プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

橋本清

2024-11-16 15:10:52 | 日記
1987年
巨人が一位で単独指名した橋本は今年PL学園が甲子園で春夏連覇した時、三本柱の一人として活躍した、奪三振の多い本格派の右腕投手。身長1㍍87と大柄なわりに腕の振りが柔らかく、フォームが理想的。持ち球はまだ直球とカーブの2つだけだが、直球はコンスタントに140㌔台をマーク。性格的に強気でしっかりしている。


1991年


橋本清投手は、カブス戦でノーヒットノーランを記録した。速球に、得意のフォークボールがさえたという。1987年のドラフト1位。巨人期待の右腕である。

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山崎一玄

2024-11-16 15:07:08 | 日記
1994年
直球はせいぜい130㌔後半。この直球とスライダーがコントロールよく低めに集まり、カウントを稼ぐ。そして勝負球はフォークボール。普通は人さし指と中指ではさむが、山崎は親指と人さし指ではさむ独特の投げ方で、力の入れ具合で左右に微妙に落ちる。一昨年、米国の1A留学中に覚えたそうで「ナイヤガラフォーク」と自ら命名している。


1995年


3安打された山崎が言った。「イチローには特にプレッシャーを感じた」ウエスタン時代から山崎はイチローによく打たれたという記憶が残っている。オリックス戦の先発が決まってから、イチロー対策を練り上げ、前回には「4球封じ」を公言していた。その対策は、第一打席で弾かれた。いきなり初球ストレートを中前に。その後もカーブ、フォークをバットのシンでとらえられた。「リーグが違ってよかった」と山崎。


1999年


逆転直後から救援した山崎が、1点差の重圧をはねのけて5回を無失点。八、九回を追加点を奪った打線を見るまでもなく、この好投が、三回まで4点差をつけられた試合を、会心の勝利に様変わりさせた。五回の二死満塁などピンチの連続だったが、スライダー、チェンジアップなど低めに集めて、徐々にペースアップ。そして、七回、最高のピッチングを見せる。東出、金本、江藤を連続三振。これには野村監督も「気持ちが乗っている」と高い評価を下し、田村投入を考えていた八回も続投させた。

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中込伸

2024-11-16 14:57:05 | 日記
1992年
「山田がテンポよくリードしてくれたおかげ」と約5週間ぶりの勝利をあげた阪神・中込。140㌔を超える速球はわずかしか見せず、緩いカーブやフォークボールで大洋打線を惑わせて122球の完投。


阪神・中込のセリーグ五年ぶりのノーヒット・ ノーランへの期待だ。中込も「いけるかな」と意識した。ところが、最終回の先頭打者、代打河田に投げた95球目の直球が、真ん中に入ったところを右前にはじき返され、夢は一瞬のうちについえた。最後に冷や汗をかいたとはいえ、この夜のピッチングは緩急をつけた味のあるものだった。一番正田から七番高までずらり並んだ広島左打線に対しカーブとチェンジアップが有効に決まった。三振はわずか4ながら、バットのシンを外した打ち損じの凡打の山。中村監督が「最後はもったいなかったけど、遅い球を投げる勇気がある」と手放しでほめた。


1999年


阪神の中込は、5回で3点を失ったが、新球のシュートを右打者に有効に使った。

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