プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

益川満育

2024-11-26 20:50:39 | 日記
1974年
「ことしもファームだ」という気持ちで、湯之元入りした益川。ひとよりも5㌢ほど長い腕をぶらぶらさせながら、仲のいい小林、永尾と組んでトスバッティングをやっていた。キャンプ初日からこんな気持ちでキャンプ入りしたのはわけがある。投手陣の軸となっている安田や渡辺などより上位にランクされながら入団したが器用貧乏。二年間はきょうな内野、あすは外野というのその日暮らしの連続で、田口二軍監督にクレームをつける毎日だった。本人ももうべんり屋がしみ込んでいた。ところが、益川の長い腕が注目された。目をつけたのは広岡コーチ。直感なのだろうか「いける」だった。からだのこなしもグラブさばきも日本人ばなれしている。一人、沼沢コーチも、ハッとしてそうだ。「広よ、あれおもしろいな」「うーん、赤坂コーチにきいたら100㍍を11秒台で走るという。二、三日様子をみようか」キャンプ前の予定では永尾を育てることにし、東条とポジションを争わせるつもりだった。ところがその永尾の相手をしていた益川が、突然に浮かび上がった。イタリア系アメリカ人の父親、ポール・ペチュタさんは朝鮮戦争で益川が一つの誕生日を迎える前に死んだ。それからはおばあちゃんのテツコさん(68)の手で育てられた。時代が時代だけにアイノコとからかわれ、けんかの連続だった。父親を恨み、母親の民子さんにも文句をいった。その民子さんは益川が五つの時に再婚した。小学校、中学校に入ってもけんかで明け暮れた益川の前に現れたのが、秋山武一さん(現初芝高校野球部長)だった。「マイク、ひとつ野球をやってみないか」親身になって話しかけてくれる人がいなかった益川は有頂天になって野球ととり組んだ。それが実って興国時代には四番バッターとして五十回大会に出場。四割四分と打ちまくって全国制覇の王役になった。野球をつづけるつもりで進んだのは近大。ところが、病院の給食係をやりながら学費をねん出するおばあちゃんの姿に耐えられず退学。日本熱学に工員として入社した。ヤクルトのスカウト陣に発掘されたのは、それから二年目。「ヨシ、一流になっておばあちゃんい家を買ってやろう」と意気込んだ夢も、徐々に崩れかかっていたやさきに広岡コーチの目にとまった。「こんな気持ちで野球に取り組めるのははじめて。楽しいもんですねえ」とマイクはいう。父親からゆずり受けた長い手と強肩にものをいわせ、目の前に飛んでくる猛ゴロを受け止める。一塁への送球も矢のように速い。腕が長く、ふところが深いから少々のイレギュラーもこたえない。「うちの堯にあのうまさと肩があったらなあ」と、いまでは荒川監督をうならせるほどだ。「みんな広岡さんのおかげ。この気持ちをわすれずにやります」益川はホリの深い顔に笑顔をうかべる。だが、問題はバッティング。リストの強さは山下に次ぐものを持っているが、いまはまだ、それを生かし切れない。二十日は左翼場外にとてつもないホームランをとばした。「うん、きっとモノになる。これはうちの…」広岡コーチのこの話、あとには「スター」とつく。

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幸田優

2024-11-26 20:34:32 | 日記
1959年
大洋の先発幸田は既にオープン三度目の登板、森監督も三回までなら安心してみておれると期待している若手投手だがこの日もシンカーとシュートを武器に五回まで国鉄打者に二塁を踏ませぬピッチングを発揮した。ただ回を重ねるにつれ打者に対する投球数がふえてゆくのはスピードが減退するためで、いま一息のスタミナをつけることが大切だろう。

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浦西美治

2024-11-26 20:33:53 | 日記
1959年


中日では七回から登板した浦西が大きく割れるカーブにも制球力を増し、西鉄の田中喜とともにピッチングに自信を加えていた。

スピードはそれほどでもないが、くせのあるボールを投げる。ことにカーブは中山伊奈より大きいのでほとんど打たれない。このカーブが右から左への強風によってさらに効果をまし、南海打線を屈服させた。外角へはいるのがはずれているようにみえるし、内角はボールでもつい手を出してしまう。天知ヘッド・コーチは「いままではあのカーブがみなすっぽ抜けになっていた」と語っていたが、まずは好投の部類に入れてよさそうなできだ。ただしストレートに威力がないので、こんごはシュートをうんと研究する必要がある。はじめのうちはウンウンと声をあげていたが、これは力がはいりすぎてよくない。「新人では板東、河村、成田のほかに浦西をうんと使ってみたい」という杉下監督の期待にこたえるようがんばってほしい。初勝利おめでとう。


浦西投手は今年入団した新人左腕投手。オープン戦では新人離れしたクソ度胸で目を見張らせるピッチングを演じた。その球威を認められて今シーズンはすぐ一軍入り。開幕後は絶えず一軍選手たちと行動をともにして、練習に励んでいた。いままでは、つなぎ投手で7試合に登板、さあいよいよこれからという矢先にきき腕の左肩を痛めてしまった。六月の二十三日、中日球場で行ったウエスタン・リーグの対阪神戦で先発に登板、ゲームで投げている最中に突然、左肩に激痛を感じたので、すぐ交代した。その後痛みが減るどころかついにヒジまで痛みはじめ、左手をふってもビーンとくる始末。上京して小森トレーナーのもとで治療に専念しているが、原因は不明。キャンプでは腕と腰がバラバラのピッチングで制球力も悪かったが、最近では投球もスムーズになり、得意のカーブの制球力も安定してきただけに、本人は気の毒。チームの幹部たちもガッカリしている。

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江崎毅

2024-11-26 20:17:48 | 日記
1981年
高校時代は硬式だが、ノンプロでは軟式という変わりダネ。下手投げからシュートとシンカーが武器で、C級だったチームを強チームにのし上げた。うまく育てば大野(広島)級になれる。萩原健一の大ファン。

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