11:07:17 | 日記
1982年
二回から登板の新人・金沢(三菱自動車川崎)が切れのよいカーブを武器に最後まで投げて、9三振を奪い、無四球、1安打ピッチングに封じ2勝目をあげた。


大洋の新人金沢がこの日も5イニングを無失点。これで開幕以来26イニング無失点と記録を伸ばした。「速球のスピードは今一つだが、コントロールがよかった」と言う通り、得意のフォークボール、カーブを内外角に投げ分け、広島打線をキリキリ舞いさせた。





1986年





金沢はストレート、スライダー主体に攻めの投球に終始して、移籍後初完封の2勝目。


1987年


ロッテキラーは今年も健在。昨年10勝中7勝までをロッテから稼いだ金沢は、今年もお得意さんから初白星をマークして「何だか相手が勝たせてくれるんです」とニヤリ、10奪三振のうち8個までがフォークボールによるものだが、「去年はひじを痛めて、ほとんどフォークが投げられなかったけど、今年は万全」


1992年


ヤクルト、金沢(3年ぶりの先発で力投も、八回にスタミナ切れ)スライダーとフォークで早めに追い込んで、調子はよかった。残念。


3連敗と追い込まれたヤクルト。どんな形でとめるか。投で答えを出したのは、11年目のベテラン・金沢。4日前の大洋戦でリリーフして9失点。(自責点は2)だから意外性のある答えだった。「いつもは中継ぎなので、立ち上がりを3人ずつでいきたかった。妙に丁寧だった」と本人が振り返る通り直球、緩いカーブ、フォークで丹念にコースをつ突いた。直球にしても力いっぱいのボールだけでなく、二回には大豊を118キロのチェンジアップで料理した。

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