プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

津野浩

2024-11-25 18:52:22 | 日記
1993年
津野は阪神戦7イニングを無失点に抑えており心強い。前回の対戦でも、中継ぎで好投。勝利につなげた。復活したSFF(スプリット・フィンガード・ファストボール)と二種類のフォークで猛虎打線をかわす。

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嶋田哲也

2024-11-25 18:49:51 | 日記
1993年
三年目の嶋田哲が再び株を上げた。紅白戦に続いてこの日、状況設定のシート打撃で快投を披露。切れ味鋭いフォークとスライダーで10打者をノーヒットに抑え込み、ポスト野田へ強烈アピールした。「バッターがまだ振れていないだけですよ」と謙そんしたが、本音は違う。昨オフに結婚したばかり。今キャンプではブルペンエースの名を返上しようと、とにかく実戦で結果を出すことに取り組んできた。「マウンド度胸の弱さ克服が課題だけど、先発五人目へ大きなチャンスだよ」と指揮官も評価し、二十八日、高知・春野での対西武オープン戦の先発も決定。その内容次第では、以後の登板機会も当然増えてくる。

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竹内昌也

2024-11-25 18:43:11 | 日記
1992年
阪神から2位指名された竹内はMAX145㌔のストレートが武器。中村監督も「即戦力の抑え候補」として熱い視線を送る本格派右腕である。秋田県出身。本荘高校二年の夏に甲子園出場。1回戦で八幡商に0-6の完封負けを喫した。NTT東北に入社してからは三年間で公式戦17勝1敗。速く、重いストレートにスライダー、カーブを交え、この秋の日本選手権ではベスト8進出の立役者にもなった右腕だ。

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郭李建夫

2024-11-25 18:34:33 | 日記
1993年


注目の新外国人選手、郭李がシート打撃に初登板した。木戸、久慈ら打者十二人に対して被安打2、四球1で、三振2を奪った。2本の安打も会心の当たりではなく、また、萩原のバットを折るなど球の重さを印象付けた。「感じとしては結構よかった。気持ちよく投げられた」と郭李は満足そう。最高141キロの直球のほか得意のフォークボール、カーブ、スライダーを多彩に投げ分けた。


郭李の投球にスピードガンが持ち込まれたのは、この日が初めてだ。捕手の後ろで、三宅チーフスコアラーが構えた。その直前には捕手を務めていた有田コーチがミットをほうり出して、西口捕手と交代していた。「怖くなって代わった。手元でものすごい変化をするんだ。巨人で捕ったことのあるサンチェのような感じだ」とケンプボール(ムービングファストボール)の威力に、改めて驚かされていた。しかし郭李自信はケンプボール以上に、実は「速さ」にこだわっている。そんな中で三宅チーフのスピードガンは「145㌔」を記録した。もちろんまだ全力投球ではない。本人は「全体では60%の出来」と言うのだ。「平均で140㌔前後です。まあ145㌔ということより、初速と終速のスピードの差が少ない、いわゆる伸びのある球というのが特徴です」と三宅チーフ。中村監督は「楽しみだねえ」と連日、ただただ褒め言葉を並べるしかない。台湾時代の最高が、バルセロナで記録した153㌔。「もちろんまだまだ速くなる」と郭李自身は言い切る。


