1970年
川崎コロンビア時代
川崎コロンビアは、五強がひしめいていた川崎市予選を四戦全勝で、抜け出したチームでその原動力となったのは、社会人十年目の近藤重投手であった。第三十五回大会(昭和三十九年)に、決勝戦まで駒を進めて、そのときに敢闘賞の久慈賞に輝いた近藤重は、今シーズンはコーチを兼業しノックバットを持つ日が多かった。それでも、予選が始まるとじっとしておられず主戦・矢野を凌ぐ働きで予選の最高殊勲選手賞と最優秀投手賞を一人占めした。この近藤は、右腕から外角低目をつく速球を主体とし、カーブとシュートの制球力がいい。
川崎コロンビア時代
川崎コロンビアは、五強がひしめいていた川崎市予選を四戦全勝で、抜け出したチームでその原動力となったのは、社会人十年目の近藤重投手であった。第三十五回大会(昭和三十九年)に、決勝戦まで駒を進めて、そのときに敢闘賞の久慈賞に輝いた近藤重は、今シーズンはコーチを兼業しノックバットを持つ日が多かった。それでも、予選が始まるとじっとしておられず主戦・矢野を凌ぐ働きで予選の最高殊勲選手賞と最優秀投手賞を一人占めした。この近藤は、右腕から外角低目をつく速球を主体とし、カーブとシュートの制球力がいい。
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