揺れる、シュートする、スライドする…。「いまのはパームだろう?」「いや、スライダーじゃないの?」ネット裏に陣取った首脳陣も球種選定に戸惑うほど、そのボールはさまざまな変化を見せた。本邦初公開だ。これがウワサの七色中華フォーク。この日、シート打撃に初めて登板した郭李が披露したウイニングショット。「勝負どころでも平気で…あれは絶品だよ」トラの銀腕の本領発揮に、思わず嘆息した指揮官である。「きょうはフォークの出来が良かった。でも、困ったらフォークってこともないよ。台湾時代にもいろんな変化球をミックスして投げていたからね」MAX141㌔。本人も速くなかったと認める通り、ストレートには依然バラつきが多い。「ストレスもたまっているだろうし、何より体中が張ってる状態じゃないの」途中からマスクをかぶった木戸も「仕上がり50%」と位置付ける。だが、このウイニングショットだけは別だ。見逃し三振に仕留められた関川が「佐々木(横浜)よりすごい」とうなる。木戸の打球を右足甲に受けた後も、平気な顔でマウンドへ。1、2球のカウント球からどんどん配してくるフォークに、どの打者もアキレ顔だった。加えてケンプ・ボール(ムービング・ファストボール)に「こっちの方がいい」と山田が言う高速タテ割れスライダー。それに上田投手コーチからリリースポイントのアドバイスを受け、低めへ決まるようになったカーブと、すべてのボールが判別しにくく打ちづらい。ボンヤリとしていた郭李の神髄が、これで中村監督の目にも明確化したはずだ。「やっぱり実戦派なんだなあ」二十四日の紅白戦を経た後、早ければ三月九日、甲子園での対西武オープン戦で七色中華フォークが対外試合先発デビューする。
 
1999年


今季、阪神からCPBL和信に入団した郭李建夫投手が、3月16日の対三商戦に先発し、8回を投げて被安打6、奪三振8、四死球3、2失点の好投で、初勝利をマークした。6回まで完璧なピッチングであったが、7回から球威が落ちて2失点。しかし、中学、高校とバッテリーを組んでいた黄釣瑜捕手は「ストレートとチェンジアップが良かった。これから投げ込んでいけば、もっと良くなる」と語り、李来発監督も「見通しが立った。これで五輪時のフォークが投げられれば、二ケタいける」と大喜びであった。

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山崎一玄

2024-11-25 16:35:39 | 日記
1994年
阪神の山崎がプロ初完投、初完封勝利を挙げた。山崎はフォークボールを多投して、うまく打者のタイミングを外した。6安打、7三振、4四球の内容。1か月ぶりの2勝目を挙げた。


「落合さんや松井などを特別意識しないように投げた」気持ちで絶対に負けない。投手として最も大事なものを持ち、それを実践できる技術もあった。最高でも140キロの速球。これはフォークボールをはじめ変化球を絡めるが、制球が抜群にいいわけではない。しかし、山崎は松井、落合の主軸に対しても堂々と勝負だ。


山崎を見てて気付いたんだけど、彼のストレートは普通の日本人のようにスーッと来る真っすぐじゃないね。アメリカに留学(二年前)したことがあるそうだが、向こうのピッチャーが投げるカッティングファストボールを投げている。この球は微妙に変化しながら打者に近づいてくる。巨人打線に内野ゴロが多かったのは、しめたっーと思って振っても、バットのシンを外されていたからだ。

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中込伸

2024-11-25 16:26:13 | 日記
1988年
甲子園では球児たちが響かせていた金属音は、浜田球場では無縁のものだった。中込の重い速球に押しつぶされた鈍い音がこだまする。田尾は4回打席に立ち、一度も快音を響させられなかった。高校時代にも対戦したことがあり、寮では中込の相談役に指名された高井も、そのパワーにおびえた。ヒットを打ちながらも「このバットを見てくださいよ」と折れたバットを見せるほど。26人の打者に対して5安打、3三振無四球という内容に中込の並みはずれた素質が表れていた。重い速球、キレのいいカーブ、スライダー。新しく覚えたSFF、中込が5か月間で学んだモノを見せた。


1993年


中込の調整が遅れた。元々の課題はフォークだった。中込はスプリット系のボールを持っているが、さらに落ちる球に磨きをかけるのが、昨年秋から取り組んでいたテーマだった。が、それ以前にフォームを崩してしまう。「体重が後ろに乗ってしまって、ストレートが行かない」と本人。中込の持ち味といえば、打者の手元で微妙に揺れるムービングファストボールだが、フォークに専念するあまりに、そのストレートにかげりが出たのであった。


1998年


中込が初めてフリー打撃に登板し、打者三人に約100球を投げた。持ち味の高速スライダーも試し、「スムーズに投げられた。ひじの不安もない」と順調な調整ぶりを披露した。


2000年


中込は3回を投げて3安打無失点。「バットのしんをはずす、スプリット系の落ちる球を試せた」と結果、内容とも満足の表情。

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